突然やってくる慶長タイプ「津波地震」の恐怖

iRyota25

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海岸通りに新しくオープンした話題のレストランに、ママ友たちとランチにお出かけ。明るい春の日差しの中、ドアを開けようとしたらドアのガラスに見たことのない影のようなものが映った。「なに?」と振り返った次の瞬間、波に呑まれる。ママ友たちともども――。

伊豆の東海岸は冬でもいい波が狙えるから、伊東あたりはドライスーツに身を固めたサーファーでいっぱい。平日からよくもまあ、こんなにたくさんと思うほど。ボードに乗って波待ちしていたら、遠くから見たことのないような高い波がやってくる。「2メートルはありそうだ!」みんな目を輝かせてボードを沖に向ける。でも次の瞬間、瞳が恐怖に凍りつく。波は5メートルをはるかに超えて迫ってくる。波頭は泡を噴き上げるように白いものの、波の本体は真っ黒だ。立ちはだかるように迫る水の壁で空がどんどん狭くなる。真っ黒な水の壁に吸い込まれる――。

月に一度の漁港の朝市。新鮮な魚がびっくり値段で買えるとあって、今朝もたくさんの人が集まってきた。アジのつかみ取り、マグロの解体ショーなどイベントも盛りだくさん。首都圏からはるばるやって来るお客さんも少なくない。地元の太鼓連も登場して、会場には賑々しい雰囲気があふれる。その時、ふと見ると足元にすうっと水が入ってきた。「何だこれ?」。浅い水たまりが驚く速さで広がったと思った次の瞬間、水の壁とともに漁船やトラック、フォークリフトが突っ込んできた――。

現実にあった悲劇

いまから400年前、慶長年間に発生し、房総半島から九州までの広範囲に津波が襲った慶長地震(1605年2月3日)もまた、不意打ちで津波に襲われる、そんな地震だった可能性が高い。なぜなら津波の被害記録は残されているのに、地震そのものの揺れの記録がほとんどない。時は慶長、豊臣秀吉が逝去し、天下分け目の関ヶ原の合戦が戦われ、江戸に幕府が開かれて、東海道の整備が始まり、慶長小判の発行など金融・経済制度も固まり始めていた頃のことだ。地震で家が倒れる、橋が落ちるなんてことがあれば、間違いなく記録が残っているはず。しかし古文書に記されるのは津波のことばかりで、地震についてはスル―。

スルーするもなにも、揺れを感じないうちに突然津波に襲われるというタイプの地震だったら、記録に地震動の話など残されるわけがない。何しろ、揺れはなかったのだ。

宮古市田老漁港の奥、巨岩に残された明治と昭和の津波高さを示すプレート。岩に張り付けられていたプレートの上が明治で下が昭和。どちらも今回の津波でひん曲げられている。

宮古市田老漁港の奥、巨岩に残された明治と昭和の津波高さを示すプレート。岩に張り付けられていたプレートの上が明治で下が昭和。どちらも今回の津波でひん曲げられている。

揺れない(揺れが小さい)のに、巨大な津波が押し寄せてくるタイプの地震は現に存在する。「津波地震」と呼ばれる地震だ。徳川家康の時代よりずっと近い明治時代に三陸地方を襲い、岩手県などに甚大な被害の爪痕を残した三陸地震もこのタイプの地震だったとされている。日清戦争終結の翌年1996年6月15日、夕方7時半頃に地震は発生した。過去にも津波被害を受けてきた地域だが、突然襲ってきた巨大津波(最大遡上高は38メートル)から多くの人が逃げ遅れ、2万2千人もの命が奪われた。

地震発生は夕方7時半のこと。まだ床に就いていた人は少ないだろうし、「逃げよう」と「思いさえ」すれば避難行動をとれただろうに、多くの人々が命を失う結果になってしまったのは、地震を感じなかったか、逃げるほどの地震だと認識しなかったからに違いない。

地震の測候所や郡役場で記録された揺れの記録は、下から2ランク目の「微-弱」に宮古町。二戸郡、九戸郡、閉伊郡、気仙郡など岩手県沿岸部は軒並み最低ランクの「微」と記録されていた。

現在の震度は1から7までで、震度5と6は強弱2段階に分けられるから、9ランク表示ということ。明治三陸地震の頃は5ランクだったから、現在の宮古市以外の岩手県沿岸部の震度は、1か2。多めに見積もっても3あったかどうか。立っていたり歩いていたりすると、ほとんど感じないレベルの揺れだったと考えられる。

明治三陸地震は、地震ではあまり揺れない「津波地震」だったという話は聞いていた。しかし、マグニチュードが8をはるかに越える巨大地震なのだから、震度も4くらいはあったのではないかと勝手に思い込んでいた。

でも違うのだ。明治の頃、三陸沿岸部に生活してきた私たちの仲間たちは、揺れをほとんど感じないのに、いきなり津波に襲われていた。逃げることもなく、いきなり津波に呑み込まれて命を落とす。家族を亡くす。そんな悲劇が過去に実際に起こった。そしてこれからも起こりうるということ、このことを知っておいてほしい。

科学が進歩してるんだから検知くらいできるだろう?

江戸時代や明治時代ならいざしらず、現代の科学をもってすれば、地震の予知は無理としても、発生した地震が津波を伴うかどうかくらい、すぐにわかるのでは? だって地震が起きらすぐに、地震速報に続けて「この地震による津波の恐れはありません」なんて放送しているもんね!

そう期待したいところなのだが、実際は、津波地震は普通の地震計では記録されくいという困った特徴があるらしい。

東日本大震災を引き起こした地震は、いくつかの地震が同時にまたは引き続き起こったものとされる。そのうちには津波地震の特徴を示す地震もあって、それが東日本大震災の津波を巨大なものにした要因のひとつだと指摘されている。

しかし、そのような話が議論されるのは、地震が発生した後のこと。町が津波に呑み込まれ、想像を絶する被害に日本中の人たちがただ呆然と立ち尽くし、ぽろぽろと涙を流すしかなかったあの時間からはるか後のこと。地震のメカニズムや被害との関係について心血を注いで研究している関係者には申し訳ないけれど、地震に際してのアナウンスには限界があると考えるほかない。

だって命がかかっているんだから。

だから――
地震を感じたら、たとえ小さな揺れであっても、海の近く、川の近くにいる時には津波来襲に備えること。
普段から、もしも津波に襲われたらどう逃げるか、どこに逃げるかを考えておくこと。
津波ばかりでなく、大地震や地震による建物や屋外の構造物の落下や崩壊、さらに火災など、危険が迫った時にどうするか、「エア避難活動」で予行演習しておくこと。
その心構えだけが、「津波地震」から身を守る手段なのだ!

(もうちょっとだけ詳しく)

通常の地震は、断層がずれる(地震の研究者は滑るという言葉を多用する)時の力が波として岩盤の中を伝わって、地上にいる人間に地震の揺れとして感知される。地上の人間が感じる地震の波は、断層が最終的にどれだけずれたのかという地震の大きさではなく、ずれの大きさを時間で微分したもの(ずれる勢いみたいなイメージでいいのだろうか)に比例するという。人間が感じる揺れは地震計に記される尖ったピークが急速に行き来する波と同様のものというわけだ。

「普通の地震」の場合、断層の破壊が伝わっていく速度(紙をびりびり破くように、ある場所で始まった破壊が隣へ隣へと伝わっていく速さ)は、秒速2.3~2.7kmほどということらしい。時速に置き換えれば1万km/h! 考えられないスピードだ。この破壊の衝撃が岩盤の中で複雑な波として伝わっていく。この破壊が地震の正体だ。

いっぽう、津波地震は断層の破壊がゆっくり進む地震だと考えられている。断層の壊れ方がゆっくりだから、地上にいる人間には強い揺れとして感じられにくい。地震計の波も間延びしてなだらかなものになってしまう。

ここからは、防災科学技術研究所の「強震動の基礎」から、津波地震の核心的な部分を引用してご紹介。ほんの1行で言い切ってくれます。

津波は海底の上下変動に起因するので、たとえ破壊の進行がゆるやかでも、大きな地殻変動が伴えば大きな津波が生じる。

強震動の基礎:I-5.3.3

 強震動の基礎:I-5.3.3 | 防災科学技術研究所
www.kyoshin.bosai.go.jp  

さらに興味深いのは、次の解説だ。

断層のすべり速度、破壊伝播速度がさらに小さくなると、地殻変動の進行が遅く津波すら起きなくなる。

強震動の基礎:I-5.3.3

地震は断層や岩盤が破壊される出来事だ。その壊れ方は千差万別。ガラスのコップの割れ方、茶碗の割れ方、植木鉢の割れ方……。なんとなく、それぞれ割れ方が違っているのは感覚的にわかるだろう。地球の割れ方も同様だ。その場所の岩盤の種類や組成、隣り合った岩盤の条件などで、様々な壊れ方をする。そのうちの、時速1万kmなんて割れ方をする場合の震動を、人間は「普通の地震」として認識しているわけだ。地球の割れ方は、それ以外にも多種多様なのに。

阪神淡路の地震のように数十秒の地震動だけで数多くの金融機関のビル(当然頑丈に造られていたはずなのに)を破壊する地震もあれば、激震と巨大津波が広大な地域を襲う東日本大震災のような地震もある。明治三陸地震のようにほとんど前ぶれなく巨大津波が押し寄せてくる地震もある。そして、人間に気づかれることなく、津波を惹起することもないくらいに緩やかなスピードで断層が破壊されていく地震もある。

「大きな地震だったから津波が来るぞ!」は正しいが、逆は真ならず。
小さな地震、かすかな地震でも大津波が来ることはある!

結論――
(繰り返しになりますが)
★地震を感じたら、たとえ小さな揺れであっても、海の近く、川の近くにいる時には津波の襲来に備えてとにかく逃げること。
★普段から、もしも津波に遭遇したら、どう逃げるか、どこに逃げるか、逃げ切れないって状況をどうすればなくせるか考えておくこと。
★津波ばかりでなく、大地震や地震による建物や屋外の構造物の落下や崩壊、さらに火災など、危険が迫った時にどうするか、「エア避難経験」で予行演習しておくこと。

慶長地震、明治三陸沖地震のように、気配を消して突然襲い掛かってくる津波地震は恐ろしい。そんな地震があるということを、しっかり意識することが第一だ。

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文●井上良太

最終更新:

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  • S

    suyasuya

    弱い地震でも大きな津波が来るかもしれないとは、ほとんどの人が知りません。経験もないため、信じる人も少ないでしょう。機会があるごとにその恐怖を、伝えていくことが大切ですね。東南海地震も心配されていますので、併せて、記憶していきたいと思います。