先日、物理学の分野で日本人3名へ授与が決まったノーベル賞。世界で最も名誉ある賞のひとつとして知られている。ノーベル賞はダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルの遺言を元に創設されたことは有名である。しかし、ノーベル自身のことについては、賞の知名度ほど高くないかもしれない。ノーベル賞の発表にあたり、アルフレッド・ノーベルについて知っておきたいと思う。
アルフレッド・ノーベルについて
アルフレッド・ノーベルは、スウェーデンの科学者でもあり実業家でもあった。ノーベルは1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれている。父親がロシアで武器メーカーの事業を始めたこともあり、9歳の時にロシアへ移住した。文学にも興味があったものの、父の仕事の影響もあり、化学の道を取って兄弟と共に父親の仕事を手伝っていた。会社は当時勃発したクリミア戦争により、大変繁盛したものの、ロシアの敗戦で戦争が終結すると、業績は一気に傾いて倒産してしまう。
倒産後、ノーベルはスウェーデンに戻り、ニトログリセリンの研究に没頭する。ニトログリセリンは油状液体の爆発物であり、威力の大きいものであった。しかし、大変不安定な物質で少しの衝撃でも爆発するために、取扱いが大変難しいものでもあった。ノーベルはニトログリセリンを実用的なものするための研究・開発を続けた結果、爆発力を保ったまま、安全で取扱い易い「ダイナマイト」を発明した。
ノーベルはダイナマイトの販売により、巨万の富を得ることになった。ダイナマイトはトンネル工事や鉱山などで使用され、多くの人がその恩恵を受けた。しかし、その一方、当時各地で発生していた労働争議などで悪用されたため、ノーベルは平和問題についても考えるようになったと言われている。ノーベルと平和について語る上で欠かせないのが、一人の女性との出会いである。彼女の名前はベルタ・フォン・ズットナー。平和活動の運動家で、短い期間であったものの、ノーベルの秘書を務めていた。彼女との出会いが後のノーベル平和賞の考案につながったのではないかと言われている。ちなみにベルタ・フォン・ズットナーは第5回のノーベル平和賞を受賞している。
ノーベル賞の創設
1896年12月10日、アルフレッド・ノーベルは63才で亡くなった。彼の死後、遺言に基づき1900年にノーベル財団が設立された。ノーベルは遺言で、財産の約9割を有価証券などに替え、それを元に基金を設立するように言っている。これがノーベル財団である。遺言ではさらに有価証券の運用益などを、5つの分野において人類に大きな貢献をした人に配分するように言い残している。5つ分野とは「物理学」、「化学」、「生理学・医学」、「文学」、「平和への貢献」であり、これらがノーベル賞の各賞となっている。現在、ノーベル賞は上記5つに加えて「経済学」がある。これは1969年にスウェーデン銀行の寄付により新たに設けられたものである。
ちなみに、アルフレッド・ノーベルがノーベル賞の創設をする遺言を残すことになったきっかけのひとつとして、一本の誤報があったと言われている。ノーベルの兄が亡くなった時、フランスのある新聞社がノーベル本人と取り違え、「死の商人、死す」というタイトルで報じたそうである。記事にはノーベルのことを「可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物」と書かれていたそうである。このことがきっかけのひとつとなり、ノーベル賞の創設につながる遺言書を書いたと言われている。
発明の使いみち
ノーベルが発明したダイナマイトは、トンネル工事などに従事する多くの人の労力を軽減している。しかし、その一方で戦争に転用され多くの人の命も奪っている。兵器開発にも携わっていたノーベルは、ダイナマイトが戦争などにも転用されることを想定していたはずだという見方もあるが、「戦争に対する恐怖心をかきたてることが戦争をやめさせる方法」と考えていた時期があったそうで、その真意はわからない。しかし、いずれにしてもダイナマイトを発明したことに対して苦悩していたと言われている。
発明は諸刃の剣である。ダイナマイトを始め多大な恩恵を受ける発明は、使い方によっては多くの人の命を奪う可能性も秘めている。毎年、偉大な発明や発見などに対してノーベル賞が授与されている。ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルだからこそ、それらを人類の発展のためだけに使ってほしいと、思っているのではないだろうか。
参考WEBサイト
Text:sKenji
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