ようやく退院できたた日、よく眠れなくて明け方に点けたテレビに松日橋が紹介されていた。
少し頭が混乱した。良く知っている金野さんがなんでテレビ画面の中にいるの?いま私がいるのは九州。NHKのニュースの画面に見えるのは岩手。それも岩手県沿岸南部の住田町下有住。画面では地域の区長さんである金野さんが喋っている。ちょっとザラっとしたその声、その表情の懐かしかったこと。
沿岸から20キロくらい離れた内陸の住田町は、6年前の大津波の被害を受けることはなかった。しかし、陸前高田や大船渡など沿岸部とのつながり、絆は深かった。直接の被害は少なかったものの、住田町は東日本相震災救援活動の最前線として動き続けた。救援活動の基地として、ボランティアの拠点として。町内の施設は遺体安置所などとして使われた。
松日橋がテレビに登場したのには驚いたが、何かが抜けていた。それは、震災後にこの町が行い、いまも継続していることだけではない。そのことも含めて、住田町という町のありようが、NHKの紹介からは抜け落ちていた。
テレビではまるでこの橋が200年以上かけられ続けているかのように伝えられていたが、実は夏の豪雨で毎年のように流されて、その度に地域の人たちが掛け替え続けている橋なのだ。腰まで水につかって。
みんなのために力を尽くす。誰かのためにみんなが力を尽くす。それが当たり前。だって、夏の大雨で橋が流される都度、毎年毎年、この橋を架け替え続けてきたのだから。
住田町のことはもっと伝えていかなければならないと思う。住田町といえば、岩手県沿岸南部の海から少し入った場所にある、「あの町」だと日本中の人たちが知っている町になるように。
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