1912年1月28日、白瀬中尉が南極「大和雪原」を命名
南極点到達を目指していた陸軍輜重兵中尉で、それまでに千島での過酷な越冬探検を行っていた白瀬矗(のぶ)が、南緯80度5分・西経165度37分の地点一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名。日本の領土と宣言した。(先占による領有の宣言は、後のサンフランシスコ平和条約で放棄された)
歴史の中の1月28日
▼1077年 カノッサの屈辱
1月25日からカノッサ城門前で断食と祈りを続けてきた神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に対して、ローマ教皇グレゴリウス7世が破門を解除する。これによりカノッサの屈辱と呼ばれる事件が終結。
▼1547年 ヘンリー8世逝去でエドワード6世が即位
ヘンリー8世が死去し、唯一生存していた王子エドワードが9歳にして即位。幼い王をめぐる政争の中、1553年に15歳で逝去する。続いてイングランドはメアリー1世、エリザベス1世の時代に進む。
▼1871年 普仏戦争でパリ陥落
フランスとプロイセンの間の普仏戦争で、プロイセン軍がパリを占領。フランス陸軍は敗北を喫し、以後戦闘はゲリラ戦に移行する。
フランクフルト講和条約の結果、アルザス・ロレーヌ地方をドイツ帝国に譲渡することはフランス人を深く傷つけた。ドイツに支配されることになったメスに生まれ、フランス国籍を選んだ画家、アルベール・ベタニエが1887年に描いた「黒い汚れ」(ドイツ歴史博物館所蔵)はフランスのドイツへの復讐主義を象徴するもの。気弱そうにも見える教師がフランスの地図の右端の黒塗りの地域を指して、リヴェンジの意義をこども達に教えている。この復讐主義が、第一次世界大戦にフランスが参戦する大きな要因になったと言われている。また第一次大戦後のベルサイユ条約で、ドイツへの多額の賠償を求めた主因だったのは間違いない。(まさにリヴェンジ)
支払いが不可能なほどの賠償金を課せられたことがドイツ国内の政情不安を招き、ひいてはナチ党の抬頭、第二次大戦に直接つながる拡大主義を招いたと考えれば…。
アルベール・ベタニエについてのフランス語版Wikipediaには次のような記載がある。
ベタニエはパリのサロンで若干の名声を得た。彼は定期的にアルザス・ロレーヌ譲渡を題材とする作品を発表した。
(中略)
フランスとドイツの関係が緊張する時、ベタニエは「国土が失われた記憶」を鼓舞する画材に立ち返る。
アルフォンス・ドーデの小説「最後の授業」が発表されたのも1871年、まさにフランスがドイツに敗北した年だった。美しく悲しい物語として読まれることが多いと思うが、この物語にも国家主義に根差したリヴェンジの思想が反映されている。アメル先生が最後の授業の終わりに黒板に書いたのは「vive la france!(フランス万歳)」だった。
復讐の思想は根が深い。リヴェンジに代わる考え方はないのだろうか。
▼1871年 日本初の日刊紙「横浜毎日新聞」創刊
▼1915年 アメリカの沿岸警備隊発足
税関監視艇局と救命局が合併し沿岸警備隊(United States Coast Guard : USCG)として発足。
▼1948年 女王丸事件
瀬戸内航路を運航する関西汽船の女王丸が、岡山県牛窓沖で機雷に触雷して沈没。死者行方不明188人の惨事となった。機雷は水中に設置され、物理的刺激や磁気などに反応して爆発する水中兵器。太平洋戦争末期、国内海運を封鎖する「飢餓作戦」として、B-29などの大型爆撃機による機雷投下が盛んに行われた。米軍により投下された機雷は1万発以上といわれる。
▼1986年 スペースシャトル「チャレンジャー」爆発事故
打ち上げから73秒後のチャレンジャーが空中分解し、7名の乗組員が犠牲になった事故。当時のレーガン大統領はその日予定していた一般教書演説を延期し、事故についてのテレビ会見を行った。スペースシャトル計画は32カ月間中断した。
この日が誕生日
◆1712年 徳川家重
江戸幕府9代将軍。徳川吉宗の長男。言語不明瞭で唯一彼の言葉を聞き分けることができた大岡忠光を側用人として重用した。ちなみに父・吉宗の父、徳川光貞も同じ誕生日(1627年)。当時は太陰暦だったので祖父と孫が同じ誕生日だと認識した人はいなかっただろうが。
◆1858年 ウジェーヌ・デュボワ
ジャワ原人を発見したオランダの人類学者。
◆1873年 コレット
「青い麦」「牝猫」などの恋愛小説を現したフランスの女性作家。シドニー・ガブリエル・コレット。
◆1884年 オーギュスト・ピカール
スイスの気象学者、海洋学者、冒険家。1931年、水素気球に乗り人類で初めて成層圏に到達。1948年には深海観測用の潜水艇バチスカーフを開発。アメリカ海軍に購入されたバチスカーフ・トリエステは1960年、息子ジャック・ピカールらによって10,916メートルのチャレンジャー海溝潜航に成功する。
◆1886年 八木秀次
宇田新太郎とともに「八木・宇田アンテナ」を発明した電気工学者。戦争末期には技術院総裁に就任し、軍需技術行政を担当した。八木・宇田アンテナは国内での評価は低かったものの、レーダー用のアンテナとして海外ではその技術が取り入れられていた。八木アンテナ社長。大坂大学総長、武蔵工業大学(現・東京都市大学)学長、参議院議員など歴任。
◆1901年 高橋新吉
愛媛県生まれの詩人。ダダの新吉と呼ばれた。
◆1912年 ジャクソン・ポロック
ワイオミング州生まれのアメリカの画家。抽象表現主義を代表する存在。アクション・ペインティングで知られる。
◆1931年 小松左京
大阪生まれのSF作家。「日本沈没」「首都消失」「さよならジュピター」。大坂万博テーマ館のサブ・プロデューサー、花博の総合プロデューサーもつとめた。
◆1935年 白川義員(よしかず)
写真家。アルプスやヒマラヤなどの山岳写真で知られる。1996年から「世界百名山」の撮影プロジェクトに取り組んだ。
◆1941年 川崎のぼる
大阪生まれの漫画家。「巨人の星」(原作は梶原一騎)、「いなかっぺ大将」、「アニマル1」など。
◆1952年 三浦友和
山梨県出身の俳優。「伊豆の踊子」「おかえり、はやぶさ」、テレビ「赤いシリーズ」など。
◆1955年 ニコラ・サルコジ
フランス第五共和政第6代大統領。(2007年5月16日~2012年5月14日)
◆1972年 新庄剛志(つよし)
長崎生まれ福岡育ちの元プロ野球選手。阪神、NYメッツ、SFジャイアンツ、日本ハムファイターズで活躍。日本人として初のワールドシリーズに出場した。日米通算1524安打。
この日亡くなった人たち
・1547年 ヘンリー8世
アン・ブーリンに結婚を迫られ、妻・キャサリン・オブ・アラゴンとの離婚を認められなかったためにカトリック教会から離脱したイングランド王。その後アン・ブーリンを殺し、彼女の侍女だったジェーン・シーモアなどと結婚離婚を繰り返す。結婚回数は合計6回。イングランド国王を国教会の最高の首長とする「国王至上法」を定めた。
・1596年 サー・フランシス・ドレーク
イギリスの海軍提督で海賊。世界一周を達成する。アルマダ海戦でスペイン艦隊を破った。
・1881年 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー
死刑判決を受けながら銃殺直前に特赦で赦された経験を持つ。この経験が作品にも反映されている。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」「地下室の手記」など。
・1989年 山階芳麿
元皇族。山階鳥類研究所を開いた。
・1998年 石ノ森章太郎
宮城県出身の漫画家。「サイボーグ009」「スカルマン」「仮面ライダー」「さるとびエッちゃん」「佐武と市捕物控」「マンガ日本経済入門」など多数の作品を残す。1990年に「萬画宣言」。
1.萬画は万画(よろずが)です。あらゆる事象を表現できるからです。
2.萬画は万人の施行に合う(愛されるし、親しみやすい)メディアです。
3.萬画は一から万(無限大の意も含む)の駒による表現です。
4.従って萬画は無限大の可能性を持つメディアである、とも言えるでしょう。
5.萬画を英語風に言えば、Million Art。Millionは百万ですが、日本語の万と同じく「たくさん」の意味があるからです。頭文字を継げばM・Aです。
6.M・Aは即ち“ MA ”NGAの意。
縁の深かった石巻市で「マンガによる町おこし」を進める最中に亡くなる。
・2010年 サリンジャー
ニューヨーク生まれの小説家ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー。「ライ麦畑でつかまえて」「フラニーとゾーイー」「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」など。晩年は世捨て人のような生活だった。
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