[2月12日という日]首相・黒田清隆が憲法を愚弄した日

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歴史の中の2月12日

▼1541年 チリの首都となるサンティアゴ市が起工される
スペインのコンキスタドール(アメリカ大陸を探検し征服した人々)ペドロ・デ・バルディビアがペルーのクスコから南下しサンティアゴ市を起工した。チリを征服したバルディビアは、かつて捕虜としていた先住民ラウタロ率いるマプーチェ族との戦闘に敗れ殺された。

▼1554年 ジェーン・グレイ(イングランド女王)が処刑される
ジェーン・グレイはエドワード6世から王位を継承したテューダー朝第4代女王。病床のエドワード6世からの王位継承に当たっては、グレイのほかにヘンリー8世の子メアリーがいたが、それぞれの王位継承候補の後ろ盾となった重臣たちの暗闘の中、在位期間は10日ほど。結局メアリーが即位を宣言し、グレイはロンドン塔に幽閉され半年の後に斬首された。
グレイが即位した時にメアリーを取り逃がすことなく捕縛していれば、メアリーが処刑されていた可能性も指摘される。

▼1895年 威海衛で清国の北洋艦隊が降伏
日清戦争の黄海海戦で被害を受け、山東半島北部の軍港威海衛に避難していた清国の北洋艦隊だったが、日本海軍の包囲戦により主力艦の沈没や水兵の反乱などで降伏した。北洋艦隊を率いた提督丁汝昌(ていじょしょう)は屈服することを拒み続けたが、要員の助命を条件に降伏に応じ、自身は服毒自殺した。

▼1818年 チリが独立宣言
独立戦争を指揮した軍人ベルナルド・オイギンスによりスペインからの独立が宣言される。現在チリで独立記念日として盛大に祝われるのは、前年に暫定自治政府が設立された9月18日。

▼1889年 憲法公布翌日に議会軽視の超然主義演説
明治憲法(大日本帝国憲法)が公布された2月11日の翌日、鹿鳴館での昼食会で第2代内閣総理大臣・黒田清隆が地方行政官に対して議会軽視の超然主義演説を行った。
その内容たるや!

 [憲法発布に際しての黒田首相演説](拡大画像 1-5) | 史料にみる日本の近代
www.ndl.go.jp  

国立国会図書館に収蔵された資料名は「牧野伸顕関係文書 書類の部 84」。牧野伸顕は大久保利通の実子。明治から昭和にかけての官僚、政治家で、昭和期にはいってからは内務大臣、内大臣を長くつとめた。吉田茂は女婿、麻生太郎はひ孫に当たる。

黒田の超然主義演説の趣旨は「憲法が公布され来年には帝国議会が開催される。施政上の意見は人によって様々なので、同じような考えの人々が団結していわゆる政党ができてしまうのは仕方がないが、政府は政府が考える至公至正、国家隆盛を目指して超然として政党の外に立ってやっていかなければならないといったもの。

天皇が臣民に下賜する欽定憲法である明治憲法は、2月11日に明治天皇が総理大臣である黒田に憲法を手渡す形で公布された。超然主義演説がその翌日に行われたことは記憶にとどめるべきポイントだろう。権力を手にした人たちは、いかに高い倫理観や公共の精神を持っていたとしても、独善に陥りやすいことの証左ともいえよう。

黒田清隆は、西郷隆盛、大久保利通の死後、薩摩閥のナンバーワンと目され、長州出身の伊藤博文をついで第2代内閣総理大臣に就任していた。

▼1912年 清国のラストエンペラー宣統帝が退位。清が滅びる
第12代清朝皇帝宣統帝(名は愛新覚羅溥儀:あいしんかくらふぎ)が、袁世凱の圧力に屈して退位に追い込まれる。袁世凱は中華民国臨時大統領に就任し清朝は滅びた。
溥儀は後に満州国の皇帝に即位(康徳帝)している。

▼1924年 ラプソディ・イン・ブルー初演
アメリカの作曲家ジョージ・ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」がニューヨークで初演された。

▼1968年 フォンニィ・フォンニャットの虐殺
ベトナム戦争に参戦した韓国海兵隊によるフォンニィ・フォンニャットの虐殺。

▼1974年 ソルジェニーツィンが逮捕される
ソ連の作家で1970年にノーベル文学賞を受賞したアレクサンドル・ソルジェニーツィンが逮捕される。当局からの度重なる出頭命令を拒否し、当局を糾弾する発言を続けたがこの日逮捕され、国家反逆罪で市民権をはく奪された上、国外追放された。ソルジェニーツィンを擁護していた詩人のエフゲニー・エフトゥシェンコやチェリストのムスティスラフ・ロストロポーヴィチも苦境に立たされ、ロストロポーヴィチも亡命した。

▼2012年 東京ゲートブリッジ開通

東京ゲートブリッジ Google Mapsより
東京ゲートブリッジ Google Mapsより

東京湾埋め立て地のもっとも海側のフロンティア、中央防波堤外側埋め立て地から江東区若洲(新木場の外側の埋め立て地:かつて夢の島と呼ばれた埋め立て地を含む地域)を結ぶ橋として平成24年(2012年)のこの日、開通した。

大型船舶の通路となるための高い桁下と、羽田空港に離着陸する航空機の妨げにならない低い全高を実現するため、トラス(三角形の連続による構造)と箱桁を一体化した特異な姿の橋として完成した。その姿から恐竜橋とも呼ばれるという。

この日が誕生日

◆1804年 レンツ
エストニア生まれのロシアの物理学者ハインリヒ・レンツ。電磁誘導に関するレンツの法則を発見した。

◆1809年 ダーウィン
イギリスの生物学者、地質学者のチャールズ・ダーウィンがイングランド西部のシュルーズベリーに生まれる。ケンブリッジ大学を卒業後、測量船ビーグル号は南米経由でマゼラン海峡を通過、太平洋を南米沿いに北上しガラパゴス諸島に至る。この島で見たゾウガメやイグアナ、フィンチなどの鳥類の多様性が、後の進化論に影響していると考えられる。ビーグル号は太平洋、インド洋を横断、さらに大西洋をさらに越えて南米を経由した後、1836年イギリスに戻る。5年に及ぶ長い航海だった。
帰国したダーウィンはケンブリッジで研究を続け、マルサスの「人口論」にも触発されて自然選択説のアイデアをあたためるが、「種の起源」を発行したのは1959年のことだった。

◆1809年 リンカーン
合衆国第16代大統領エイブラハム・リンカーンがケンタッキー州で誕生。生まれたのは丸太小屋だったと伝えられる。

◆1836年 五代友厚
薩摩出身の武士で実業家。東京馬車鉄道、東京電気鉄道(現在の都電車を)、大阪商船(現・商船三井)、大阪堺鉄道(南海鉄道)など多くの企業を創設する。大阪証券取引所や大阪商工会議所の初代会頭も務めた。大阪市立大学の創立にも参加した。

◆1843年 新島襄
上州安中藩士の子として江戸に生まれる。1864年、函館から上海経由でアメリカに渡る。アメリカでは日本人として最初の学位取得者となり、また宣教師として明治8年(1875年)帰国。キリスト教の布教と同志社の設立に奔走した。

◆1884年 マックス・ベックマン
ドイツ、ライプチヒ生まれの画家。第二次大戦中はナチスから「頽廃芸術」と見なされ作品の展示を禁止されている。強い線でややデフォルメされた空間を描く画法から、現在の美術オークション市場での評価も高い。生涯にわたって多くの自画像を描いたことでも知られる。

◆1891年 直樹三十五(なおきさんじゅうご)
大阪生まれの小説家。「由比根元大殺記」「南国太平記」など。エンターテインメント的な文芸作品を対象とする直木賞は作家の名を記念したもの。

◆1893年 オマール・ブラッドレー
アメリカ陸軍元帥。第二次世界大戦でノルマンディー上陸作戦の第1軍司令官として作戦を指揮して以降、マーケット・ガーデン作戦、バルジ大作戦などアメリカ陸軍を前線で指揮した。

◆1900年 ワシーリー・チュイコフ
ソ連邦元帥。スターリングラード攻防戦でドイツ軍の攻撃に耐え、市を死守した第62軍司令官。

◆1935年 豊田泰光
茨城県出身の元プロ野球選手。西鉄ライオンズの黄金期に「2番ショート」「3番ショート」をつとめた中心選手。現役引退後は解説者として活躍している。

◆1941年 植村直己(なおみ)
兵庫県出身の登山家。世界初の五大陸最高峰登頂者。犬ぞりでの北極点単独行、グリーンランド縦断を果たし冒険家として世界に知られるようになる。1984年、誕生日に世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たしたのち行方不明となった。遺体は今日にいたるまで発見されていない。

この日亡くなった人たち

・1804年 カント
ドイツの哲学者イマヌエル・カントが、プロイセンのケーニヒスベルク(現在はバルト海に面したロシアの飛び地カリーニングラード)で逝去。「純粋理性批判」「実践理性批判」「判断力批判」で批判哲学を提唱した。ドイツ古典主義哲学の祖とされる。

・1847年 森有礼(ありのり)
薩摩出身の武士、一橋大学創設者、初代の文部大臣、明六社会長。第2代の黒田内閣でも文部大臣に留任したが、大日本帝国憲法発布式典の2月11日に国粋主義者に斬りつけられ、翌日死亡した。

・1954年 本多光太郎
愛知県出身の物理学者、冶金学者。東北帝国大学を舞台に鉄鋼・金属材料の研究を進めた。開発当時世界最強の永久磁石だったKS鋼や新KS鋼を発明したことでも知られる。千葉工業大学の設立に参加したほか、東京理科大学初代学長もつとめた。

・ジャン・ルノワール
フランスの映画監督。画家のピエール・オーギュスト・ルノワールの次男。興業的に成功した映画は多くないものの「大いなる幻影」「河」「フレンチカンカン」「草の上の昼食」など、映画界の後輩たちに影響を与える作品を制作した。

・1983年 手塚富雄
東京大学、立教大学、共立女子大学などで研究を行ったドイツ文学者。ゲーテ、ニーチェ、リルケ、ヘッセなど数多くの翻訳でドイツ文学を紹介した。

・1996年 司馬遼太郎
大阪出身の小説家。学徒出陣で陸軍に入隊し戦車兵となった際の経験が小説を書く原点だったと後年になって語っている。産経新聞記者を経て「梟の城」で直木賞を受賞。「竜馬がゆく」「国盗り物語」「坂の上の雲」など多くの歴史小説を著した。「街道をゆく」などのエッセイも多い。

・200年 チャールズ・M・シュルツ
チャーリー・ブラウンや彼の飼い犬スヌーピーが登場する「ピーナッツ」を描いたアメリカの漫画家。

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