[2月9日という日]バレーボール誕生、ジャンボ飛ぶ

Rinoue125R

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歴史の中の2月9日

▼1895年 バレーボール誕生

YMCAの体育教師として活動していたアメリカ人ウィリアム・G・モーガンが、この日バレーボールを発明したとされる。バレーボール発祥の地マサチューセッツ州ホリーヨークのバレーボール殿堂によると、考案された当時のバレーボールは、コートに立てる選手数に決まりはなく、ボールを相手コートに打ち返すまでに何度打っても構わなかったという。

今日、競技としてのバレーボールは猛烈にハードだが、バレーボール発明のきっかけはちょっと意外で、「バスケットボールが身体接触が多く、中高年層にはハード過ぎる」からなんだとか……。お昼休みに輪になってボールを打ち合うレクリエーションとしてのバレーボールこそが、モーガン氏が目指した姿なのかもしれない。

▼1931年 前大蔵大臣の井上準之助が暗殺される(血盟団事件)

井上準之助は選挙応援に訪れた演説先で拳銃によって暗殺された。井上準之助は濱口雄幸内閣の蔵相として金解禁を推進。世界恐慌に巻き込まれ経済に大混乱を招いたことでテロの標的とされた。

血盟団は茨城県の日蓮宗の僧侶である井上日召が結成した政治結社で、元老や首相、元首相、元外相、財閥の要人などを「一人一殺」で暗殺する計画を実行に移した。井上準之助に次いで三井財閥トップ團琢磨も血盟団の凶弾に倒れた。

▼1969年 ボーイング747が進空

B-747生産初号機「City of Everett」
B-747生産初号機「City of Everett」

commons.wikimedia.org

500人規模の乗客をのせることが出来る巨大な旅客機は、開発当時はボーイング社側にも懐疑的な意見が少なくなかったという。当時の長距離旅客機の主力だったダグラス社のDC-8は150人規模。ボディをストレッチして乗客数増員を図った機体でも250人規模だったのだから、懸念も理解できる。

しかし、初号機である「City of Everett」の写真は当時の少年雑誌、学習雑誌に繰り返し登場し、こども達に空へのあこがれを植え付けた。赤と白のカラーリングやコクピットしたの防眩用の黒塗装など懐かしく思うオールドファンも少なくない。ジャンボジェットは航空料金の低価格化や空の旅の普及にも貢献したことでも、歴史的な機体だったといえる。

JALやANAからは退役したため、国内で見かけることは極端に減ったものの、千歳空港などでは日本政府専用機を、また国際線の発着の多い空港などで海外の航空会社の機材として運用されているジャンボジェットにお目にかかる機会はあるので探してみては。

▼1982年 日航羽田沖墜落事故(日航逆噴射事故)

日本航空「福岡発東京行350便」が羽田空港に着陸する直前、機長が機首下げとエンジン逆噴射(ブレーキに当たる)を行ったため、滑走路手前の東京湾に墜落した事故。乗客・乗員24名が死亡し、149名が負傷した。

人命を預かるパイロットの異常行動によって、乗客の命が危険にさらされた事件で、当時の社会に大きな衝撃を与えた。

▼美浜原子力発電所で原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置が作動するアクシデント

関西電力美浜発電所2号機で、タービンを回すための蒸気を発生する伝熱管が破損、原子炉が自動停止した。原子炉は停止とともにタービンへの蒸気の供給を遮断するため、炉心の温度が上昇する。そのため、緊急炉心冷却装置(ECCS:発電用の水蒸気の循環で炉心を冷却する通常運転時とは異なり、原子炉を冷やすために採られる強制的な冷却装置)が作動した。

日本の原発のアクシデントとしては、初めてECCSの作動を招いた重大な事故だった。

この日が誕生日

◆1829年 仮名垣魯文
江戸から明治にかけての戯作文学者。代表作に「西洋道中膝栗毛」や「安愚楽鍋」がある。数多くの新聞も創刊した。

◆1859年 秋山好古(よしふる)
松山藩に生まれた日本陸軍の軍人。日露戦争で活躍し、日本騎兵の父と呼ばれた。

◆1867年 夏目漱石
明治を代表する文豪。東京牛込、現在の新宿区喜久井町の生まれ。「吾輩は猫である」「坊つちやん」「三四郎」「こころ」「明暗」など多数。鈴木三重吉、寺田寅彦、野上弥生子、芥川龍之介など門下生も多かった。

漱石全集 第8巻より | 近代日本人の肖像 国立国会図書館
漱石全集 第8巻より | 近代日本人の肖像 国立国会図書館

www.ndl.go.jp

◆1887年 土田麦僊
新潟県佐渡出身の日本画家。「舞妓林泉」「大原女」など西洋絵画の空間認識を取り入れた斬新な作品を数多く残した。

◆1912年 双葉山定次
大分県宇佐市出身の大相撲力士。第35代横綱。不世出の横綱、相撲の神様と称された大横綱。69連勝は不朽の大記録。地元では、若い日の双葉山が家業を助けるために両肩に米俵を担いで駅館川(やっかんがわ)を渡っていたという逸話も残されている。

◆1932年 広岡達朗
広島県出身のプロ野球選手、指導者、解説者。ヤクルト、西武で監督を務めた8年間で4度のリーグ優勝、3度の日本一に輝いた。

◆1951年 あだち充
群馬県出身の漫画家。「みゆき」「タッチ」「H2」など。

この日亡くなった人たち

・1199年(建久10年) 源頼朝
鎌倉幕府の初代征夷大将軍。相模川の橋供養の帰路、落馬したことが原因で死去したとの説が伝えられる。

・1881年 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
ロシアの小説家。「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」などの長編小説のほか、「地下室の手記」「白夜」など中編短編小説にも名作が多い。

・1989年 手塚治虫
大阪府出身の漫画家。平成改元から約1カ月後の「マンガの神様」の死去は、昭和という時代の終焉を象徴するものと言われた。手塚治虫の命日にちなんで、この日は「漫画の日」にも制定されている。

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