東日本大震災からまもなく3年 ~前編~

sKenji

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国内観測史上最大規模となった東日本大震災から、明日で3年がたちます。

復興の遅れが指摘されるなか、同時に震災の風化も懸念されています。
3月11日をむかえる前に、もう一度震災があった、あの年を振り返りたいと思います。

平成23年3月11日14時46分、東日本大震災発生。

平成23年3月11日14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0 の地震が発生し、宮城県栗原市で震度7、宮城県、福島県、茨城県、栃木県の4県37 市町村で震度6強を観測したほか、東日本を中心に北海道から九州地方にかけての広い範囲で震度6弱~1を観測した。

気象庁:平成23 年(2011 年)東北地方太平洋沖地震の概要

気象庁が公表している、東日本大震災の概要を伝える文書の冒頭です。

地震発生時、わたしは新宿にあるビルの地下で働いていました。

最初、小さく揺れたかと思ったら、揺れはどんどんと大きくなっていきました。揺れの大きさもさることながら、未だかつて経験をしたこともない長い揺れに、これまでの地震とは明らかに違うものを感じたのを今でもよく覚えています。

「いったい、震源地はどこなのだろう。」机の下に隠れながら思っていました。
地震の震源は、その後、宮城県沖だったことを知りました。

「東北・・・」

東京からは、かなり離れている。それにもかかわらずこの揺れ・・・。いったい、どれほどの被害がでるのか、想像することができませんでした。

この日、東京の交通は、その機能をほぼ全て停止し、街の至る所に帰宅難民と呼ばれる人があふれていました。私もそのうちの一人であり、その日、帰宅することはできずに、職場で不安な一夜を明かしました。

震災があった年の東北

震災から、まもなく3年がたつ今、もう一度、地震発生当時の状況を伝える話を探してみると、津波に襲われた時の状況や、救援・救助活動、ボランティア活動などをはじめ、1日や2日では読み切れないほどの数の話がありました。いたたまれない話がある一方、元気と勇気を与えてくれたり、心温まる話などもあります。また、そんな単純に分類などできない複雑な話もあります。

様々な話がありますが、いずれにも共通していることは、全て「後世に伝えていくべき話」ではないだろうか、ということです。

震災当時の話について、当時の新聞などの報道から、いくつかピックアップして、再度、シェアしたいと思います。

次の記事は、岩手県洋野町での津波の様子を克明に伝えている岩手日報の記事です。

「来たぞー」という叫び声に、慌てて南方を見ると、浜に襲いかかる高い白波がはっきり見えた。
 間もなく沖からやってきた大きな第1波が高さ5メートルほどの漁港防波堤に勢いよくぶつかり、波しぶきを上げた。回り込んだ波は、作業小屋を破壊しながら勢いよく漁港内に流入。付近の小屋がめきめきと音を立てて壊れる音が響く。係留していた漁船、軽トラックもあっという間に津波にのまれ、おもちゃのように翻弄(ほんろう)されていた。津波はわずか数十秒で漁港一帯をのみ込んだ。

 勢いよく波が引きだすと、粉々に砕かれた防波堤の残骸が無残に散らばり、津波の威力をまざまざと見せつけた。深さ5メートルほどある漁港の底が見えるほどに波が引き、その後再び大津波が押し寄せた。
台は海抜15メートル以上の高さにあり、ほぼ同じ高さにある町中心部も直接的な被害は免れたが、15メートル級あるいはそれ以上の津波だったらどうなっていたか想像もつかない。

「これじゃ漁も何もできない…」。漁業者の悲痛な声が聞こえる。寒さと津波の恐怖に膝を震わせながら、ただぼうぜんと立ち尽くすしかなかった

岩手日報・企画 平成三陸大津波「記者の証言」

宮城県・南三陸町を流れる八幡川の写真です。この写真は津波到達数分前に撮影されたとのことです。記事で書かれている洋野町とは別の場所ですが、津波前の引き波の状況を伝える貴重な写真です。出典元:南三陸町WEBサイトより
宮城県・南三陸町を流れる八幡川の写真です。この写真は津波到達数分前に撮影されたとのことです。記事で書かれている洋野町とは別の場所ですが、津波前の引き波の状況を伝える貴重な写真です。出典元:南三陸町WEBサイトより
津波が押し寄せてきた八幡川の写真です。出典元:南三陸町WEBサイト
津波が押し寄せてきた八幡川の写真です。出典元:南三陸町WEBサイト

以下は、津波を目の当たりにした方々の体験と、当時の状況を伝える記事の数々です。

1つ目の記事は、宮城県名取市の閖上地区で津波に襲われた方の話。

2つ目の記事は、宮城県南三陸町の「町営松原住宅」での話。

そして、3つ目の記事は、最初の揺れが収まってから約30分後の宮城県女川町の話です。

地震の約20分後、名取川沿いの自宅兼鉄工所の2階で片付けをしていると、川水がざーっと引き、底の土が見えました。

 2、3分後、バリバリ、ガシャガシャという音を聞き、海の方を振り向くと、2階建ての鉄工所の倍の高さがある波が迫ってくるのが見えました。
 黒と茶が混ざったような色で、サーフィンなどの映像で見る大波そのままでした。逃げる間もなく背中から波をかぶり、体が飛ばされました。近くにいた父も巻き込まれました。

 気が付くと胸まで水に漬かった状態で浮いていました。500メートル離れたみやぎ生協閖上店近くの、がれきがたまった場所でした。水は1階屋根ほどあり、がれきをかき分けてつぶれかけた家の屋根にはい上がりました。

 既に夕方で、雪が降っていました。寒さがひどく、夜中、海側で火事が起きていました。屋根にしがみつき、近くの車の上にいた夫婦と話しながら一晩過ごしました。

 夜が明け、変わり果てた街の姿にがくぜんとしました。ごみとがれきが広がり、どこにいるか分かりませんでした。昼すぎに自力で屋根を降り、がれきの中を歩いて自衛隊に助けを求めました。父は後日、自宅近くで遺体で見つかりました。

閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言

腰近くまで波しぶきが迫る。町営松原住宅の屋上。1階から避難した菅原恵さん(46)は夫昌孝さん(51)と、4歳の長男大ちゃんを水にぬらすまいと必死にかばった。  「まさか、ここまで津波が来るなんて。神様、どうか助けてください。死にたくない」。柵にしがみつき祈った。
(中略)
「頑張れ、頑張れ」。波が襲った屋上では、住民が声を掛け合い、柵にしがみついた。はるか遠くにさらに巨大な波が見える。「これ以上波が高かったら、もう助からない」。菅原さんは息をのんだ。

南三陸町を襲った大津波の証言

「ここではだめだ」。鈴木さんは駐車場を後に、病院西側のさらに高い場所にある熊野神社を目指し、階段を駆け上がった。パキパキパキ。階段を上る途中、不気味な音が聞こえた。津波が濁流となり、建物を壊す音だった。
 踊り場で、後ろを振り返った。3、4棟を除いて、港近くにあったビルは水没していた。目をこらすと、4階建ての商工会館が見えた。屋上に人影があった。次の瞬間、会館の屋上も水中に消えたように見えた。
 数分前までいた病院駐車場にも、津波が迫っていた。避難した人たちが乗ってきた車が次々と濁流に浮き、流された。
「高台に逃げろ」。女性の声で避難を呼び掛けていた防災無線が急に男性に代わり、叫び声が聞こえた。その声を最後に、無線は途絶えた。
「皆、死んだ」。鈴木さんはその場にぼうぜんと立ちつくした。町立病院に逃げた人たちの安否が気掛かりだった。

女川町を襲った大津波の証言

津波で、幼い命も多く失われています。
下記、1つ目の記事は、宮城県山元町の私立ふじ幼稚園の話です。地震直後、建物は危険ということで、2台のバスで園庭に避難していたところを、津波に襲われたそうです。
2つ目の記事は、児童74人(うち4人が行方不明)、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校での出来事を伝える記事です。

 園児33人が乗った大型バスは園内のブロック塀に引っ掛かって止まり、18人がいた小型バスは園から数百メートル離れた民家まで流された。

 濁流にのまれた車内は、天井近くまで水位が上がったという。職員はドアを開け、バスの屋根に園児らを引き上げた。
 大型バスにいた職員の一人は「バスの中で、浮いている子を外に出すので精いっぱい。それでも、手で水中を探り、感触のあった2人をリュックや服をつかんで外に出した」と振り返る。

 波が引いたのを見て、それぞれのバスから、園舎や民家の2階に逃れた。だが、大型バスでは園児7人が不明となり、17日までに3人が遺体で発見された。4人はまだ見つかっていない。小型バスでは園児1人と、職員中曽順子さん(49)が絶命した。

山元町を襲った大津波の証言

 「ゴーという音と一緒に、川から津波が襲ってきた。みんなで校庭の脇の山に登ろうとしたけど、間に合わなかった」。5年生の只野哲也君(11)も濁流に飲み込まれ、気が付くと山に中に体が半分埋まっていた。そばにいた友達に助け出され、九死に一生を得た。
 が、校庭で一緒にいたはずの2年生の妹は行方不明。祖父の安否は分らず、母は遺体で見つかった。父と祖母とは避難所でようやく再会できた。

 只野君の母は震災当日が誕生日だった。夜には家族みんなで盛大に誕生会を開くはずだった。「妹は誕生会の進行を考えていて、とても楽しみにしていたのに…」

 捜索が進む現場では、毎日のように子どもたちの遺体が見つかっている。むごたらしい現実を目の当たりにしてもなお、只野君は「みんな生きていてくれると信じたい」と「僕もくじけていられない」と自らを奮い立たせる。

 只野君の祖母アキ子さん(64)が、涙声で思いの丈を振り絞った。「私が死んだ方がましだった。哲也には、被害に遭った子どもたちの分もしっかり生きてほしい」

大川小学校を襲った津波の悲劇・石巻

次の2つの記事は、宮城県南三陸町の公立志津川病院での話を伝える記事です。志津川病院では、入院患者107人のうち72人が死亡・行方不明となり、看護師らも、3人の方が犠牲になっています。

 徐々に病室の水かさが増す。浮き上がる体と近づく天井。カーテンレールにつかまった。
 津波は、対策本部を置いた西棟最上階の5階会議室の一歩手前まで迫った。死を覚悟した看護師が自分の身元が分かるようにペンで腕に名前を書いた。医師の一人は、普段は治療の支障になると言って外していた結婚指輪を財布から取り出し、自分の指にはめた。
 第1波が引いたのは、波が押し寄せてから約30分後の午後4時ごろ。強烈な引き波が、さらに悲劇を招いた。
 運びきれなかった患者が電動ベッドごと海に向かって流される。「見るなーっ」。誰かが叫ぶ。
「目の前に患者がいるのに何もできない」。内科医菅野武さん(31)は無力感と絶望感を感じていた。
 対策本部で職員の後藤正博さん(48)は、妻の看護師弘美さん(46)がいないことに気付き青ざめる。「うそだべ」
 水位は4階で膝ぐらいまでに下がっていた。「ひろみーっ、ひろみ!」。東棟屋上から4階に下り、妻の姿を必死に探した。妻は見つからない。病室で生きている患者を発見し、「誰か下りてきてくれ」と声を張り上げた。
 内科医の菅野さんも周囲の看護師らに呼び掛けた。「今だったら行ける。患者を見殺しにしたくない」。泥水に漬かりながら、生存者を探しに4階へ下りた。
「先生、ここにいます!」。看護師が声を上げる。逆さまになったベッド。ばらばらになった医療器具。病室の惨状は津波の脅威を物語っていたが、それでも津波は天井まで達しなかった。うめき声が響く中、患者10人ほどを救い出した。

公立志津川病院の悲劇・惨劇■南三陸

避難者と患者、医療スタッフであふれる西棟5階会議室の対策本部。42人の入院患者は段ボールの上に寝かせた。スタッフはぬれた衣服を脱がせ、カーテンや新聞紙でとにかく暖めるが、患者の震えは止まらない。
「苦しい、寒い。どうにかして」「酸素、酸素…」。外は雪が降る寒さ。患者7人が次々と息を引き取った。医療機器はない。波をかぶった患者は低体温や窒息による低酸素で亡くなったとみられる。菅野さんは「酸素、点滴、電気があれば…」と唇をかむ。

公立志津川病院の悲劇・惨劇■南三陸

次の記事は、宮城県名取市の閖上地区に住んでいた方の話です。自宅で津波に襲われ、家ごと流されている途中に、見えてきた鉄塔に飛び移ったそうです。鉄塔の上で、絶望を感じ、生きる希望を失いかけていた時に、家族から届いたメールが支えとなったことを伝える記事です。

 はしごで鉄塔の中ほどに上ると、沖の方に第2波、第3波が見えました。東北学院のシーサイドハウス以外の建物は水没し、 閖上は全滅したと思いました。

 鉄塔にがれきがぶつかるたびに、振動が伝わってきました。雪と風が強くなり、しばらくすると手足に力が入らなくなりました。 「避難所の家族は死んだかもしれない。自分だけ生きていても仕方がない」。絶望で頭がいっぱいになりました。

 そんな時です。携帯電話が鳴りました。まず勤務先から電話が入って、励まされました。そして、妻からメールが届きました。 家族の無事を知ると力がわいてきました。

 波が引いた後、下に降りました。はだしだったので地面がとても冷たかったです。周りは、暗く何も見えません。朝まで寒さを しのごうと、がれきを集めて風よけを作り、ぬれているブルーシートを体に巻きました。

 朝を迎え、道なき道を歩き、3時間かけて閖上小に着きました。家族と再会し、自宅近くに住んでいた両親も、閖上中に無事避難していたことも知りました。あばらが痛く、足は凍傷になっていましたが、諦めないで良かったと思いました。

飛び移った鉄塔で死を覚悟 名取市・閖上

南三陸防災庁舎での話

宮城県の南三陸町に1つの震災遺構があります。解体される予定の南三陸町防災庁舎です。ご存知の方も多い防災庁舎であった悲劇ですが、改めてシェアしたいと思います。

次の記事は、防災庁舎を津波が襲った時の話です。防災庁舎では、町職員ら約30人が屋上に避難しましたが、助かったのは10人だけだったとのこです。

その時、南三陸町総務課の加藤信男さん(39)が構えたカメラの設定が正確ならば、3月11日午後3時34分だった。海岸から約500メートル離れた町防災対策庁舎を、巨大津波が直撃した。
「『決定的瞬間』とか『決死のシャッター』だとか、ほめられた話じゃない。こんな所まで津波は来ないと油断し、逃げ遅れた。反省、後悔…。つらい写真です」
 激しい揺れが襲った時、隣接する木造の町役場1階にいた。当時は企画課で広報を担当して3年目。「何かあったらすぐ写真を撮る。それが習慣になっていた」。揺れが収まると、使い慣れた一眼レフカメラを手に取った。
 書類が散乱した役場内、屋外の様子。「どうせ津波が来ても1、2メートル。その時は防災庁舎に上がればいい」。そう思いながら撮影を続けた。
「津波が来るぞ!」との声を聞き、加藤さんも庁舎屋上に上がった。
 レンズ越しに眼前に迫る津波を見ても「恐怖心はなかった」。波に足をすくわれ、われに返った。
(中略)
津波が迫る。職員らが屋上に続く階段を続々と駆け上がった。間もなく、巨大津波が屋上をたたく。何人かは、そびえる無線アンテナにしがみついた。
 加藤さんは首から提げていたカメラを、とっさにジャンパーの内側に入れた。屋上を流され、やっとのことで外階段の手すりにつかまった。階段の手すりに背を向け、柵に左足を絡めた。
 津波の猛烈な流れに押され、体は腰を支点にエビぞりになった。体を起こそうにも水圧に勝てない。水位がどんどん上がる。顔が激流にさらされ、沈み、水を飲んだ。
 死を覚悟したとき、胸ぐらをつかまれた。
「ほら頑張れ!」。そばで同じように津波に耐えていた副町長の遠藤健治さん(63)が、体を起こしてくれた。
 激流の中で遠藤さんの手が離れると、また潜った。「やっぱり駄目か」。諦めそうになると、遠藤さんがまた、胸ぐらをつかんで引き起こす。その繰り返し。生死の境を何度も行き来し、気付くと津波が引き始めた。

南三陸町を襲った大津波の証言

南三陸防災対策庁舎。2013年7月撮影。
南三陸防災対策庁舎。2013年7月撮影。
津波に襲われた時の防災庁舎屋上。出典元:南三陸町WEBサイトより
津波に襲われた時の防災庁舎屋上。出典元:南三陸町WEBサイトより

ご存知の方も多いかもしれませんが、南三陸町の職員、遠藤未希さんのことを伝える記事です。

「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」
 防災無線の呼び掛けが、多くの命を救った。だが、声の主の行方は震災から1カ月たった今も知れない。
 3月11日午後2時46分、宮城県南三陸町の防災対策庁舎2階にある危機管理課。町職員遠藤未希さん(24)は放送室に駆け込み、防災無線のマイクを握った。
「6メートルの津波が予想されます」「異常な潮の引き方です」「逃げてください」
 防災無線が30分も続いたころ、津波は庁舎に迫りつつあった。「もう駄目だ。避難しよう」。上司の指示で遠藤さんたちは、一斉に席を離れた。
 同僚は、遠藤さんが放送室から飛び出す姿を見ている。屋上へ逃げたはずだった。が、津波の後、屋上で生存が確認された10人の中に遠藤さんはいなかった。
 南三陸町の住民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いした。遠藤さんは、多くの同僚とともに果たすべき職責を全うした。
 遠藤さんは1986年、南三陸町の公立志津川病院で産声を上げた。待望の第1子に父清喜さん(56)と母美恵子さん(53)は「未来に希望を持って生きてほしい」との願いを込め「未希」と命名した。
 志津川高を卒業後、仙台市内の介護専門学校に入学。介護の仕事を志したが、地元での就職を望む両親の思いをくみ、町役場に就職した。同僚は「明るい性格。仕事は手際よくこなしていた」と言う。
 2010年7月17日、専門学校で知り合った男性(24)と、町役場に婚姻届を出した。職場仲間にも祝福され、2人は笑顔で記念写真に納まった。
 両親は当初、2人姉妹の長女が嫁ぐことに反対だった。「どうしてもこの人と結婚したい」。男性が婿養子になると申し出て、ようやく両親も折れた。ことし9月10日には、宮城県松島町のホテルで結婚式を挙げる予定だった。
 美恵子さんは「素直で我慢強い未希が人生で唯一、反抗したのが結婚の時。それだけ、良い相手と巡り合えたのは幸せだったと思う」と語る。
 遠藤さんの声は、住民の記憶に刻まれている。
 山内猛行さん(73)は防災無線を聞き、急いで高台に逃げた。「ただ事ではないと思った。一人でも多くの命を助けたいという一心で、呼び掛けてくれたんだろう」と感謝する。
 娘との再会を果たせずにいる清喜さんは、無念さを押し殺しながら、つぶやいた。
 「本当にご苦労さま。ありがとう」

防災庁舎の悲劇・南三陸町

4月23日、捜索隊により、志津川湾に浮かぶ荒島の北東約700メートルの地点で、遠藤未希さんのご遺体が発見されました。
遠藤さんのご遺体は、ご両親と前年7月に結婚したばかりの遠藤さんの夫が、写真によって、確認されたそうです。確認の決め手の一つとなった、左足首に巻かれたミサンガは、遠藤さんの夫からのプレゼントだったそうです。


<東日本大震災からまもなく3年 ~後編~ に続く>

 東日本大震災からまもなく3年 ~後編~
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