ヒロシマからの道「オバマ大統領スピーチ全文」 iRyota25 2016.05.28 5 8,149 0 「過ちは繰返しませぬから」という言葉が刻まれた原爆死没者慰霊碑の前で、アメリカのオバマ大統領が行ったスピーチ。「過ち」が何であるのか、「繰返さない」未来がどんなものなのかが語られていた。 バラク・オバマ氏はアメリカ大統領に就任した2009年、チェコの首都プラハ
ヒロシマからの道「原爆の子の像に畳み込まれたことばの意味」 iRyota25 2016.05.13 5 10,544 0 「原爆の子の像」という名称に私は衝撃を受け続けています。最初にその存在を知ったのは小学生の頃。ショーワノートの口絵か、教科書の副読本ででした。折り鶴を掲げた少女が乗ったドーム型の記念碑の印象もさることながら、キャプションとして付けられていた「原爆の子の像」
ヒロシマからの道「原爆ドームへの道」 iRyota25 2016.05.11 5 9,109 0 2016年5月10日、アメリカのバラク・オバマ大統領が、現職のアメリカ大統領として初めて被爆地ヒロシマを訪れることになったというニュースが世界を駆け巡りました。 ニュースでは「広島平和公園を訪問」と伝えられるだけで、具体的な訪問スケジュールは明らかにされていません
ヒロシマからの道「2016年5月27日、焦土に咲いたもうひとつの花」 iRyota25 2016.05.27 4 2,152 0 オバマ大統領のヒロシマでのスピーチが続いている。 「核兵器をなくすだけでは十分ではありません。たとえ粗末なライフルや爆発物であっても、人が人を殺傷するということ。私たちは私たちのマインドセットを変えなければなりません。私たちが過去に犯してきた過去から学ぶこ
ヒロシマからの道「謝罪」 iRyota25 2016.05.26 3 3,762 0 「ちちをかえせ ははをかえせ」と訴える峠三吉氏の詩の碑は原爆記念資料館の北東の木立の中にひっそりと建てられている。 詩の有名さからすると意外なほどにひっそりと。 わたくし事になるが、私は祖母を知らない。私の母方の祖母は、ヒロシマとナガサキに原爆が投下される約5
ヒロシマからの道「オバマ大統領が目にするパネル」 iRyota25 2016.05.26 2 9,263 0 2016年5月27日、アメリカの現役大統領として初めてオバマ氏がヒロシマを訪れることになる。平和記念資料館でオバマ大統領が目にすることになるだろうパネルの一部を紹介しようと思う。オバマ氏は、そして案内する安倍総理はこれらのパネルを目にして何を思うのだろうか。 第一
ヒロシマからの道「会うことのなかった父親の形見」 iRyota25 2016.04.11 3 4,753 0 「被爆した最後の館長」と呼ばれる畑口實さん(70歳)のお父さんの懐中時計とベルトのバックルは、いま広島平和記念資料館(原爆資料館)に展示されています。 文字盤が読めないほど焼け焦げた懐中時計 展示の説明書きには、簡潔に次のように記されています。 懐中時計とバッ
ヒロシマからの道「人影の石」 iRyota25 2016.02.18 3 18,231 0 表現は不適切かもしれません。しかしあまりにも「有名な」人影の石は広島平和記念資料館の中ほどに展示されています。気のせいか、人影は時間経過の中で少し薄れているようにも感じられます。 人影の石については、原爆の閃光を至近距離で受けた人が一瞬のうちに蒸発して、石
ヒロシマからの道「どうしてヒロシマとカタカナで書くのですか?」 iRyota25 2015.11.17 8 22,974 0 原爆ドームの鉄柵の中、みどりの芝生に黒猫がいます。黒猫は不吉という連想もあるかもしれませんが、この猫は端正で、とてもお行儀がいいのです。姿勢を正すようにしずかに芝生の上に座ると、くるりと尻尾を足下に巻いて、人間でいうなら正座している風情なのです。鳴き声を立
ヒロシマからの道「韓国人犠牲者慰霊の碑」 iRyota25 2016.05.26 1 3,376 0 サミットが始まった。世界の今日明日がどうなるのか注目される一方、首脳会議の終了後、アメリカのオバマ大統領がヒロシマを訪問することにも世界の人々の関心を集めている。 セキュリティの問題もあってオバマ大統領の広島訪問の詳細なスケジュールは明らかにされてはいない
ヒロシマからの道「厚紙を入れた中学生の靴」 iRyota25 2016.01.11 4 4,871 0 説明パネルに記された一言が、亡くなられた佐々木一彦さんの人となりを彷彿させてくれます。多くの言葉はいりません。 中学生の靴 佐々木綾子氏寄贈 爆心地から900m 雑魚場町(現在の国泰寺町) 県立広島第一中学校1年生の佐々木一彦さん(当時12歳)は、建物疎開作業の待機中
ヒロシマからの道「火の球」 iRyota25 2016.01.29 3 5,986 0 これまで何回かに渡って紹介してきた原爆被害者の遺品が並ぶ展示の中央には、被爆した直後の町を復元したジオラマ模型が展示されています。展示の名称は「破壊された広島市街地の模型パノラマ」。 原爆によってなぎ倒され、焼け野原にされた町の中央に浮かぶ赤い玉は、原爆の
ヒロシマからの道「負傷した巡査が発行した罹災証明書」 iRyota25 2016.01.06 3 6,116 0 広島平和記念資料館に寄贈された遺品を中心に紹介してきましたが、2016年の始まりにあたり、順路を先回りして一枚の写真を紹介させていただきます。 ケガをして、ボロ布のような三角巾のようなものを頭に巻きつけているのは、宇品警察署の藤田巡査だとされます。写真の説明を
ヒロシマからの道「死んでからも三輪車で遊べるように」 iRyota25 2016.01.21 2 8,238 0 平和記念資料館の順路の中ほどに、たくさんの人の注目を集める遺品が展示されています。近くからはすすり泣きの声も聞こえてきます。 三輪車、鉄かぶと 銕谷信男氏寄贈 爆心地から1,500m 東日本大震災白島町 銕谷伸一(てつたにしんいち)ちゃん(当時3歳11か月)は、三輪車乗
ヒロシマからの道「一部に焦げた跡が残っています」 iRyota25 2015.12.17 3 5,683 0 この写真が何だか分かりますか。遺品に添えられたキャプションは短いですが、たくさんのことを物語っています。 遺髪 日室雅恵氏寄贈 爆心地から900m 小網町 安芸高等女学校1年生の青谷照子さん(当時13歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。全身に大やけどを負いましたが
ヒロシマからの道「中学生の学生ズボン」 iRyota25 2015.12.11 3 4,620 0 県立広島第一中学校3年生の秋田耕三さん(当時15歳)は、建物疎開作業現場で被爆しました。ふだん動員されていた己斐(こい)の工場までたどり着きましたが、かけつけた両親にみとられて死亡しました。 手帳と、おそらく手帳を入れていた袋、そして帽子、その奥にはきちんと並
ヒロシマからの道「ここは中島という町なのです」 iRyota25 2015.11.18 4 4,191 0 ごめんなさい。忘れていました。物心ついた子供の頃からこの場所はずっと平和記念公園で、原爆ドームまで広々と見渡せる場所だったから。 元安川と本川に囲まれたこの地域は昔から中島と呼ばれる広島の町の中心。被爆時には約6,500人の人々がこの町に住んでいたそうです。当時
ヒロシマからの道「食べることのなかったお弁当」 iRyota25 2015.12.25 2 8,310 0 その日の朝、お母さんが作ったであろうお弁当。食べられることなく、炭化してしまったお弁当。炭になってしまったお弁当を、お母さんはどんな気持ちで持ち続けてきたのでしょう。捨てられなかった気持ち、そして平和記念資料館に寄贈した気持ち。 弁当箱 折免シゲコ氏寄贈 爆
ヒロシマからの道「訪れる人の力を集めたら…」 iRyota25 2015.11.17 3 5,008 0 平和記念公園からまっすぐ向かったその先に原爆ドームが見えます。「過ちは繰返しませぬから」という有名な言葉の先に原爆ドームが見えるのです。 ここは「繰返しませぬ」という決意の出発点? それとも原爆ドームからの帰着点? 複雑な、不思議な気持ちになってしまいます。
ヒロシマからの道「3人の中学生」 iRyota25 2016.02.05 1 17,920 0 広島平和記念資料館の順路を歩く人たちの足が止まる場所。一瞬、そこにひとりの少年が佇んでいるように見えるのです。彼の体は竹でできていて、遺品である衣服を支えるための竹の骨格が、彼の本当の体の骨のように思えてきます。 中学生の遺品 爆心地から900メートル 小網町
ヒロシマからの道「13歳女学生の夏の制服」 iRyota25 2015.12.04 2 7,667 0 大下靖子(おおしたのぶこ)さんは県立広島第一高等女学校に通う1年生でした。その日は建物疎開作業のため、爆心地に近い土橋地区で被爆されたそうです。彼女の夏の制服が、平和記念資料館に寄贈されています。 靖子さんの遺品に添えられた説明文を引用します。 女学生の夏服
ヒロシマからの道「パパさまの言葉」 iRyota25 2015.11.26 2 4,077 0 平和記念資料館(原爆資料館)に到着しました。次回からしばらくの間、資料館に展示されているものについて、写真を中心に紹介させていただくつもりです。涙が溢れてきたり、ただ呆然とする他ないような展示品も少なくないでしょう。 つい「展示品」という言葉を使ってしまい