クスコでの高山病の症状が良くなると、一度は見ておきたかった憧れのインカの天空都市・マチュピチュ遺跡へ向かいました。
クスコからマチュピチュへは鉄道で移動するのが一般的です。列車は豪華なクラスから「ハイラム・ビンガム」、「ビスタドーム」、「バックパッカー」の3種類。しかし、リーズナブルなのは、最初はバス、そして途中で鉄道に乗り換えてマチュピチュ遺跡の最寄り街、「アグアスカリエンテス」に行くのが一番です。私もこの方法で行きました。
アグアスカリエンテスはマチュピチュ村とも呼ばれる、山間のとても小さな村。現地の言葉であるスペイン語でアグアは「水」、カリエンテは「熱い」という意味です。熱いお湯、つまり温泉が湧き出ているのです。アグアスカリエンテスは日本とも少なからぬ縁のある村で、初代の村長はなんと日本人です。野内与吉さんという方で、今から約100年前の1917年に福島県の大玉村からペルーへ移住し、アグアスカリエンテス村の発展に大きく貢献しています。
アグアスカリエンテスに到着するとその日は村に宿泊。翌日、遺跡を目指すことにしました。
次の日、目が覚めると外は雨。ずっと憧れていた遺跡をいい状態で見たいがために、見学は翌日にしようかと迷います。しかし、とりあえずマチュピチュ遺跡へ行ってみることにしました。
通常、遺跡の入り口まではバスなどで行きます。しかし、私は自分の足で歩くことにしました。
遺跡へは村から歩いて約9キロメートルの道のりです。前半は川に沿って造られた比較的平坦な道を歩き、後半は急な山の斜面を登っていきます。登り切ったところが入り口です。天候は回復傾向にあるようでした。そこで、チケットを買って遺跡のなかに入ることにしたのです。
最初、遺跡は雲に覆われてその全体を見ることができません。しかし、しばらく待っているとしだいに雲が薄くなり、そしてついにマチュピチュの全貌が現れたのです!
私は嬉しくなり、険しい山の上に造られたインカの街跡を見て回りました。印象的だった建造物は「インティワタナ 」、「3つの窓の神殿」、「太陽の神殿」です。これらは太陽などの運行を考えて造られたもので、夏至や冬至、春分や秋分が分かったといいます。
また、水汲み場も見逃せません。マチュピチュ遺跡には16箇所、水を汲むための場所があったと言われています。このような山の上にどうやって水を引いてきたのか。不思議でならないのと同時に、当時の暮らしを想像してしまいます。
マチュピチュの街跡を見て回ると、ワイナピチュと呼ばれる遺跡の背後に鋭く尖ったようにそびえる山に登ってみました。途中はかなり険しい山道です。しかし、たどり着くと、山頂からの眺めは格別でした☆
結局、夕方までマチュピチュを見学して遺跡を出ると、帰りはバスでアグアスカリエンテスの村に戻ったのでした。
「【世界一周の旅・南米編 Vol.3】アンデスの高地をゆく、ペルーレイル」 へ続く」
マチュピチュ
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