増水なんて静的な言葉が当てはまるようなものではなかった。夜半からの雨は降り止まず、東北の沿岸部各地で洪水に関する情報が出された。大槌町では避難指示(緊急)が出された。釜石市や住田町では避難勧告が出た。
住田町では松日橋が流れた。
気仙川は荒れ狂った。鮎や白魚で知られる豊かで穏やかな川に三角波が切り立って、下流に向けて落っこちて、その下でまた三角に盛り上がり、飛沫を上げる。波飛沫の高さは国道を越えた。荒れ狂うとはこういうことか。
身の危険を感じた。国道の土手腹がえぐられて、道が落ちてしまうのではないかと恐怖した。一昨年の台風で破壊された岩泉町の国道沿いの光景が眼に浮かぶ。クルマを走らせるのが恐い。その場に立ち止まっているのも恐い。しかし、国道は一本道。
荒れ狂う川を目の前にして、道ばたに突っ立っているバイクがあった。知り合いだった。すぐ近くにクルマを止めていたのにすぐには気づかないでいた。ただただ波涛を見つめていた。
やっと眼を合わせ、「あっ」とお互いに息を呑むようにして、「気をつけて!」と言い合った。挨拶し合ったことでやっと動き出せた。
川が屈曲していて、背丈の何倍もありそうな三角波が切り立っているのを、消防の半纏をまとった人が一人、国道から見つめていた。きっと眼が吸い付いてしまって、波涛から眼を引き離すことができないのだ。その背中「ご安全に」と声をかけた。
写真を撮る気になれたのは、川幅が広がって越流や氾濫、道の崩壊の危険がなくなった下流まで来てからだった。
それでも、迫り上り、地に伏すように下り、またのび上がる波涛に眼を向けると、そこに自分が貼り付いてしまって引き離せない恐怖があった。
7年前の3月9日、東北は地震に見舞われた。小規模な津波もあった。
3月9日。
今年の3月9日は洪水かよ……
そんな思いをきっと、荒れ狂う川に対面した人の多くが持ったにちがいない。そしておそらく、それだけではないものを、逆巻く怒濤、真っ黒な水に思い出していた。
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