暮れから正月にかけて、そして節分・立春のあたりは毎年娘の機嫌が悪いのですが、ことしは「別格」です。
気圧がわかるアプリが促してくれる注意・警戒の通りになった時は「やっぱりね」と少しは納得できるものの、実際のところは「大なり小なりほぼ毎日パニックがある」ような状況が続いています。
何しろ体が大きくなったので、大きなパニックになったときは男親のわたしでも制することができず、先日は駐車場でクルマから降りたあと、髪の毛をつかまれ、洋服の襟を噛まれたまま地べたに座り込まれ、20分以上なだめていました。
そんなときはどうする?
ワーワーわめき散らす子供と髪をつかまれた親が座り込んだまま身動き取れない状態を見かけたら、まわりの人は困ってしまうと思います。それについて、過去の投稿でこんなことを書きました。
・声をかける?かけない?
新聞投稿のお母さんは後半にこう書いています。
「『泣いたり暴れたりしている子がいたら、声をかけてあげて』と簡単に言えないのが、発達障害の難しいところです。」
そうなんです。たとえばウチの娘はそんな時に声をかけられて母親が別の人の相手をしたりすると余計に怒ってしまうので、その点に関しては「放っておいてもらう」のが助かります。
でも、「カバンから(娘にあげるための)お茶やお菓子を出したい」という場合は声をかけてくれると助かります(お菓子で娘の気が紛れるようなこともよくあるので)。本当に人によって、時と場合によっていろいろで「こういう時はこうして欲しい」という共通の解はありません。
「じゃあどうすればいいの」と問われると言葉がありませんが、ここで再び投稿者の方の言葉を引用します。
「不思議な行動をしている人を嘲笑しない、『親のしつけが悪い』『本人の努力が足りない』『わがままだ、甘えだ』と決め付けない。それも優しさだと思います。」
妻は、道端で娘がパニックを起こして動けなくなった時のことについて「通りすがりの人は『なんだ?この親子』って思ってるだろうね」なんて話をよくします。でも最近では「自閉症をもっとよく知ってもらうために」と開き直って「このヘンな光景をみんなに見てもらって町の名物になってやれ(笑)」なんて言ったりもしています。
近所の方や友達家族など、娘のことを知ってくださっている方はこのように「優しく放っておいてくれる」ことが多いです。
例えばわが家に友達家族が遊びに来てくれてお酒や料理を楽しんでいる。でも娘が大パニックになってしまった。そんな時
「ごめんね、大変そうだからきょうは帰るね」
なんて気を遣わせてしまうのが、こちらとしてはいちばん申し訳なく、悲しいパターン。
わたしの希望としては「あらあら大変だ。ちょっとしたら気分が変わるといいね」ぐらいの気持ちでそのままお酒や料理を楽しんでいて欲しいです(笑)。本当に困ったときには助けを求めるので、それまでは適度な距離を保ったまま、優しく放っておいてくれたらうれしいです。
まあこれも「慣れ」という手間を「お願いする」ことになるわけですけど…わたしもママもおいしいものやお酒が大好きなのに(たとえコロナ禍でなくても)外食が難しい。だから「どうかわが家に遊びに来てください。いろんなことがありますが、どれも日常です」といった感じです(*^-^*)。
「まわりの人」の効能
娘に引っ張られた髪の毛はボッサボサ。娘の気分が変わってくれるまで「中年男、なすすべなし」と言った感じの姿を人に見られることに関して、かっこ悪いとか恥ずかしい気持ちがないわけではありません。やっぱりそれはあります。
しかしそこで「娘と自分以外の存在が意識されること」はある意味で客観視のきっかけになります。
「人の目を気にする」という言葉は良い意味では使われないことが多いですが、人の目を借りる」とか「人の感覚を借りる」ことでもあると思うのです。
暴れる娘に入れ込んで集中しすぎると、こちらも興奮してカーッとなってしまいそうになることは否定できません。でもそれが事態の好転につながることなんてこれっぽっちもないのです。
だからこそ「ひとりじゃない」こと、「閉じない」ことが大切だと思っていて、できる範囲で娘といろんなところに出かけ、家にはいろんな人に来てもらい「わが家の日常」を見てもらうようにしています。
さあ春ですね。娘がこの不機嫌な冬に別れを告げて、笑顔の時間が増えてくれるよう、激しく願っています。
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