南海大震災記録写真帖(1)

iRyota25

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昭和21年12月21日早朝、南海トラフを震源とする巨大地震「南海地震」が発生。中部地方以西の日本各地に大きな被害を及ぼしました。しかし当時は終戦から1年半を経ていない時期であったため、終戦前に発生した東南海地震(昭和19年12月発生)と並んで震災についての記録が少ない地震といわれてきました。

このたび、高知県須崎市で写真館を営んでいた竹下増次郎さんが、終戦後で物資が乏しい中、後世に伝えるため万難を排して撮影・編集・出版された「南海大震災記録写真帖」の画像データを、ボランティア仲間でもある知人から借り受けることができました。竹下増次郎さんのご子息で、現在竹下写真館を営まれている竹下雅典さんのご諒解のもと、貴重な写真集を画像データとして公開させていただきます。

写真帖の序文には、「今回の大震災を経験せられたる南海の同胞諸賢よ、是非この一冊を所有して子孫に伝えられんことを」と記されていますが、阪神淡路大震災や東日本大震災を目の当たりにした、日本で暮らす全ての同胞に向けてのメッセージと読み替えて、公開させていただくものです。

「後世子孫に伝え残し次に来るべき大震災対策のために」

※写真帖に記載された文章は、難解な漢字を平仮名等に改め、一部句読点を補うかたちで引用文(囲み付きの文章)として掲載します。
※写真を別ウィンドウで開いていただくと、拡大して表示できます。

昭和二十一年十二月二十一日
"歴史的"南海大震災記録

自序

歴史的南海大震災記録写真帖、これを後世子孫に伝えんがため、弊館は終戦後写真材料欠乏甚だしき場合、万難を廃し、苦心惨憺撮影したるものなり。また記事の内容においても同じく苦心調査せしものなれば、これを後世に伝え、必ずや貴重なる記録と認めらるるや必至なりと信ず。乞い願わくば今回の大震災を経験せられたる南海の同胞諸賢よ、是非この一冊を所有して子孫に伝えられんことを。

昭和二十二年六月
著者 竹下増次郎

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)大正八年七月十五日、向い山頂上より撮影

(下)昭和二十二年八月十九日、上記の場所より撮影す

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)今より二十九年前の須崎港全景
思い出深き海岸松林と旧桟橋、並びに高須附込と横須賀部落にご注意

(下)将来四国の南玄関たらんとする震災復興途上の須崎港全景

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)製氷工場付近の惨状(その一)
岸陸は昔日の跡を止めざるまで惨砕されたるが、加えて明治四十年十一月八日、皇太子殿下(大正天皇)御上陸記念碑も、ともにこの災厄にあい中央より折断されたるは誠に惜しいことである

(下)埋立付近の惨状
旧桟橋の突端、水上警察署付近は、地震と同時に五尺ばかり(約1.5メートル)沈下し、津波は陸上まで浸水した。しかし早く避難したため死傷者の出なかったのは幸いであった(写真は傾斜せる両家屋)

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)旧桟橋製氷会社付近の惨状(その二)
地震の被害甚大であったが、波表に立つ海岸だけあって、この付近津波の被害は実に言語に絶するものがある

(下)埋立地ならびに船入場入口付近の陥没の状況

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)船入場へ流れ込んだ木材
地震と同時に押し寄せた津波は、営林署・造船会社・各製材工場等に山積せる諸材巨木を押し流し、船入場は木材と小舟の山を築いた

(下)埋立地セメント反り橋より営林署貯木場付近を望む

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)須崎駅前火災の跡
大地震と同時に通運会社より発火し、猛火はたちまち九軒をなめ尽くし、なおも追燃せんとせる場合、押し寄せた津波のためようやく鎮火せり

(下)須崎駅前通りの惨状
地震・津波ともにこの付近の被害が最も甚だしく、惨状実に眼もあてられぬものがあった。しかも五十幾組の常会内から十数名の死者を出したのを見ても、その惨害を想像されるのである(旅館等、軒並みに倒壊の状況)

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

(上)新桟橋と遭難船
須崎町西町藤尾商店所有、興国丸100トン、新造船にして造船費三十万円を要したるものなるが、津波のため桟橋に打ち上げられ無惨に破砕されたり。後日解体せり

(下)須崎新桟橋付近は地震と津波のため、かくの如く惨憺たる被害を蒙りたり、白き建物は高知商船支店

「南海大震災記録写真帖」高知県須崎町古市町 竹下写真館

突如襲い掛かった震災により、須崎の町が大きな被害を蒙ったことが分かります。それと同時に、写真のキャプションにある「将来四国の南玄関たらんとする震災復興途上の」といった言葉からは、人間の力強い復元力も伝わってきます。その強さが震災の記録を後世に残そうと奔走された竹下増次郎さんにも共通しているのは間違いないでしょう。

次回は震災後の町の様子、復興へ向けての動き、地盤沈下で水没した農地などの写真を紹介させていただきます。そして第三回目では写真帖に記された記録や教訓を中心にお伝えする予定です。

南海大震災から70年近く。自然災害の猛威の記憶を風化させないために。

南海大震災記録写真帖(2)
 南海大震災記録写真帖(2)
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日本全土が復興に向けて立ち上がろうとしていた矢先に、大震災によって破壊されたふるさとの町で、竹下さんはそんな思いでシャッターを切ったのでしょうか。それを想像し、自らのものにすることは私たちにとっても責務であるはずです。

◆ご協力いただいた竹下写真館の竹下雅典さんに重ねて感謝の意を表します。

【竹下写真館】
高知県須崎市東古市町4-23
TEL:0889-42-0066
営業時間 8:30~18:00
定休日:日曜日

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