「高層」災害公営住宅から見た気仙沼の今

iRyota25

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とても高い場所、鳥でもなければ届かないくらい高い場所から見た気仙沼の風景です。鳥じゃない人間がここまで登って行けたのは、それはそこに大きな高い建物が、それも震災の後に建設された災害公営住宅が建っているからです。

気仙沼の町、とくに以前南気仙沼駅があったあたりの変わりようといったら、ひと月ごとに景色ががらっと変わるほど。そんな気仙沼のある日の景色をご覧ください。

気仙沼を流れる大川の対岸でも大きなビルの建設が進みます。あと数カ月もすれば入居が始まるだろう災害公営住宅。その建設中のビルに、すでに去年には被災された方々の入居が始まった10階建ての災害公営住宅の姿が映っています。

そうです、10階なんです。

この災害公営住宅の団地は、10階建ての他に6階建てが2棟。それからコミュニティセンターも設置されています。気仙沼のまちなかでは最初に入居が始まった大規模な公営住宅です。

落ち着きがなくてごめんなさい。もう一度大川の方を見ての写真です。建設中のビルの向こうにも、水産加工会社の工場やら、たくさんの建物が建てられていたり、建設中だったりするのがわかるでしょう。

川の上流の方を見てみると、何事もなかった街並みのよう見えますが、両岸とも川を遡ってきた津波で被害を受けた地域です。今でもその当時の姿のままで撤去すらされずに残っている住宅もあるほど。川の堤には桜並木があったそうですが、こちらはすでに撤去されているようです。春の桜の満開のころ、この高さから眺めることができたら、さぞかし美しかったことでしょう。

しかし桜並木があった頃、そんな高さから町を眺めることなんかできない相談でした。なぜならこの場所は元々、南気仙沼小学校があった場所だから。そうそう、マジシャンでタレントのマギー審司の出身校でもあるそうです。

団地の入口には当時の校門の門柱がモニュメントとして建てられています。

南気仙沼小学校は津波で建物の1階部分が水没。気仙沼のまちなかでは最も被害が大きかったといわれています。震災後は、大川を渡った先の山の上にある気仙沼小学校の空き教室で授業を再開しましたが、その後、気仙沼小学校と合併しています。

高齢の方の多い東北の災害公営住宅では、1階から住居があるものも多いし、1階には入居希望がとても多いと聞いています。しかしここでは1階は自転車置き場とコンテナルーム。居住スペースはつくられていません。

赤い建物は6階建て。その北側に10階建ての建物があります。先ほどまで上空からの景色を眺めていた建物です。ちょっと気にして見てほしいことが2つほど。ひとつは建物の外壁の色が途中で変わっていること。そしてもうひとつは建物の最上階に緑色のマークが記されていることです。

建物の外壁は3階部分で色が塗り分けられているのがわかりますね。これには意味があるのです。かつてこの場所にあった南気仙沼小学校の校舎は3階建て。その当時の記憶を少しでも残したい。いまでは大きな建物が建っているけど、南気仙沼小学校だった頃にはこれくらいの高さだったんだと思い浮かべることができるようにしたい。そんな意味で塗り分けが行われたそうです。

10階建てのビルの10階にある緑色のマークは「津波避難ビル」のマーク。

ビルの上から街並みを眺めた写真でもお分かりの通り、大川沿いの地域は右岸も左岸も浸水によって大きな被害がありました。川を渡った対岸は大規模なかさ上げやビル建設が進んでいますが、ビルのあるこちら側には震災当時の街並みが残っています。

もしも津波が再来した時に、町の人達が命を守るための場所であるために、この高層災害公営住宅は津波避難タワーになっているのです。

ここは気仙沼の南郷住宅。津波を乗り越えた人たちが新たに生活を始めた災害公営住宅です。この住宅団地には津波に負けない工夫、気仙沼という町の特徴を生かしたたくさんの工夫が盛り込まれています。機会があればちょっとだけ見せてもらってはいかがでしょう。ただこの場所はたくさんの人たちの生活の場となっているところ。居住されている人たちへのご配慮はお忘れなく。

南郷住宅(旧・南気仙沼小学校)

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