陸前高田の町中を覆うかさ上げの土地に新しい道ができた。クルマを停める場所もなく、歩道もほとんどない道なので、友人にクルマを運転してもらって後部座席から写真を撮った。
この道は、高田第一中学の坂の下、かつて酔仙酒造の工場があった辺りから、駅前通りに直交し、大町を通って、鉤の手状のカーブをカクカクと曲がり、高田小学校や高田高校方面を結ぶ道。買い物客や散歩する人、通学途中の小中高校生たちが歩いていた道。そして夏の祭り「うごく七夕」がきらびやかな光と勇壮なお囃子を響かせて進んだ道。
酔仙酒造前から走り始めてすぐに坂道が始まる。かさ上げされた「新しい土地」へのぼっていく坂道だ。
この辺りのかさ上げの高さは14mほど。もともと標高が低い土地だから、10m以上の標高差をクルマはのぼっていくことになる。
路面に排水のためか、スリップ防止のためか溝が刻まれている。つまりそれだけ勾配が急だということ。雪が降った日にはちょっと緊張しそうな急坂だ。
坂をのぼりきると、急に空が広くなる。景色がまるで違って見える。
見たことのないくらいに平坦な(GPS搭載の重機で整地しているのだから当然だ)、まるで飛行場のような土地が広がる。
この盛土された新しい土地の下に、かつての町が、そして道がある。高田の松原や国道45号線に並行して東西に走っていた東浜街道も高田街道も、そして海辺から町中を結んでいた道も、ほとんどがこの盛土の下。
向こうに見えるのは箱根山? さあどうだろう、広田半島の方だよ。
あまりにもまっ平らな土地のせいか、自然の山の山並みが印象深く見えてしまう。
道の反対側はまだかさ上げされていない。前方に災害公営住宅として陸前高田で最初に造られた下和野団地の建物や高田小学校が見えている。
坂は下りに転じる。逆光の大地の向こうに杭打ち機のシルエットがいくつも連なる。液状化した地盤を固め、これから造成される場所ということか。
かさ上げ道路に遮られ、それでも海の方へのびる道。この道は去年の夏の「うごく七夕」でお祭り広場になった道。
下和野団地の前にクルマを停めてかさ上げ道路を振り返る。
側溝もなく、仮設ガードレールが設置されたこの道は本設の(パーマネントな)道路ではない。工事全体の進捗に合わせて、そのうち他の場所に付け替えられて、改めて道路工事が進められることになるのだろう。
去年の夏、お祭り広場になった道。本当はこの道も閉鎖されていたのだが、祭りの日限定でゲートを開けてもらった道。今はがらんとした空間が広がるばかりだが、半年前のこの場所の興奮がよみがえる。そしてさらに津波の前には、高田の人たちの声があふれていた場所。
その場所を見下ろすように建つ立派な建物は、下和野の災害公営住宅だ。その後ろには高田小学校がある。
女川の友人に聞いた話だが、小学生の間では「学校坂道」の歌がいまも歌い継がれているらしい。盛土で標高が変わった町では、学校坂の坂道の勾配もきっと変わっていくだろう。その勾配がこれからの子どもたちの学校坂道になる。
新しいこの土地を造った重機たち。この場所に今はまだ人の気配はしない。休みの日、まるで整列するように重機が並んでいるのは、きっとオペレーターの心意気。人の手で町をつくっていることを示す心意気。「ここに人がいるぞ!」というアピールに思える。
陸前高田の盛土の上につけられた新しい道、仮の道。まったいらな造成地の上に、やがて新しい町ができていくことはわかる。しかしやはり、今はまだちょっとさみしい。
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