【記事紹介】八戸の震災被害について

sKenji

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青森県南部、太平洋沿岸に八戸(はちのへ)という街があります。

八戸市も東日本大震災の津波による、大きな被害を受けています。先日、東北観光について、友人と話をしていた際に、八戸に触れる機会がありました。その際、友人に「八戸は、震災の被害があったの?」と聞かれました。お恥ずかしい話ですが、私も、最近まで八戸の津波被害について、詳しくは知りませんでした。

私が、八戸の被害状況を知ったのは、先月11日、東日本大震災から3年が過ぎる際に、いろいろ調べていた時でした。「デーリー東北新聞社」という、青森県八戸市に本社を置く新聞社があるのですが、そのWEBサイトに掲載されていた、東日本大震災のことを伝える特集記事で知りました。

特集記事は、震災後から定期的に書かれています。今日は、その中から、震災発生時、1年後、2年後、3年後の八戸などの状況を伝える記事を紹介したいと思います。

最初にご紹介する記事は、「津波に襲われた震災発生当時の状況」を報じているものです。

三陸沖での巨大地震発生と、その直後に出された大津波警報。同社は従業員を急いで1号埠頭内にある本社ビル3階に避難させた。
その後、従業員らは信じられない光景を目の当たりにする。八太郎地区の守りの要である北防波堤を、津波がやすやすと乗り越えてきたのだ。
大津波襲来の一部始終を目撃し、社屋で一晩を明かした男性従業員は当時の様子をこう証言する。
「第1波は午後4時ごろに押し寄せた。徐々に海面が上昇し、風呂の水があふれるように岸壁に流れはじめ、駐車中の車のドアの高さまで達した」
「この後、ものすごい勢いで港内の底が見えるくらい波が引いていった。相当大きいのが来ると思ったら案の定、午後5時ごろの第2波では会社1階の天井近くまで浸水した。引き波で車やコンテナなどが次々と港内に吸い込まれていった    

デーリー東北:企画・連載:検証・東日本大震災「大津波 襲来」

2つ目に紹介する記事は、震災発生約1年後、「縮小するコミュニティ」について伝える記事です。

八戸市市川町浜地区は、市内で津波被害が深刻だった住宅地の一つ。震災前に暮らしていた210世帯余のうち、約30世帯が住み慣れた土地を離れた。そのまま戻らないことを決めた住民も多い。津波の被災地域のため、他の地区から移り住んでくる可能性も低い。コミュニティーが縮んでいく現実に、2人の町内会長は危機感を募らせながらも、将来の再興に思いをはせる。

デーリー東北:企画・連載:震災1年 被災者のいま

次の記事は、八戸から西へ60㎞ほど行った十和田湖の観光業の状況を伝えるものです。記事は地震発生から2年後のものですが、東北各地では、今でも観光客の落ち込みの影響を受けている地域が多いそうです。

「どこの旅館、ホテルも体力的にぎりぎり。今年の観光シーズンに浮上できなければ、湖畔の街並みが消えてしまう」
十和田湖畔・休屋。「ホテル十和田荘」の中村秀行社長は振り絞るように語る。青森県内はおろか全国に名を知られた景勝地は、東日本大震災から2年がたつ今もなお、本来のにぎわいを取り戻せずにいる。
十和田湖国立公園協会によると、2012年に湖畔を訪れた観光客は震災前の10年比で約8割にとどまる。個人客は伸びているが、かつての隆盛を支えた団体客の落ち込みを補うには至らない。
象徴的なのが2月の「十和田湖冬物語2013」。週末はにぎわったものの、平日の団体客が落ち込み、来場者は過去最少の約20万人だった。
外国人観光客は台湾を中心に戻り始め、原発事故の直接的な風評被害は薄れつつある。ただ、大部分を占めるのはあくまで国内客。中村社長は「旅行業者が企画する首都圏発のツアーが減った」と話し、東北全体に震災のイメージが根強く残っている―と懸念する。

デーリー東北:企画・連載:検証震災復興 「3・11」から2年

最後に紹介する記事は、先月報じられた記事です。震災から3年が経った今でも、厳しい状況のなか、被災した食品会社が、前を向いて進もうとしている状況を伝えているものです。

東日本大震災の津波で、八戸市の館鼻岸壁にある本社工場が壊滅的な被害を受けた菓子製造販売業「しみず食品」。昨年10月、高台にある同市北インター工業団地に新工場を完成させ、約2年半ぶりに業務を再開した。
それから約5カ月が経過。田中洋社長(64)は「マイナスからやっているので、まだ始まったばかり。これからが勝負なんです」と、自分に言い聞かせるように語った。
震災で会社が失ったものは、本社工場だけではなかった。被災前は100人以上の従業員がいたが、新工場での事業再開時、戻ってきたのは数人。業務のノウハウを持ち、重要ポストを務めていた人は抜けたままだった。
「誰のせいでもない。体制が整ってないうちのせい。世の中は待ってくれないんだな」。田中社長は2年以上の〝空白期間〟に、流通業界の移り変わりの早さを痛感させられた。
(中略)
ことしに入り、同社のどら焼きがJR東日本グループが運営するコンビニで販売され、追加注文を受けるなど好評を得た。「大口にも対応できることをアピールし、実績を積み上げていきたい」と手応えを感じている。
新商品の開発にも取り組んでおり、今夏までに計8商品を段階的に売り出す計画。「やはりものづくりは楽しい。厳しい業界だが、何かしないと何も生まれない。攻めていかないと」と意気込む田中社長。震災をばねに手掛けた久々の新商品に、再起への期待を込めた。

デーリー東北:企画・連載:あすへの願い 震災被災者のいま

北から南まで広範囲に大きな被害をもたらした、東日本大震災。あまりにも広くそして、甚大な被害だったためか、実際は被害が大きかったにも関わらず、そのことがあまり知られていない地域があるような気もします。

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八戸

参考WEBサイト

 デーリー東北新聞社:ONLINE SERVICE
www.daily-tohoku.co.jp  

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