1944年8月25日、パリ解放
1944年6月6日に実施されたノルマンジー上陸作戦で、フランスに上陸した米英を基幹とする連合国軍はナチス・ドイツに占領されたフランスの解放を目指した。連合国軍の進軍に合わせて、フランス国内でのレジスタンスによる活動も活発になり、8月19日にはパリ市内の民衆がレジスタンスとして蜂起しはじめる。
ナチス・ドイツ総統アドルフ・ヒトラーは、パリ市街が廃墟と化しても最後の一兵まで戦闘を続けるように命令するが、大都市での戦闘を不可能とみたパリ防衛司令官のディートリヒ・フォン・コルティッツは、ヒトラーによる「パリ死守命令」や「パリ破壊命令」を拒み続ける。
一方、パリに迫っていた連合国の正規軍は、市街戦による消耗や、大都市解放に伴う大規模な輸送ニーズの発生によって進軍速度が鈍らされることなどを懸念して、パリ入城には消極的だった。これに業を煮やしたフランス臨時政府代表のシャルル・ド・ゴールや、自由フランス軍第2機甲師団を率いるフィリップ・ルクレールは、自由フランス軍によるパリ入城を強引に押し通す。
レジスタンスが蜂起したパリ市内では、ドイツ軍と民衆の間での戦闘が一進一退で繰り返されていたが、パリ解放を徹底して主張するフランス側に引きずられる形で、8月25日未明に連合軍はパリ市内への侵攻を開始。もちろんルクレールら自由フランス軍も市内に入った。
正午にはエッフェル塔の上にシーツで作られた三色旗が掲げられ、夕刻にはパリのナチス・ドイツ守備軍は降伏した。パリでの戦闘が開始された後、ヒトラーが「パリは燃えているか」と叫んだのも有名。
親ドイツ派パリ市民の悲劇
ナチス・ドイツが降伏すると、占領下でドイツ軍やドイツの傀儡だったるヴィシー政権への協力者に対する粛清「コラボラシオン狩り」が発生し、各所で私刑による殺害が発生した。とくにドイツ人と近しかったとされた女性たちへの市民による反感は根強いものがあり、衆人環視の中で髪を刈られ、「私はドイツ兵の娼婦」などと書かれたプラカードを吊るされ、裸足に裸で町を引きまわされたりした。
1940年から4年間の長きにわたってドイツに支配されてきたパリ市民には、生きるための打算と反発と絶望と憎悪など、言い尽くせない感情が重畳していたのだろう。ロバート・キャパの写真、クロード・ルルーシュの映画など数多くの作品が解放後に発生した悲惨を描いている。
歴史の中の8月25日
▼1825年 ウルグアイが独立宣言
ポルトガルとブラジル帝国に占領された東方州の解放のため、ブエノスアイレスから「三十三人の東方人」が東方州に帰還。モンテビデオ占領後に東方州の独立とアルゼンチンとの連合を宣言した。この日をもってウルグアイの独立記念日とされている。
実際にはこの独立宣言によりブラジル帝国はアルゼンチンに宣戦を布告。アルゼンチン・ブラジル戦争(500日戦争)が勃発した。イギリスとフランスの調停でこの戦争が終結する1828年になってようやく、アルゼンチンとブラジルに挟まれた東方州はウルグアイ(ウルグアイ東方国)として実質的な独立を果たすが、その後も内政の混乱が続いた。
▼1830年 オペラ座の反乱からベルギー独立革命が始まる
この晩、ダニエル・オベールによる人気オペラ(ナポリの魚屋が支配するスペインに対して一揆を起こす内容)の終演後、興奮した群衆が政府の建物を占拠。これをきっかけにベルギーの独立革命がはじまった。当時オランダの支配下にあったベルギーは、宗教や言葉の違いから独立への機運が高まっていた。
ベルギー国旗の黒黄赤は、ベルギー王家の称号であるブラバンド公の紋章、黒地に赤い舌と爪を出す黄色いライオンによるという。
▼1869年 菊花紋章が皇室の紋に制定
明治2年8月25日(ただし旧暦)、俗に菊の御紋章と呼ばれる「十六八重表菊」が皇室の紋章として太政官布告によって制定され、以後この紋章の一般での使用は制限されていく。(江戸時代の徳川家の葵紋章と同様)
▼1875年 ドーバー海峡を初めて遊泳で横断
キャプテン・ウェッブの通称で知られるイギリス人の元船長、マシュー・ウェッブがドーバー海峡(イギリス海峡)を22時間弱で泳ぎ切る。
▼1914年 日本、オーストリア=ハンガリーに宣戦布告
第一次世界大戦の勃発時、日英同盟を結んでいた日本はイギリスなど連合国側からの要請で23日の対独宣戦布告に続き、この日オーストリア=ハンガリー帝国にも宣戦を布告した。
▼1922年 信濃川の大河津分水路が完成
ひとたび豪雨となれば、越後平野一帯を水没させるほどの大洪水を頻繁に引き起こしてきた信濃川。その流路を変え、日本海に直接流そうとの大河津分水(おおこうずぶんすい)のプランは、古く江戸時代から幕府に対して請願されてきた。200年を経た明治40年、ようやく帝国議会の議決を得、明治42年から13年の歳月をかけて、ようやくこの日、大河津分水は完成を見た。
約10Kmにおよぶこの分水路は当時「東洋のパナマ運河」と呼ばれたという。
▼1931年 東京飛行場(羽田飛行場)開港
現在の東京国際空港。日本初の国営民間専用空港として、東京府荏原郡羽田町(ほぼ現在地)に開港した。大正時代からこの地は飛行機の訓練に利用され羽田飛行場と呼ばれていた。
日本の民間人パイロットの草分けで、後に全日空の専務をつとめる鳥居清次も、開港間もない東京飛行場から夜間郵便機で大阪に向け飛び立っていたという。
▼1944年 ナチス・ドイツに占領されていたパリが解放される
▼1958年 世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」発売
日清食品創業者の安藤百福が、自宅裏庭に建てた小屋で試行錯誤の末に、油で揚げて乾燥するというアイデアを思いつき、さらに粉末スープ付きではなく、あらかじめ味付けした麺からお湯の中にスープが溶けだすという斬新な発想により商品化。
大阪・池田市のインスタントラーメン発明記念館のチキンラーメンファクトリーでは、自分で小麦粉をこねて、のばして、蒸して、味付けして、油で揚げて瞬間乾燥させる工程を手づくり体験できる。(要・予約)
▼1973年 沖縄出身のアイドルグループ「フィンガー5」がシングル「個人授業」でメジャーデビュー
▼1989年 海部俊樹内閣で森山真弓氏を官房長官に起用。女性の官房長官は初
▼2006年 海の中道大橋飲酒運転事故
福岡市東区の海の中道大橋を通行中の会社員の乗用車に、飲酒運転していた福岡市職員の車が追突。追突された乗用車は博多湾に転落し、同乗していた幼児3名が死亡した重大事故が発生。
飲酒運転が社会問題化し、2007年の道路交通法改正では飲酒運転とひき逃げの罰則が強化された。
▼1989年 ヴォイジャー2号、海王星に最接近
アメリカの無人惑星探査機「ヴォイジャー2号」が海王星に最接近。1977年8月20日の打上げから12年後のことだった。
▼2012年 ボイジャー1号が太陽圏を離脱
ボイジャー1号が太陽から約190億kmの地点で太陽圏を離脱。人類の手によって作られた物質として初めて太陽圏の外へ飛び去った。打ち上げから35年が経っていた。
この日が誕生日
◆1530年 イヴァン4世(イヴァン雷帝)
ヨーロッパ各国で絶対王政が確立する同時代に、ロシア的な専制国家を築いた初代ツァーリ。
◆1912年 福田恆存(つねあり)
英文学者、劇作家、文芸評論家。シェイクスピア全集の個人訳で知られる。
◆1925年 荻昌弘
映画評論家。TBS系列の映画番組「月曜ロードショー」の解説者として人気だった。
◆1961年 大越健介
NHKの政治部記者、「ニュースウオッチ9」アンカー。
この日亡くなった人たち
・1600年(慶長5年7月17日)細川ガラシャ
戦国大名・細川忠興の正室。関ヶ原の戦いで西軍側の人質になることを拒み死亡。自死とも爆死ともいわれる。
・1900年 フリードリヒ・ニーチェ
ドイツの哲学者
・1908年 アンリ・ベクレル
フランスの物理学者・化学者。放射線の発見者でノーベル物理学賞を受賞した。
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