[7月24日という日]四日市ぜんそく訴訟住民勝訴の日

Rinoue125R

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歴史の中の7月24日

▼672年 壬申の乱
日本古代史上最大とされる内乱。天智天皇の太子・大友皇子に対し、大海人皇子が叛乱を起こし勝利する。壬申の乱の要因にはさまざまな説があるが、額田王(ぬかたのおおきみ)を巡る天智天皇と大海人皇子の三角関係を原因とする説も根強い。

▼930年 清涼殿落雷事件

「松崎天神縁起絵巻」(鎌倉時代/応長元年(1311)/重要文化財)
「松崎天神縁起絵巻」(鎌倉時代/応長元年(1311)/重要文化財)

www.yma-web.jp

太政官の会議が行われる清涼殿に落雷が直撃、公卿2人が直撃を受けて死亡。さらに紫宸殿にも落雷が襲い公卿や官人に死者が出た。死者の1人藤原清貫がかつて菅原道真の左遷に関わったことから、雷神と化した道真の怨霊が都を襲ったという噂が都中に流布することになった。

▼1587年 豊臣秀吉の伴天連追放令
九州平定後の秀吉が筑前箱崎(福岡県)で発布したキリスト教禁制。肥前平戸の大名松浦家に伝わる松浦家文書として知られる。

松浦家文書
松浦家文書
西南学院大学博物館の展覧会資料から
西南学院大学博物館の展覧会資料から

神国である日本ではキリスト教は邪教であり、門徒を改宗させたり、神社仏閣を壊すような伴天連を日本に置いておくわけにはいかない。20日のうちに国外退去しろ。さりとて、仏法の妨げを行わない者どもは、キリスト教の国からの往来は苦しからず、つまりビジネスならばOKだよという内容。

秀吉の侍医で比叡山の僧職でもあった施薬院全宗(せやくいんそうぜん)が書いたとされるこの禁制は、仏教を妨げる布教活動を禁止するだけで、南蛮貿易を規制するものではなかった。

▼1943年 ハンブルク空襲始まる
英国空軍の指揮によって行われた、英米加空軍によるドイツ北部の都市ハンブルクへの反復爆撃が開始された。夜間爆撃を担当する英加空軍と中間爆撃を担当する米空軍で役割分担を明確化し、24時間体制で戦略爆撃が実行された。街の一区画を破壊すると言われたブロックバスター爆弾などによって市街地は壊滅。発生した火災旋風で多くの市民が犠牲になった。

▼1945年 呉軍港空襲
燃料不足で瀬戸内海の軍港近くに「浮き砲台」として停泊していた日本海軍の艦艇に対して、日本近海まで侵入した空母機動部隊の艦載機による大規模な空襲が行われる。大規模空襲は3月19日、6月22日、7月24日、7月28日など繰り返し行われたが、この日の空襲で戦艦「榛名」が20発近い爆弾を受け着底した。着底後も榛名は浮き砲台として航空機に対する迎撃を続けたといわれる。

▼1969年 初めて月面着陸したアポロ11号が地球に帰還

▼1972年 四日市ぜんそく訴訟で津地方裁判所が住民側勝訴の判決
単体の企業ではなく、石油化学コンビナートを構成する複数の企業から排出される化学物質に起因するぜんそく被害の裁判。加害者の特定が大きな焦点となったが、津地方裁判所四日市支部は、石原産業、中部電力、昭和四日市石油、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成したことで、環境行政や企業の姿勢にも大きな影響があったとされる。

▼1989年 宇野内閣退陣
その年の6月に竹下内閣の後を受けて、宇野宗佑を首班として発足した内閣だったが、7月の参院選では政治問題化していた三点セット(リクルート、消費税、牛肉・オレンジ自由化)に加えて、宇野総理の女性問題(サンデー毎日に書かれた「指三本」)で逆風が吹きまくり、社会党を中心にしたマドンナ旋風にも見舞われて惨敗。69日で総理を辞することになった。退陣会見では噴飯ものの「明鏡止水の心境であります」と発言した。

この日が誕生日

◆1802年 アレクサンドル・デュマ(父)
フランスの戯曲家・小説家。「モンテ・クリスト伯(巌窟王)」「三銃士」に始まる「ダルタニャン物語」など。

◆1857年 後藤新平
仙台藩水沢城下に生まれた官僚、政治家。台湾総督、満鉄総裁、内務大臣などを歴任。関東大震災に当たっては帝都復興院総裁として「震災復興計画」を立案した。ボーイスカウト日本連盟の初代総長も務めた。

◆1886年 谷崎潤一郎
明治19年7月24日に東京市日本橋区に生まれ、明治末期から大正、昭和と活躍した小説家。「刺青」「痴人の愛」「卍」「細雪」など。

◆よしもとばなな
小説家。「キッチン」「哀しい予感」「吉本隆明×吉本ばなな」など多数。

この日亡くなった人たち

・1927年 芥川龍之介
東京帝大在学中に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され文壇へ。海軍機関学校の嘱託教官として英語を教えながら「芋粥」「蜘蛛の糸」「奉教人の死」「蜜柑」など数多くの短編小説を著す。1919年から機関学校教官を辞し大阪毎日新聞社社員の身分で執筆に専念。「南京の基督」「杜子春」「侏儒の言葉」「河童」「或阿呆の一生」「歯車」などの作品を残した。

昭和2年(1927)36歳で服毒自殺。

遺稿のひとつ「歯車」の末尾を引用する。

 そこへ誰か梯子段を慌(あわただ)しく昇つて来たかと思ふと、すぐに又ばたばた駈け下りて行つた。僕はその誰かの妻だつたことを知り、驚いて体を起すが早いか、丁度梯子段の前にある、薄暗い茶の間へ顔を出した。すると妻は突つ伏したまま、息切れをこらへてゐると見え、絶えず肩を震はしてゐた。
「どうした?」
「いえ、どうもしないのです。……」
 妻はやつと顔を擡(もた)げ、無理に微笑して話しつづけた。
「どうもした訣(わけ)ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから。……」
 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だつた。――僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

芥川龍之介「歯車」青空文庫

・1974年 ジェームズ・チャドウィック
イギリスの物理学者。ラザフォードと放射性物質について研究し、中性子線を発見。第二次世界大戦中はアメリカで原爆を開発するマンハッタン計画に参加した。1935年にノーベル物理学賞を受賞した。

・1985年 たこ八郎
仙台出身のボクシング元・日本フライ級チャンピオンでコメディアン、俳優。ボクサー引退後、パンチドランカーの後遺症が残る中、コメディアンとして活躍。「幸福の黄色いハンカチ」「思えば遠くへ来たもんだ 」など多くの映画にも出演した。人気絶頂の中、神奈川県真鶴海岸で飲酒して海に入り心臓麻痺で死亡した。彼の死はその日の「笑っていいとも」でタモリが伝えた。座右の銘は「迷惑かけてありがとう」

・2010年 森毅
日本の数学者、教育者、評論家。教育はもとより文学、哲学、社会など幅広い分野で評論活動を行った。2009年自宅で調理中に炎が衣服に移り大火傷を負う。敗血症によるショックで死去。

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