【復興記録写真】岩手県大船渡市 [2016年1月下旬]

sKenji

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須崎橋近くにある大船渡プラザホテルとその付近
須崎橋近くにある大船渡プラザホテルとその付近

2016年1月末、岩手県大船渡市を訪れた際に市内中心部にある須崎橋付近を少し歩いてみました。

場所:須崎橋周辺

須崎橋から下流(※写真には写っていませんが海が近いです)を撮影した写真です。最初、津波による被害かと思ったのですが、少しして復興工事中ということを知りました。

ちなみに付近は地震で地盤が沈下しています。国土地理院の公開資料によるとおよそ60、70センチほど沈んでいるようです。

 大船渡市調査点地盤沈下量図
www.gsi.go.jp  

須崎橋のたもとのすぐ近くにあった建物です。

付近一体では、道路や河川などの復興工事が行なわれており、震災の状況を直接伝えるものは少ないように見えました。

その中で津波の恐ろしさをいまに伝える数少ない遺構が写真の建物です。2階の外壁が大きく破損しています。津波はあの高さにまで到達したのだろうかと思いながら当時の付近の状況を想像します。周りに建物がほとんどない中、ぽつんと残る恐らく個人の住宅だと思われるこの建物。あえて当時の姿のままここに残しているのだろうか。津波の怖さを訪れた人に伝えようとしているのだろうか。そのようなことを考えていました。

建物をしばらく見ていると、ひとりの初老の男性がやって来ました。大船渡の方だろうか。そう思って挨拶をし、話をしてみると地元の方だったので、

「あの高さまで津波があったのですか?」と聞いてみました。すると男性は破損している2階の上、矢切り部分を示して「おそらく、あの上の開いている小さな長方形の穴、あれも津波によるものだと思いますよ」と教えてくれました。

男性の話によると、建物は写真館だったそうです。また地震前、この付近にはたくさんの飲み屋などが建ち並び、とても賑わっていたといいます。

男性は続けて河川工事についても教えてくれました。それによると、須崎橋の下流にある真新しい橋は最近架けられたもので、道路よりも先に橋を造ったそうです。

写真をよく見ると、橋のたもとの位置が川岸よりもかなり奥にあります。これは、この新しい橋のたもと付近まで川幅を広げるからなのだそうです。

旅行後、大船渡土木センターの公表資料で知ったのですが、須崎川は河口の水門から約500メートル以上に渡って護岸を改修をする計画があり、川岸には親水空間を設けるそうです。

工事の前に撮影された写真では護岸は急で(※写真の右岸のような)川に下りることはできなさそうですが、工事後は川辺に下りて遊ぶこともできそうな設計になっています。憩いの水辺がある復興した大船渡の街が気になります。

男性に震災発生当時の大船渡のことを聞いてみました。それによると、地震が発生した時、大船渡の港にはロシア船籍の貨物船が係留されていたといいます。

船は、津波の第一波が押し寄せた際はまだもやい綱で岸に繋がっていたそうです。しかし、第二波に襲われた時、ロープが切れたといいます。

綱が切れた船は海水の流れに乗り、ぐるぐると市内を回るように移動して被害を大きくしたそうです。また、湾内を漂流した船は貨物船だけでなく、ほかにもタグボートもあったとのことです。

船などが漂流して凶器となった話をこれまでにも聞いていました。しかし、その場で、そして実際に目撃した方から聞くと、同じ話でも感じ方は大きく違いました。

男性は地震発生後、近くの高台にある神社へ避難したそうです。しかし、ご自宅は津波で流されて、現在も仮設住宅で暮らしているとのことでした。

震災当時のことを淡々と(見えるように)語っていた男性ですが、声が弾んだ時がありました。それは大船渡に豪華客船が来た時の話です。

大型客船が大船渡に寄港したことはニュースで知っていました。しかし、それが地元にもたらしてくれるものを、男性の笑顔から実感することができました。話をしている男性の嬉しそうな顔を見た時、急に私も大船渡の岸壁に接岸している大きな客船を見てみたくなりました。

その日、大船渡には冷たい風が吹いていました。しかし、それでも男性は嫌な顔ひとつせずにとても丁寧に話をして下さいました。その男性の優しさは別れた後もしばらく残り、陸前高田へ向かって車を運転している時もほっこりと暖かい気持ちにしてくれたのでした。

大船渡市・須崎橋

参考WEBサイト

 震災復旧・復興情報 かわら版 Vol. 15(大船渡土木センター)
www.pref.iwate.jp  

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