2001年9月11日 アメリカ同時多発テロ
9月11日早朝発の4機の旅客機がハイジャックされ、うち2機がニューヨークのワールドトレードセンター(WTC)に、1機が国防総省本庁舎(ペンタゴン)に突入した。(残る1機は乗客の抵抗の中墜落)
民間旅客機を乗っ取って起こされたテロにより、WTCツインタワーが倒壊するなど大きな被害が発生した。
ハイジャックされた旅客機
・アメリカン航空11便(ボストン発ロサンゼルス行き ボーイング767-200)
・ユナイテッド航空175便(ボストン発ロサンゼルス行き ボーイング767-200)
・アメリカン航空77便(ワシントンD.C.発ロサンゼルス行き ボーイング757-200)
・ユナイテッド航空93便(ニューアーク発サンフランシスコ行き ボーイング757-200)
それぞれの航空機の動向
*アメリカン航空11便(B767-200型機)
乗客81名・乗員11名を乗せ、午前7時54分離陸
午前8時14分頃、ハイジャックされる
午前8時46分にWTCツインタワー北棟に突入
*ユナイテッド航空175便(B767-200型機)
乗客56名・乗員9名を乗せ、午前8時14分離陸
午前8時43分頃までにハイジャックされる
午前9時3分にWTCツインタワー南棟に突入
*アメリカン航空77便(B757-200型機)
乗客58名・乗員6名を乗せ、午前8時20分離陸
午前8時50分ごろまでにハイジャックされる
午前9時38分、バージニア州アーリントンのペンタゴンに激突、爆発炎上
*ユナイテッド航空93便(B757-200型機)
乗客37名・乗員7名を乗せ、午前8時42分離陸
午前9時27分にハイジャックされるが、携帯電話等で他の旅客機のWTC突入を知った乗客らが飛行機の奪回を試みた様子がボイスレコーダーに残る。10時03分、ペンシルベニア州シャンクスヴィルに墜落
◆テロによる被害
8時46分(日本時間 21時46分)
アメリカン航空11便が、110階建てのWTCノースタワーの94~98階付近に突入、炎上した。
9時3分(日本時間 22時3分)
ユナイテッド航空175便が、同じく110階建てのサウスタワーの78–84階に突入炎上。2機目の突入はニュース番組で生中継される。
9時38分(日本時間 22時38分)
アメリカン航空77便がペンタゴンに突入。五角形の建物の南西棟に高速で激突し炎上したとされる。乗員乗客64人全員と、国防総省で勤務中だった職員189人も犠牲になった。
9時59分(日本時間 22時59分)
火災炎上していたサウスタワーが鉛直方向に倒壊。
10時28分(日本時間 22時28分)
同様にノースタワーも倒壊する。火災の熱によりビルの構造体である鉄骨の強度が失われたことが倒壊の原因とされる。ツインタワーの倒壊の影響で、周辺にあったビルにも被害が広がり、おもな7つのビルのすべてが倒壊した。
◆影響
テロの首謀者と断定された国際テロ組織アルカイーダを匿っているとされたアフガニスタンのタリバン政権に対して、米国と英国により報復作戦「不朽の自由作戦」が2001年10月7日から開始された。
ブッシュ大統領がイラクの同時多発テロへの関与を示唆し、それをマスコミがしきりと報道したことが2年後のイラク戦争の導線となったという指摘もある。
◇陰謀説
米国政府による自作自演という説から、テロを事前に知らされていたにも関わらず黙認した、あるいはテロに乗じた老朽化したビルを破壊したなど、多くの陰謀説がある。
歴史の中の9月11日
◆1498年 明応地震
明応7年8月25日、東海道沖に大地震が発生する。残された文献から、東海から畿内にかけての広い範囲での被害が認められる。ただし、応仁の乱の後、戦国時代へ突入していった時代だったこともあり、必ずしも文献資料が残されていない可能性もある。西日本での地質調査で15世紀末と見られる地震の痕跡が見つかったという報告もあるらしい。
*この地震による大津波で、それまで淡水湖だった浜名湖が今切で海とつながった。
*もともと大仏殿の建物の中にあった鎌倉大仏が、津波被害で建物を失い、露坐になったのが、この地震によるという説がある。
○明応という時代
・10年にわたった応仁の乱(1467年~77年)が終わって20年ほど
・一休宗純が亡くなったのが1481年
・地震の前年、1497年には毛利元就が誕生
・一休と親交があった蓮如が亡くなったのが1499年
◆1860年 オールコックが富士山登頂
英国駐日総領事(初代)のサー・ラザフォード・オールコックが富士宮の登山口から富士山に登る。外国人として初の登頂とされる。
◆1900年 公衆電話が日本で初めて設置される
東京及び横浜に電話局が設置されたのは1890年(明治23年)12月。その時から電話局内に一般に利用可能な電話機があったが、明治33年のこの日、新橋駅の待合室前と上野駅駅長室前の2か所に公衆電話が設置された。
◆1905年 日露戦争の殊勲艦「三笠」が弾薬庫の爆発で沈没
日露戦争で連合艦隊旗艦としてロシアのバルチック艦隊との海戦で活躍した戦艦三笠が、佐世保港内で弾薬庫の爆発により沈没。9月5日にポーツマス条約締結で戦争が終結した直後だった。
翌年、三笠は引き揚げ修理の上、現役復帰。大正時代にワシントン軍縮条約で廃艦が決まるも、国民的な保存運動がおこり横須賀に保存される。
第二次大戦終結後、占領軍として進駐したソ連側から三笠の解体が要求されるが、米海軍提督らの反対で生き残る。しかし、実際には進駐軍のための娯楽施設として荒れ果てていくも、イギリス人の呼びかけからふたたび保存運動が持ち上がり、記念艦として保存される現在に至る――。と、イギリス・ヴィッカース社生まれで波乱万丈の生涯を送ってきた艦が、最初にミソを付けられたのが明治38年のこの日。
◆1937年 後楽園球場が開場
◆1945年 GHQが戦犯容疑者39人に逮捕命令
この日、第一次戦犯指名として逮捕指令が出されたのは、東條英機、東郷茂徳、嶋田繁太郎、賀屋興宣、鈴木貞一、岸信介、岩村通世、小泉親彦(9月13日に自殺)、橋田邦彦(9月14日に自殺)、井野碩哉、本間雅晴(マニラの軍事法廷で死刑判決)、黒田重徳(マニラの軍事法廷で終身刑判決)、村田省蔵、寺島健、長浜彰(マニラの軍事法廷で死刑判決)、太田清一、上田良武、鈴木薫二、徳田久吉、飛田時雄、長内茂、三浦宗一、竹内寛、ジェームズ・W・佐々木(佐々木薫一)ら40名。
◆1961年 世界自然保護基金 (WWF) 設立
◆1973年 チリ・クーデター
選挙によって選ばれた南米初の社会主義政権に対して起こされた軍事クーデター。アメリカの積極的な関与があったことが証明されている。
ラテンアメリカでは「9・11」はチリ・クーデターを指す場合が多いという。
この日が誕生日
1182年(寿永元年8月12日) 源頼家
源頼朝の第3子で次男、鎌倉幕府第2代将軍。1204年、伊豆修善寺で没す。
1719年(享保4年7月27日) 田沼意次
江戸幕府の側用人、老中。汚職の象徴のように言われるが地元では名君の誉れ高い。
1854年 ハインリッヒ・エドムント・ナウマン
ドイツの地質学者。お雇い外国人として日本の地質学の基礎を築く。フォッサマグナの発見やナウマンゾウの名は彼に因む。
1862年 O・ヘンリー
アメリカの小説家、短編の名手。「最後の一葉」、「賢者の贈り物」など。
1885年 D・H・ローレンス
イギリスの小説家。「チャタレー夫人の恋人」など。
1929年 サトウサンペイ
漫画家。1965年から朝日新聞に4コマ漫画『フジ三太郎』を連載、読者の共感を得て、26年半に及ぶ長期連載となった。
1954年 佐藤義則
元プロ野球選手、コーチ。無類の酒好きで「酒仙投手」と呼ばれたひとり。任意引退扱いとなった翌年にリリーフ投手として復活。1984年には先発投手に復帰し、次の年には21勝で最多勝利のタイトルを獲得。昭和最後の20勝投手。
1993年7月12日に、出身地の奥尻島が北海道南西沖地震で壊滅的被害を受けた翌日にオールスターに選出される。第2戦に登板し2回4奪三振を記録。すぐにでも故郷へ帰りたい気持ちをこらえての力投だったという。
通算勝利数は165。
現役引退後はコーチとして日ハムのダルビッシュ有、楽天の田中将大などを育てる。
1965年 バッシャール・アル=アサド
シリア大統領
1966年 文仁親王妃紀子さま
秋篠宮妃
1971年 矢作兼
お笑いタレント(おぎやはぎ)
この日、亡くなった人々
1894年 榊原鍵吉
江戸時代から明治期の剣客。直心影流男谷派剣術の継承者。同門に勝海舟がいる。
直心影流は竹刀と防具を付けての打ち込み稽古を江戸時代後期に導入した流派。榊原は徳川家茂の御前での「兜割り」、明治天皇の御前での「天覧兜割り」でも知られ、最後の剣豪と呼ばれる。
1971年 ニキータ・フルシチョフ
ソビエト連邦首相。スターリン時代の恐怖政治からの脱却を果たす。キューバ危機を回避したソ連の指導者。
1985年 夏目雅子
女優
2009年 臼井儀人
漫画家。趣味の登山で群馬県の荒船山に単独で入り事故死。
最終更新: