平和記念資料館(原爆資料館)に到着しました。次回からしばらくの間、資料館に展示されているものについて、写真を中心に紹介させていただくつもりです。涙が溢れてきたり、ただ呆然とする他ないような展示品も少なくないでしょう。
つい「展示品」という言葉を使ってしまいますが、資料館に並べられているものの多く(ジオラマやレプリカ以外)は「遺品」です。遺品をとおして70年前、広島に生き、広島の地で亡くなった人たちと向かい合うために、パパさま・ヨハネ・パウロ二世の言葉を紹介させていただきます。
(注:私はクリスチャンではありませんが、ヨハネ・パウロ二世と呼び捨てにすることに強い抵抗を感じています。法王が来日された時、カトリック信者の知人が法王をパパさまと呼ばれていたことに倣い、尊敬をこめてパパさまと呼ばせてもらいます)
パパさまの言葉は平和記念資料館を入った左手に、大きな石に小さな文字で刻まれています。チケットを求めた後に振り返った時にちょうど視線に入る場所に、国家や民族、性別、宗教、言語、思想、貧富などあらゆる区別をこえて、人類に向き合おうとした人の言葉がそこに呼吸しているのを目の当たりにします。
戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命を奪います。戦争は死そのものです。過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。ヒロシマを考えることは、平和に対して責任を取ることです。
ローマ法王平和アピール碑
さあ資料館の中に入りましょう。ここは「ヒロシマからの道」がはじまる場所のひとつです。
これから目にするもののすべては、「誰か」のではなく「わたし」の、そして「わたしたち」のしわざに他ならないのです。
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