松日橋は岩手県南部を流れる気仙川に掛けられた木造の橋。川が増水した時には、橋そのものが浮き上がって流されるように作られた、いわゆる「流れ橋」だ。
流されるように作られた橋というと奇異に感じられるかもしれないが、頑丈な橋は濁流によって強度の限界を超えると橋そのものが破壊されてしまう。橋板の高さ以上の水位になると、橋自体が浮き上がって流されてしまうことで橋の本体を守るとともに、橋脚に流木などが引っかかってダムになり、堤防を破ることがないように考え出され、ずっと守られてきた松日橋は、実は自然の理に叶った橋なのだ。
松日橋は今年8月の相次ぐ豪雨で流された。いわば設計思想通りに機能することで、周辺の土地への浸水被害を最小限に食い止めたわけだ。そんな松日橋の掛け替えが、地域の人たちの手で行われた。
掛け替えに集まったのは、橋周辺の住民20人ほど。鮎釣りのウェーダーを履いた10数人が冷たい川水に腰まで浸かりながら作業した。
松日橋は長い杉板の橋板を、クルミやクリの幹の二股になった部分を使った橋脚で支える独特な構造をしている。ザマザと呼ばれる橋脚は橋板には固定されておらず、橋板の重みと水圧のバランスで川に立っている。だから、川の中に立てようとしてもバランスが悪いと倒れてしまう。
上の写真はまさにザマザに橋板が載った途端に、バランスを崩してザマザが流された瞬間。こうなると作業は一からやり直し。
橋板を渡すわけだから、ザマザの高さは揃ってなければならない。もちろん、橋の通しの方向にもまっすぐ揃える必要がある。ところがこの夏の大雨は異常といえるほどだった。松日橋が流された後も、3つの台風で川が暴れた。川底の地形もこれまでとはだいぶ変わってしまったらしい。
ザマザの通りと高さを揃える。ザマザの水平を取る。そして重たい橋板を繰り延べるようにしてザマザに載せる。油断すると橋板に押されてザマザが倒れてしまう。
設計図なんかない。川の地形についての知識と橋の形状についての記憶、そして毎年のように繰り返される掛け替え作業の中で蓄えられてきた経験が、流された橋を松日橋たらしめるのだ。
ザマザを支えながら橋板を掛ける。口で言うのは簡単だが、ザマザも橋板も重たい上、作業はほとんど川の中。9月とはいえ痺れるような冷たい川に腰まで浸かり、深みではウェーダーの中にまで水が流れ込んでくるような状況での掛け替えだ。川の真ん中で、両岸から繰り延べた橋板がつながった時、作業の音頭をとっていた区長さんが叫んだ「掛かったぞぉ!」との声は、川の中にいた者の胸にじわんと沁みた。
松日橋は国道340号線沿いにある。上流と下流には鉄筋コンクリートの頑丈な橋も掛けられているが、松日橋周辺の人たちにしてみれば、どちらの橋も歩いて行くにはちょっと遠い。国道側に住む人たちは対岸の田んぼや畑に行くために、対岸に住んでいる人たちはバス停に行く時などに松日橋を使ってきた。外見は古風な木の橋だが、しっかり現役の橋としてがんばってきたわけだ。
橋が掛かった数日後、およそ40日ぶりに掛けられた松日橋を小学生くらいの子ども2人とお母さんらしき人が渡っていくのを見かけた。子どもたちはうれしそうに、それこそ橋の上でスキップでもしそうなくらいな感じだった。残念ながら写真は撮れなかったが、その光景を忘れることはないだろう。
ビーサン履いてて良かった
松日橋が流されたのは8月中旬の豪雨による増水のためだった。
流された当日か翌日か、写真の撮影日は8月17日となっている。
橋が流された後も台風の上陸・接近が相次ぎ、気仙川の水位はなかなか引かなかった。鮎釣りシーズン最盛期の増水は、県外からのアングラーたちの出足を渋らせ、観光収入にも影響したに違いない。
ようやく川の水位が下がった状態で安定するようになったのは9月中旬になってからだったか。その間、国道340号線を走るたびに、松日橋のない気仙川の姿に何とも言いようのない喪失感のようなものを感じたものだった。
9月下旬、地域の区長さんに久しぶりに会った時に聞いてみた。松日橋の掛け替えはいつ頃の予定なのですかと。
その答えには驚かされた。「明日だよ」
「まあ、掛け替えは地域の衆がやることだし、慣れない人には難しいから、写真だけでも撮りにくれば」
たまたま聞いてみたら掛け替えは明日。ぜひ写真を撮っておきたいと現地を訪ねてみると、川の中から区長さんがじゃぶじゃぶ岸に上がってきて、
「おう、来たか来たか。さぁ川さ入れ!」
やられた。その日はたまたま作業ズボンをはいていた。しかも足元はビーチサンダル。自分よりも年上の人たちが腰まで川に浸かって作業しているわけだ。むろん区長さんの言葉は冗談に違いないが、入れと言われて断れる状況ではない。ビーサンが運の尽きかと思わないでもなかったが、作業を手伝ううちに気持ちが変わってきた。
さすが東北、初秋とはいえ川に入ると足先の感覚がなくなるほど冷たかった。陸の上でもやってもらうことはあるからとの言葉に甘えて、腰まで浸かるような深みには入らないようにしていたのだけれど、ザマザが流されたり、川の流れに耐えながら、深みで橋板を抱える人たちを見ていたら、ウェーダーを履いていないことなど関係なかった。
繰り延べられる橋板を、浅い側からだったが川に入って支え、ザマザの上に載せ固定する。支えたり、押さえたり、持ち上げたり、体を使っているうち、足の痺れは感じなくなっていた。そして区長さんの「掛かったぞぉ!」の声を聞いた時には、心の中でガッツポーズだった。
ちょっと写真を撮りに来たつもりが解散の挨拶までいることになったが、橋を掛けるという仕事に参加した興奮はなかなか覚めない。
余韻に浸りながら何を考えていたかというと、まるで小学生の作文みたいなこと。それは、ひとつの木の橋を守るためにこんなにたくさんの人が関わっていることへの驚きだった。
「ぼくは松日橋を最初に見た時、こんなに古い橋を発見できてとてもうれしかったです。そして、実際に渡ってみるとちょっと恐かったですが、こんなに珍しい橋が今でも残っているのがすごいと思いました。でも、今回、橋の掛け替えを手伝ってみて、地域の何人もの人たちが橋を守るために働いているのを知り、橋の古さよりも何よりももっとすごいことだと思いました。」
初めて松日橋を発見した時、こんな雰囲気のいい橋は観光名所になってもいいほどだと感じた。観光PRに一役買いたいとも思った。この橋が何度も掛け直されてきたことは案内表示を読んで分かっていたが、その時には「掛け直す」との4文字が実際にどんなことなのかを想像することもできなかった。
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