【復興支援ツアー2015】akaheruさんが聞いた「地元でしか聞けない話」 iRyota25 2016.02.29 4 1,879 0 3世代5人で東北を旅したakaheruさんが、こころに残ったと強調するのは語り部ガイドの方から聞いた話でした。 実際に被災された方の話を直に聞くことで、どう考えて行動し助かることができたのか、どういった判断ミスが起こって命を落としてしまったのかを、被災していない地域
【復興支援ツアー2015】バイキンマンさんが見つけた大切なこと iRyota25 2016.02.26 3 1,944 0 海から200mほどしか離れていない戸倉小学校(南三陸町)は、5年前の大津波で校舎がまるごと海に呑み込まれてしまいました。小学校の屋上は避難場所に指定されていたそうです。それでも児童は無事でした。お隣にあった保育所のこどもたちも無事でした。そのわけは――。 今回の復
陸前高田の坂道をのぼれば iRyota25 2016.02.26 1 2,830 0 陸前高田の町中を覆うかさ上げの土地に新しい道ができた。クルマを停める場所もなく、歩道もほとんどない道なので、友人にクルマを運転してもらって後部座席から写真を撮った。 この道は、高田第一中学の坂の下、かつて酔仙酒造の工場があった辺りから、駅前通りに直交し、大
戦争の足音の中にあった昭和三陸津波 iRyota25 2016.02.26 3 7,981 0 1933(昭和8)年3月3日午前2時31分――。 その時刻、三陸一帯はうっすら小雪に覆われ、氷点下10度前後の厳しい寒さのなかで寝静まっていた。そこに突如として襲ってきた震度5の強震であった。 「人々は夢もなかばに驚いて起き出て、あるいは陰惨の空を仰いで、あるいは海を臨ん
【語り継ぐ戦争】軍人手帳と戦陣訓 iRyota25 2016.02.24 1 3,313 0 「平和のための戦争展」で生まれて初めて軍人手帳の実物を見た。日本陸軍の軍装を象徴するカーキ色というよりは、モスグリーンに近い表紙の手帳だったが、実物を見ると軍人手「諜」と記されていた。この言葉遣いにどれほどの意味があるのかは分からなかったが、諜報・間諜・防
不可能と言われた「朝日のあたる家」のDVD化が決定 iRyota25 2016.02.24 1 1,642 0 映画「朝日のあたる家」予告編 NO1 出演/並樹史朗、斉藤とも子、平沢いずみ、橋本わかな、藤波心、いしだ壱成、山本太郎。監督は「ストロベリーフィールズ」「青い青い空」の太田隆文。 太田隆文監督は『製作日記』で「残念ながらDVDにはなりません」と明言していた。しか
ビキニ環礁の青い海のパラドックス iRyota25 2016.02.23 3 8,579 1 青い青い空と海が広がるサンゴ礁の海、世界遺産にも登録されている太平洋のビキニ環礁。ユネスコのホームページに掲載された写真によると、島にはこんなサインボードが建てられているらしい。 WELCOME TO THE BEAUTIFUL ISLANDS OF BIKINI 50 YEARS OF BRAVO BOMB ボードに記
宮古市鍬ヶ崎「記憶の街」 iRyota25 2016.02.23 1 2,583 0 岩手県宮古市の「シーピアなあど」に、宮古の港町、鍬ヶ崎(くわがさき)の町の模型が展示されている。シーピアなあどは道の駅とみなとオアシスを兼ねる全国でも珍しい施設。観光拠点としてイベントが開催されることも多く、休日には多くの人が集まる場所だ。 会場に展示され
「高層」災害公営住宅から見た気仙沼の今 iRyota25 2016.02.19 2 3,385 0 とても高い場所、鳥でもなければ届かないくらい高い場所から見た気仙沼の風景です。鳥じゃない人間がここまで登って行けたのは、それはそこに大きな高い建物が、それも震災の後に建設された災害公営住宅が建っているからです。 気仙沼の町、とくに以前南気仙沼駅があったあた
「ちょっと寂しさも」陸前高田のコンベア解体 iRyota25 2016.02.19 4 4,814 0 ずっとその場所にあるような気持ちでいた。風が吹けば顔面に細かい砂粒がぶつかってくるし、かつての町なかだった場所に1時間もいれば、クルマはサンドイエローに塗装されたかのように汚れる。髪の毛はホコリでぼさぼさになるし、心なしか鼻毛まで少し伸びるような気がする。
ヒロシマからの道「人影の石」 iRyota25 2016.02.18 3 18,231 0 表現は不適切かもしれません。しかしあまりにも「有名な」人影の石は広島平和記念資料館の中ほどに展示されています。気のせいか、人影は時間経過の中で少し薄れているようにも感じられます。 人影の石については、原爆の閃光を至近距離で受けた人が一瞬のうちに蒸発して、石
【遺構と記憶】小さな震災遺構を探して iRyota25 2016.02.17 1 2,576 0 少し前のことですが、大川小学校の校舎保存をめぐる意見交換会が行われたそうです。遺族の人たちによる小さな命の意味を考える会のホームページから一部を引用させていただきます。 12月13日に、校舎保存についての意見交換会が行われました。 校舎を保存するかどうかは、校舎
【遺構と記憶】南三陸の防災庁舎2016年 iRyota25 2016.02.05 2 5,170 1 南三陸町、志津川の町を車で走ると、別の世界に来たような気持ちになる。夜中に走っていると、まるで海の上を走っているかのような錯覚に囚われてしまう。それくらい、町のかさ上げは高い。かつて町があった場所には、まるで中央アメリカのピラミッドを思わせるような高い盛土
ヒロシマからの道「3人の中学生」 iRyota25 2016.02.05 1 17,920 0 広島平和記念資料館の順路を歩く人たちの足が止まる場所。一瞬、そこにひとりの少年が佇んでいるように見えるのです。彼の体は竹でできていて、遺品である衣服を支えるための竹の骨格が、彼の本当の体の骨のように思えてきます。 中学生の遺品 爆心地から900メートル 小網町
【復興支援ツアー2015】《リポート》防災のこころをもう一度確かめる旅 by iRyota25 iRyota25 2016.02.05 2 8,316 0 1日目(1月9日) 新幹線で一関へ、一関からは大船渡線で気仙沼へ。1日目のアテンドをお願いしたHさんと合流。陸前高田の知り合いたちがソウルフードだと言う「みつわ飯店」さんで遅めの昼食。 みつわ飯店さんは陸前高田の町の真ん中にあった中華料理店。美味しいのはもとより
大時計の針は津波の時刻を示したまま iRyota25 2016.02.04 1 3,781 0 山田町の海辺近くにこんもりと盛り上がった小さな丘、御蔵山。標高は10メートルほどながら、震災の後、変化し続ける町の姿を見渡す出来る場所だ。 その丘の上に建てられた展示ブースに、かなり大きな、そしてユニークなデザインの時計が置かれている。 時計はかつて、JR陸中山
御蔵山の「鎮魂と希望の鐘」 iRyota25 2016.02.04 0 4,595 0 山田町の御蔵山は、岸壁と山田町役場のちょうど中間くらいに位置する、標高10メートルほどの小高い丘。御蔵山の一角、海を臨む場所に震災から2012年3月11日、設置されたのが「鎮魂と希望の鐘」だ。 Bell of Requiem and Hope 鎮魂と希望の鐘を設置したのは山田ロータリークラ
田老名物「どんこから揚げ丼」たまにはテイクアウトで iRyota25 2016.02.03 2 3,195 0 たろちゃんハウスを久しぶりに訪ねた。宮古市田老の人たちが暮らす仮設団地で最大規模のグリーンピア三陸みやこ。たろちゃんハウスはその敷地内にある。お目当てのひとつは善助屋食堂の「どんこから揚げ丼」。 のれんをくぐるとドアに貼り紙が どきっとした。こういう貼り紙は
山田町に現れた「新しい町」パーマネントな商店街 iRyota25 2016.02.03 2 2,980 0 山田町の45号線のコンビニに入ったら、そこはまさに新しい街並みが生まれようとしている場所。仮設とか本設という言葉の代わりに、最近ではコンテンポラリーとパーマネントという言葉を聞くことがよくあるが、この商店街はまさにパーマネントな施設として誕生したものだった。
御蔵山から見た山田の町並み iRyota25 2016.02.03 2 3,842 0 御蔵山(おぐらやま)は年貢米を貯蔵する蔵のあった場所だという。岩手県山田町の港から西へ200メートルほどの場所にある小高い丘だ。この地に年貢米を貯蔵する蔵があったことは江戸時代初期の古い記録にも残されているそうだ。 丘に上ると正面に山田湾が一望できる。もちろん
海辺の町に家を建ち上げる iRyota25 2016.02.02 1 1,690 0 山田町から宮古市へ海辺の国道を走っていると「あっ上棟式!」 神主さんや施主さんはまだ来ていなかったみたいだが、立派な鏑矢と蟇目矢の破魔矢が朝日に明るく輝いていた。 破魔矢の鏑矢、蟇目矢には鶴と亀も描かれていて、千年万年この家を守ってほしいとの願いが伝わってく
人と人が関わることって(2) 私、取材は嫌いです。 iRyota25 2016.01.31 1 1,113 0 1月30日のNHKスペシャルを途中から観た。何日も前から息子が、この日のこの時間はこの番組を見るんだと言い張っていた番組でもあった。しかし息子は数十分くらい過ぎたところで「オヤジ、テレビやってるぞ」と言ったきり自室にこもった。 途中からしか観ていない番組だから、
人と人が関わることって(1) 嫌いなヤツを助けるか? iRyota25 2016.01.31 0 1,315 0 土曜日の朝のテレビを見ていて、数年前のイベントでのやり取りを思い出した。 きっかけとなったテレビはNHKの「東北発未来塾」。震災後ずっと傾聴活動を続ける金田諦應(かねたたいおう)さん、宮城県栗原市通大寺の住職さんが、若者たちと傾聴ボランティアを立ち上げる内容だ
ヒロシマからの道「火の球」 iRyota25 2016.01.29 3 5,986 0 これまで何回かに渡って紹介してきた原爆被害者の遺品が並ぶ展示の中央には、被爆した直後の町を復元したジオラマ模型が展示されています。展示の名称は「破壊された広島市街地の模型パノラマ」。 原爆によってなぎ倒され、焼け野原にされた町の中央に浮かぶ赤い玉は、原爆の
いまだけの風景「まちづくりが進む久之浜」 iRyota25 2016.01.29 2 2,584 0 いわき市久之浜の諏訪神社から海を望むと、そこはかさ上げの土の山。かつてコバルトブルーの太平洋が見えた場所から海の景色が消えた。 震災の翌日、3月12日の朝、赤い赤い日の出が見えたという、海に続く路地からも海は見えなくなった。当時諏訪神社の禰宜だった高木優美さん