新長田駅前の緊急避難場所サイン

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阪神淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の新長田駅前広場に、避難場所を示すサインが掲示されている。すっきりしたデザイン。一見して誰にでも分かりやすい優れた看板だと直感したのだが、よくよく見てみると案外わかりにくいものだった。

サインボードは大きなものではなく、駅前などによくある避難場所表示板ほどだが、ここにはたくさんの要素が詰め込まれている。このサインボードに詰め込まれている情報をピックアップしながら問題点をあげてみる。

文字が小さい

一番上には「緊急避難場所」と大きく記されている。ひらがなのルビもふられている。英語、中国語、ハングルに加えて、「災害で 危ないとき すぐ 来る所」との一文もある。この説明文の漢字にもルビがふられている。

しかし、いかんせん、外国語や漢字のルビが小さい。加えて、「災害で危ない時、すぐ来る場所」という説明が、はたして分かりやすいと言えるかどうか。緊急避難場所という言葉を単に訓み下しただけで、その意味を十分に説明しているとは思えない(後述)。

大きく表示されたマルとバツ

タイトルの次に大きく表示されているがマルとバツだ。「地震・大火」が「○」で、「津波」が「×」という表記を直感的に理解できる人はどれくらいいるだろうか。

私は戸惑った。とくに「×」のインパクトが強くて、看板が意味するところを理解しようとする頭の働きがスローモーになったように感じた。

想像してみた。もしもほとんど土地勘がない旅行者としてこの町に来ているときに大災害に見舞われたとしたら。たまたま知人の幼い子どもを預かっていたり、外国からのお客さんをアテンドしていたりして、その人たちを安全に誘導しなければならない状況だったとしたら……。

災害ともなれば頭の中はパニックで真っ白だろう。しかも土地勘がないのだ。避難するにもどこに逃げればいいのか分からない。多くの人が走っていく方に行けばいいと考えて、人の流れに乗って逃げていこうとするだろうか? しかし、新長田駅前広場から徒歩5分以内に他にも5カ所、避難場所になっている公園や学校がある。人の流れは分かれるだろう。西に向かう人、北を目指す人、逆行するような流れが渦巻いているかもしれない。そんな人の流れの中で、安全に避難させなければならない人の手を握って呆然としている自分の姿が目に浮かぶ。離ればなれにならないようにと握りしめる手の平の汗の感触まで思い浮かぶ。

人の流れに乗って、運良く駅前広場に出たとする。緊急避難場所というサインボードが目に入る。一時的であれ、とにかく避難できる場所にたどり着けたと、わずかに安堵感のようなものを覚えるかもしれない。しかし次の瞬間、サインボードに大きく記された「×」が目に飛び込んでくる。

そんな状況で冷静にこの緊急避難サインの意味を理解できるだろうか?

左側のグリーン地に白抜きで記された「この災害のときに使えます」という説明で、「たぶんこういうことか」と推論することはできたが、マルとバツの意味するところが何なのか、自信を持って理解できたのはその下に記された小さな英語表記(これに当たる中国語やハングル表記はない)。

「×」は「Not safe」。

ここは避難場所ではあるけれど、津波の時には、ここに逃げきても安全ではありませんよ――。サインボードが全体として発している最大のメッセージは、そういうことなのだ。

大切なのは論理なのか行動に直結することか

論理的にはそういうことだろう。「ここは避難場所である」→「避難場所だからといってあらゆる災害にマイティであるわけではない」→「この避難場所は地震や大火災には有効だが、津波には無効である」

このサインボードの表記は、論理的なこの上なく正しい。しかし、災害に見舞われた生身の人間が、直感的に理解できるかどうとなると話は別だ。

さらに、「津波には無効である」と告げてはいるものの、「だからどこに逃げればいいのか」というアクションについてはほぼ白紙。津波から避難しようとしてこの場所に逃げてきた人は途方にくれるしかない。

たしかに、サインボードには近隣の避難場所や避難所を示した地図も表示されている。しかし、避難者はこの地図を見て、次に逃げる避難場所を自分で選ばなければならない。その上、表示の文字はあまりにも小さい。さらに、ドット状の反射材のせいで文字がとても読みづらい。

火急の事態に際して「論理」よりも「直感的に理解できること」「すぐに具体的な行動に移せること」の方がずっと重要なのは間違いないと思うのだが。

サインの限界

1995年に阪神淡路大震災に見舞われた神戸は、今日では防災の先進地域だ。ハード面でもソフト面でも優れた取り組みが行われている。たとえば津波からの避難もそうだ。阪神淡路大震災では1メートルを超えるような津波は発生しなかった。被害の大部分は家屋の倒壊と火災によるものだ。にも関わらず、震災後の神戸には、津波避難を呼びかける表示が市内のあちこちで見られる。最大の繁華街である三宮には、アーケードの天井から津波避難用の電飾看板が吊り下げられている。震災後の再開発ビルに囲まれて、海など見えないこの新長田駅前に、津波災害時を想定した表示がなされているのも、防災都市神戸の先進性を示す一例といえるだろう。

しかし、先進的であるがゆえに、表示が複雑なものになっている感は否めない。もっとも、災害の種類によってマルバツをつけるような避難表示がなされているくらいだから、市内の小中学校などで「災害によって逃げる場所は異なること」「避難所がオールマイティではないこと」などの教育が徹底されているのは間違いない。そういう意味で、直感的とは言えない避難看板の存在自体が、防災意識の高さを示すという逆説も成り立つかもしれない。

しかし、それでもやはり、土地勘のない旅行者や文字が読めない人、ハンディがある人の避難を考えると、表示は分かりやすいに越したことはない。

1枚の避難表示サインボードが考えさせてくれることは多い。たとえば災害の種類によって逃げる場所が違うということ。たとえば避難場所と避難所の違い。避難所に指定されている場所でも被害が発生しうること。ここに逃げれば絶対に安全という場所はないこと。

それだけの情報を1枚のサインボードに詰め込むことができるのだろうか。サインボードには自ずと限界があると考えた方がいい。

サインは分かりやすい方がいい。しかし、サインはあくまでも補助的なものであって、個々人の意識や事前の準備こそが、災害から身を守るために最も大切なものなのかもしれない。神戸の防災看板はそんなことを考えさせてくれる。

蛇足

神戸市が新たに設置した避難場所のサインボードについて調べていて、あることに気がついた。それは、神戸市のサイト上では、新長田駅前広場は津波災害にも「○」と表示されていたことだ。どちらかが誤りなのか、指定が変更になったのか。

 神戸市:災害時の避難先(緊急避難場所・避難所、福祉避難所)
www.city.kobe.lg.jp  

事情を調べようと情報を集めている途中で、あまり生産的なことではないと気づいた。この広場が津波災害時の避難場所として「○」であったからといって、津波に教われる可能性がゼロという訳ではない。今でこそ駅前から海は見えないが、かつて長田は砂浜が広がる漁師町だったし、水路や河川沿いに津波が襲ってくる可能性はある。それに、地震や大火災での「○」にしても、ビル一つ隔てた若松公園の半分か3分の1程度の広さしかない駅前広場が、たとえば火災旋風に対して安全かといえば「?」だ。

大切なことはもっとほかにある。たとえば予断を排すること。神戸市が防災先進地域だからという先入観から、避難情報のサインボードが優れているに違いないと思い込んでしまったことも含めてだ。

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