表現は不適切かもしれません。しかしあまりにも「有名な」人影の石は広島平和記念資料館の中ほどに展示されています。気のせいか、人影は時間経過の中で少し薄れているようにも感じられます。
人影の石については、原爆の閃光を至近距離で受けた人が一瞬のうちに蒸発して、石材に染み込むような影だけが残ったという話が、まるで伝説のように、長い期間にわたって語り継がれてきました。耳にしたことがある人も多いでしょう。
人影の石について平和記念資料館は次のように説明しています。
人影の石
Human Shadow Etched in Stone
住友銀行広島支店寄贈
爆心地から260m 紙屋町
入口の階段に腰掛けて銀行の開店を待っていた人は、原爆の閃光を受けて大火傷を負い、逃げることもできないまま、その場で死亡したものと思われます。強烈な熱線により周りの石段の表面は白っぽく変化し、その人が腰掛けていた部分が影のように黒っぽく残りました。この人影については、自分の親戚のものではないかという申し出が、複数のご遺族から寄せられています。
平和記念資料館のキャプション
人間が影になったのではなく、人の影になった石材だけが元の状態で、閃光に曝された部分が白っぽく変質したため影のように見えるという解説です。同様な説明も含めて「人影の石」については多くの情報があふれています。
この場所で亡くなられた人を避難所へ運んだという証言や、ここで亡くなった方の娘さんが、遺骨の代わりに石材の一部を銀行から譲り受けたという話もあります。10数年前には専門家による分析で影の部分から炭素に由来する物質が検出されたという報道もありました。原爆の閃光では人間は蒸発しないという説明もあります。ネット上には骨くらいは残るといった意見も掲載されています。
それでも、この場所で大火傷を負い逃れることすらできずに亡くなった人がいたことは事実です。その方だけではなく、爆心地の近くで多くの命が奪われたのも事実です。遺体すら見つからなかったということも多かったことが、原爆の恐ろしさを物語る「影しか残らなかった」という話につながったのかもしれません。
「影しか残らない」という話がこれほど広く、そして長期間にわたって語り継がれてきたのは、原爆の恐ろしさや残酷さが結晶したひとつのイメージとして、時代を越えて人々の心を抉ってきたからに違いありません。私たちが共有する原爆に対する感情の中心にある恐怖感と言ってもいいかもしれません。原爆投下から9年後、スクリーンに現れたゴジラの「水爆大怪獣」という設定をごく自然に受け入れた心情にも通じるものを感じます。
人間が影になるという話は、この場所で亡くなられた方を冒涜しているようにも思えますが、たとえ影になることはなくとも、熱線によってただれた体で苦しみながら、そして命を奪われたことは事実なのです。
人影の石は1945年8月6日午前8時15分、爆心地から260mしか離れていな紙屋町の住友銀行(当時は大阪銀行)の入口の石段にその人がいたことの証です。そして同時に私たちが核兵器に対して抱いている、これ以上ないほど強烈なマイナス感情の、そしてその感情が多くの人々に共通することの象徴でもあるようです。
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