3月9日に仙台で開かれた有識者委員会で石巻市門脇・南浜地区につくられる復興祈念公園の基本設計が決定したと河北新報が伝えた。これまで「石巻市南浜地区復興祈念公園(仮称)」とされていた名称は「石巻南浜津波復興祈念公園」に決まったとのこと。
中心部に約2800平方メートルの円形の追悼の広場を整備。3000人規模の式典ができるという。広場の北側隣接地にはビジターセンターとなる中核的施設を置く。
中心部の近くに震災伝承活動の受け皿となる場を用意し、門脇地区の「がんばろう!石巻」の看板や震災伝承施設「南浜つなぐ館」の機能を移設する。
公園の東部には高さ10メートルの避難築山を造成。西部には野球やサッカーなどができる三つの多目的広場を配置、海岸沿いを中心に松原を再生する。
復興祈念公園のあらましは昨年夏に公表された「基本計画」が大筋で承認・決定された形だ。門脇・南浜地区では現在、かさ上げや造成工事が進められているが、造成後は、「骨格的な街路を幹線園路として残すとともに、その他の街路はデザインの工夫により明示し、サインの工夫によりかつての町丁目がわかるようにし、公園全体で震災の実情と教訓の伝承ができる場(2015年8月の基本計画)」となるようだ。
「壊滅的、ではなく壊滅」。住民がそう語る門脇・南浜地区は、がれきが撤去された後に残ったのは建物の基礎と街路くらいだった。地域に暮らす人々が行き交った道路や路地には、造成工事が始まるまで生活の痕跡ともいえる震災の遺物が見られた。火災でアスファルトが焼けた痕もそこかしこにあった。
震災の1カ月後、「がんばろう!石巻」の看板を仲間たちと自宅跡地に立てた黒澤さんは言う。「自分自身も含めて被災した石巻の人たちを勇気づけようと掲げた看板でしたが、ここで手を合わせたり献花する人があとを絶たなかった」。黒澤さんたちは看板の前に自費で献花台を設けた。「がんばろう!石巻」は復興に向けてがんばる気持ちを象徴する場所であるとともに、石巻市では唯一といってもいい慰霊の場となった。
3月11日には毎年、この場所で慰霊の集いが開催され、多くの人たちが訪れる。あたたかいコーヒーをサービスするため神戸からやってくる人もいる。手作りの菓子を配るため愛知からやってくる人もいる。2014年からはこの場所でキャンドルも灯されるようになった。
「がんばろう!石巻」の看板が、石巻南浜津波復興祈念公園に移設されるのは、ごく自然で当然のことだろう。復興の決意。そして追悼。これまでと同じく、1人ひとりが持ち寄った思いが集う場であり続けてほしいと願う。
2016年3月11日。やがて復興祈念公園の一部となる「がんばろう!石巻」の看板で、今年も「東日本大震災追悼 3.11のつどい」が行なわれる。
最終更新: