「赤字国債」復活から半世紀

Rinoue125R

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戦費捻出のための国債

日本の戦時国債(戦争国債)
日本の戦時国債(戦争国債)

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第二次世界大戦中、国民に対して国債(戦時国債)購入を積極的に呼びかけてきた。証書に軍艦や戦車が描かれていることから分かる通り、目的はもちろん戦費を捻出するためだ。その結果、1945年の敗戦時には日本の国債発行額は国内所得の2倍を超える規模に膨れ上がっていたという。もし仮に連合国側との講和が実現し、敗戦を免れるという「歴史のIF」を考えても、借金に耐えられず経済的に敗北したのは間違いない。

現実に日本は敗戦後、猛烈なインフレに襲われ、国債は紙くず同然となった。のみならず1946年に断行された新円切替と預金封鎖で、戦前からの現金資産も同様に紙くずとなる。その上、財産税まで設定される。日本の経済は実質的に破綻したのだ。

1947年に制定された財政法では赤字国債の発行を禁じた。過ちを繰り返すことなく、借金無しの健全経営で行こうという当時の人々の決意表明だ。ところが1965年の11月19日、その禁が破られることになった。

オリンピック景気の後にやってきた地獄の不況

1965年の前の年は1964年だ。1964年には日本でビッグイベントが開催されている。東京オリンピックだ。オリンピック開催に向かっての数年間、経済は空前の好況を記録していた。しかし、オリンピックが終わった途端、経済は急速に縮小していく。

昭和40年不況と呼ばれた嵐は大きくの企業の連鎖倒産を招き、四大証券会社の一角を占めていた山一證券までが危ないという状況に陥った。まさにバブル崩壊を先取りするような経済状況だ。これを乗り切ったのは、当時大蔵大臣だった田中角栄が決断したと伝えられる「無制限・無担保の日銀特融」だった。その直後、佐藤栄作首相は、池田勇人内閣から引き継いだ閣僚をそう入れ替えする内閣改造を行い、独自色を打ち出した政権運営にとりかかる(大蔵大臣は福田赳夫に交代)。課題は不況からの脱出だった。

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(個人向け国債をPRするCM。このキャラはコクサイ先生と言うらしい)

日銀特融で山一證券の倒産を喰い止めることには成功したものの、景気縮小には歯止めが効かなかったために「第二の矢」として佐藤改造内閣が放ったのが赤字国債だった。国債発行で集めた金を公共事業に投じて景気を刺激する。この時は国債発行は成功したように見えた。しかしそれが「麻薬」になった。

赤字国債については、当時の日銀総裁・吉野俊彦が「国債発行は禁断の木の実になるおそれがあります。満州事変以降の苦い経験を忘れてしまったのですか」と語ったという有名な話がある。借金の垂れ流しの危険を「禁断の木の実」と例えるのはわかるが、その後に「満州事変以降の苦い経験」という言葉がつづくことは極めて重要だ。

国債を発行すること自体が非常事態

少々話が飛ぶが、明治維新後の日本が最初に国債を発行したのは日清戦争の後だったという(「海舟座談」に出てくる勝海舟の言葉による)。日清戦争に勝利したものの三国干渉によって遼東半島を返還させられた日本は、臥薪嘗胆をスローガンにロシアに対抗できる力を身につけることが急務だった。力とは要するに軍事力だ。ロシアの横槍に屈しないために、より多くの軍艦、より大きな大砲を手に入れようとしたわけだ。それには当然お金がいる。この状況で明治天皇が国債発行に言及したと勝海舟は「座談」の中で語っている。海舟は国債発行に反対したようだが、国債(今と違って国民資産は乏しいから、大部分が外債)は発行される。これが日露戦争後の日比谷焼き討ちにつながる導火線になる(国債返済のための増税に喘いでいた国民が、ロシアから賠償金を取れなかったことで、戒厳令が出されるほどの大暴動が発生した)。一般庶民が政府を突き上げたこの暴動は、その後の日本を世界戦争に押し出していく種子のようなもののひとつになった。

日銀総裁・吉野俊彦の「満州事変以降の苦い経験」という言葉には、言外に、日清・日露の戦争に端を発して日本が戦争に突き進むことになったことへの反省が含まれていると思う。これは必ずしも穿ち過ぎな見方ではないはずだ。なぜなら、日露戦争時の外債償還は満州事変の頃にも続いていたのだから。明治期の戦争と昭和の大戦は国の借金という形で連結していたのだから。

戦争への反省から戦後日本は国債を封印した。しかし、佐藤内閣が禁を破って以来、発行されない時期もあったものの、現在では完全に常態化されている。まるで立派な金融商品みたいな顔をしているが、歴史的には発行自体が異常事態だったのだ。膨れ上がっていく借金は、この国をどこへ連れて行くことになるだろうか。

先人の深い反省を無にした上に、さらに軍事予算まで増やそうと画策する人々がいる。気をつけねば。

50年前に起きた「赤字国債復活」は地味な出来事に見えるかもしれないが、過去と未来の国のあり方につながる大きな事件だ。戦後、国家の赤字経営を禁じる「財政法」を制定した人々や、オリンピック後の大不況の中にあっても赤字国債発行に反対した日銀総裁たちが確かに持っていた、「過ちを繰り返さない」という決意が忘れられることがあってはならない。

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