前回の話
歩いて楽しい東山寺院群♪
飛騨の小京都・高山にある「古い町並み」から東へ1㎞ほどの場所に東山寺院群がある。同寺院群は600mほどの直線上に沿って並ぶように建てられた12の神社仏閣によって構成されている。寺院群の起源は古く、400年以上前の戦国時代後期、この地を支配した金森長近が京都・東山を参考にして、高山城東側の地に寺院を建立・移築したことに始まっている。
東山寺院群。個人的におすすめな場所である。
何がいいかと言うと、狭いエリアに趣の異なる素敵な寺院がコンパクトに固まっていることと、それらを見て回る遊歩道に魅力を感じる。
同寺院群を構成するお寺などを結ぶ遊歩道のほとんどは一般の道路ではない。隣り合うように建てられている寺院の境内に遊歩道が設定されているために、各寺院をはしごするように見て回ることができる。途中一般の車道を横切ることもあるものの、狭い路地のような道であり喧騒を感じさせない。一か所、狭い国道を横切る箇所がある。しかし、そこには地下道が作られていて安全に横断することができる。しかも、地下道の入口は木造の小屋のようになっており、一見しただけでは出入り口に見えない。景観に対しても配慮されている点に感心する。
東山寺院群を巡る遊歩道は歩行者のことを考えられて設定されており、歩くのが楽しい道である。
時間が許すならば、飛騨の小京都を感じることができる同寺院群の散策をおすすめする。
東山寺院群。同寺院群の一番南に位置する宗猷寺(そうゆうじ)
高山城跡(城山公園)に登ってみた
高山の人気スポット「古い町並み」と比べると訪れる人が少ない高山城跡。
本丸があった山頂からの眺めはそれほど期待はできないものの、お城が好きな人にはおすすめである。
高山城は、金森長近が1588年から16年の歳月を費やして、高山市街東側にある小高い山に築いた平山城である。本丸のほか、二の丸、三の丸から構成されている。天守は織田信長の居城・安土城の影響を受けた望楼型2重3階の御殿風天守だったと言われている。作られた当時の記録によると日本で5つとない見事な城だったそうである。しかし、1692年に金森氏が国替えになった際に城は壊され、現在は曲輪、堀、石垣、土塁などだけが残っている。
高山城跡には天守などの建物は全く残っていない。しかし、城跡を歩いてみると、遺構や所々に設置された説明板などから往時の姿を想像することができる。建物がないだけにその分余計に想像力が掻き立てられる。
高山城本丸跡
<2014夏休みレポート Vol.3 ~飛騨高山 その3~ へ続く>
※「飛騨高山 その3」は、日本で唯一現存している代官所・高山陣屋などです。
参考WEBサイト
Text & Photo(※出典元記載画像を除く):sKenji
最終更新: