前回の話
恵那山の登山口へ
夏休み最終日は、長野・岐阜県境にある恵那山を登る予定であった。
最終日前日、犬山城を見た後に長野県の阿智村にある広河原登山口を目指した。向かう途中に晩御飯を食べ、温泉にゆっくりと浸かっていたら、登山口の駐車場に着いたときはすでに深夜をまわっていた。駐車場には登山者と思われる車が2台停まっていた。
計画では、太陽が昇る前、空が明るみ始めたらすぐに登山を開始し、昼までに山を下りるつもりであった。明るくなるまでは3、4時間。車で仮眠を取る。
恵那山・広河原ルート登山口
夏休み最終日。恵那山登山は・・・
夜明け前、目が覚めた瞬間に嫌な音が聞こえてきた。
雨の音だった。
前日朝の予報では、天気は悪くないはずであった。
半信半疑で外を見てみると・・・最悪の光景。激しい雨が降っていた。
「嘘でしょ・・・」
晴れるものとばかり思っていたので、にわかに信じることができなかった。
すぐに止むのではないか。そんな期待もあり、しばらく様子をみることにした。
起きていても何もすることはないので再び寝る。
1~2時間ほどして起きたものの、天候の状況は変わっていなかった。
2台あった車のうち1台はいなくなっていた。登山を諦めたようだった。残った一台の車のドライバーは、ワンボックスカーのトランク後部のドアを跳ね上げて何やら荷物の整理をしながら、天気の様子をうかがっているようであった。話しかけてみると、恵那山に登るかどうか迷っているとのことだった。
私も登るかどうか迷っていた。一度は雨の中、登ることも少し考えた。しかし、白山での道路通行止めのことが頭をよぎった。恵那山登山口までの山道も狭く、土砂崩れで通行止めになる恐れがあった。山道の様子を見るために道幅が広くなる場所まで戻ってみる。所々で道路脇の斜面がくずれ、土砂が道路の路肩へ少し流れ出していた。
おそらく恵那山の山頂まで登ることはできるだろう。しかし、もし登っている間に道路に土砂が流れ出たら、登山口へ続く山道は通り抜けができないためにまさに袋のネズミ状態。どうしようもなくなる。
さらに、登山道には渡渉ポイントもある。帰りに増水して川が渡れなくなっていたら、車にすら戻ってくることができなくなる。
恵那山登山を諦めることにした。
雨の中、そのまま真っ直ぐ三島の自宅に戻り、夏休みは終わったのだった
時は戻って夏休み最終日前日。通行止めのゲートの前にて
白山に続き、恵那山登山も断念した夏休み。はるばる静岡から石川県近くまで行ったにも関わらず、台風に振り回された。
登山に関しては散々な夏休みだったけれど、前から行きたかった飛騨高山、郡上八幡、犬山城を見ることができたのはよかった。
それと、もうひとつ。
夏休み最終日の前日。白山の登山口手前で通行止めとなり、閉められた道路のゲートの前にいた時のことだった。「さてこの後どうしようか」と車の中で地図を眺めながらぼんやり考えていた。
すると、何の前触れもなく車のすぐ脇に1人の男がやってきた。男は笑いながら、全開にしていた車の窓から中を覗き込んできた。
その人物を見た瞬間、何がなんだかわからなかった。
なぜなら、その男は学生時代からの友人「タクジ」だったからだ。
タクジとは同じ大学で、学生時代に山、川、海などへよく遊びに行ったアウトドア仲間だった。
大学4年の夏、高知県の四万十川へ行ったことがあったのだが、その時も彼が一緒だった。二人して折りたたみ式のカヌーを持ち、青春18切符で高知県の四万十川中流域まで行くと、そこからキャンプをしながらカヌーで海まで4日間かけて川を下った。そして、河口から宅急便でカヌーを送り返すと、今度はヒッチハイクで千葉の実家まで帰ってきたのだった。
タクジとは 学生時代に本当によく一緒に遊んでいた。卒業後もしばらくキャンプや飲みに行くなどしていた。しかし、就職してからは会う機会が徐々に減り、記憶が正しければ、最後に会ったのは4年ほど前、彼の結婚パーティーの受付を引き受けた時以来であった。結婚パーティー以降は、SNSなどで時々連絡を取るくらいになってしまっていた。
そんな旧友と石川県にほど近い岐阜の山道でばったり出会ったのだ。あまりの偶然に驚くと同時に、笑いがこみ上げて来た。奇跡的な再会だった。
お互い、登山目的と察しはついたものの「なんでここにいるんだよ」的な会話から始まり、話に花を咲かせた。
彼は3歳になる息子を連れて来ていた。
子供が生まれたことは聞いてはいたが、会うのは初めてだった。タクジは小さな息子を背負って白山に登るつもりだったようだ。最初、彼の息子は私を警戒しているのか、近寄ろうとはしなかった。しかし、そのうち慣れてくると、タクジの息子の方から木の枝などを持ってきては「一緒に投げよう」言ってくれ、一緒に遊んでいた。
通行止めで閉められたゲートの前で、2、3時間ほど互いの近況などの話をしていた。
そして、昼も近くなったころ、彼と別れて郡上八幡へ行くことにした。タクジは予定を変更して、翌日、別の登山ルートから白山に登ることにしたようだ。私は彼に別れを言うと、通行止めのゲートを後にして郡上八幡へと向かったのだった。
<夏休みレポート 完>
白山・広瀬道登山口手前にある占められていたゲート
Text & Photo:sKenji
最終更新:
iRyota25
かつて、とある老舗の山岳会で、実績もないのに事務局長を仰せつかり、安全を担保するために参考計画の精査を担当していた者として、山での事故を少しでも減らしていただきたいとの考えから、一言申し上げさせていただきます。
行って帰ってくるまでが山行です。「おそらく恵那山の山頂まで登ることはできるだろう」というのは傲慢です。そのような思いで山に入られるのは、この記事を読まれたすべての方に止めていただきたいのです。
今年の夏山の遭難者は過去最高と伝えらています。その多くは中高年の方のようです。しかし、20年ほど前から言われている山岳遭難の重要な背景のひとつに、「会社勤務等で休みが限られている」からとの理由で、悪天候を押して「突っ込んだ結果」ということが言われ続けていることを、読者の方々には知っていただきたいと思います。
iRyota25
続けますが、最初のコメントで「参考計画」と書いたのは「山行計画」の誤りです。申し訳ありません(コメントの訂正ができないのは不便ですね)。
帰りのクルマのルートが土砂崩れ等で通れなくなるかもしれないという理由で山行を断念されたのは賢明なご判断だと思います。ルート上に徒渉箇所があるというのも、まったく適正なご判断でしょう。でも、そのご判断のどこかに、「明日から出社」という考えが前提としてありませんでしたでしょうか?
あまりにも古い時代から、山岳同好の人たちの間では「山は逃げないから」という言葉が語り継がれています。しかし、昨今の社会状況では、せっかくとった休暇に何とか登りたいと無理な計画を立てられるケースが数多く見受けられるように思います。
iRyota25
山岳人として、山を愛する人が増えてくれるのは嬉しい限りですが、それがために命を粗末にされるようなことが繰り返されないよう、あえて諌言させていただきました。
私は自分の山岳会で責任のある立場に在籍していた間、辛うじて、本当に辛うじて山岳会に人身事故が発生することなく過ごさせていただくことができました。しかし、離任後すぐに私よりはるかに山岳経験の豊富な同行者がヘリコプターで救出されるような大事故に遭遇しました。半年後には登山歴30年の方が亡くなられる山岳事故も発生しました。
安全を担当する任を離れていたとはいえ、責任を深く感じているものです。
山は楽しい。人間の本質が解放されるような、世界にほかにない喜びをもたらしてくれる場所です。だからこそ、そこで慢心とか準備不足とか、そういった原因から命を落とされたり、大怪我をされたりする方が続出しているのが苦しいのです。
山は逃げません。余裕を持ったスケジュールで、信頼できる(極言すれば命を預けられるくらいな)仲間との、得難い時間を過ごしていただきたいと、こころから祈念してやみません。
くどいですが、決して山では死なないで下さい。
sKenji
ご忠告ありがとうございます。
「山は逃げない」という点、おっしゃる通りだと思います。
歌もありますね。昔、知り合いのお父さんが若い頃に山を登っていて、
その方が時々「山は逃げない」という歌詞の歌を歌って下さいました。
先人からの教訓を忘れないようにしたいと思います。
sKenji
ご指摘の「会社勤務等・・・」について、登山開始前ならば計画を翌年以降に延期すると思います。しかし、一度山に入って、天候が急変した時には、無理して下山しようとしてしまっていたかもしれません。命最優先で今後も山に登りたいと思います。ありがとうございます。