[11月25日という日]三島由紀夫自決事件が起きた日

Rinoue125R

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歴史の中の11月25日

▼1867年 ノーベルがダイナマイトの特許取得

黒色火薬より威力が高いものの、不安定で少しの衝撃でも爆発する危険のあったニトログリセリンを安全化したダイナマイトを開発。特許を取得する。

▼1920年 戦艦「長門」が竣工

日本海軍が建造した当時最新鋭の戦艦「長門」が竣工した。長門とその同型艦・陸奥は40センチ級の主砲を備えた超々ド級戦艦とも呼ばれ、イギリスのネルソン級2隻、アメリカのコロラド級3隻と合わせて世界のビッグ7と称されていた。

世界ビッグ7の後、ワシントン軍縮会議で主力艦の保有が厳しく制限されたネーヴァル・ホリデーの時代(条約時代)が到来した結果、長門級は大和の登場まで長い期間に渡って、世界最強の戦艦の1隻とされた。

長門は連合艦隊旗艦を務めた時期も長かったが、太平洋戦争中は艦載機の攻撃を受けたほかには実戦で行動する機会はなく、中破した状態ながら唯一海に浮かんだ状態で終戦を迎えた戦艦だった。

終戦後は米軍に接収後、ビキニ環礁での原爆実験の標的艦として沈没した。

おそらく観艦式で撮影されたものか。電飾で満艦飾の長門型戦艦の写真
おそらく観艦式で撮影されたものか。電飾で満艦飾の長門型戦艦の写真

▼1921年 皇太子裕仁親王が大正天皇の摂政に就任

後の昭和天皇、裕仁親王は、イギリス、フランス・ベルギー・オランダ・イタリアのヨーロッパ5カ国歴訪の後、病状が芳しくない大正天皇の摂政に就任した。20歳だった。

▼1936年 日独防共協定締結

1933年に国際連盟を脱退した日本が、国際的孤立を避けるためドイツと共産主義に対抗する名目の条約を締結した。しかしこの頃ドイツは中華民国に対して武器供与を行っていたほか、日本との接近が英独関係を損なうとの見方もあり、条約締結は各国間の外交戦略が複雑に交錯する中、1936年のこの日、ベルリンで調印された。

当初軍部には、ドイツとの軍事同盟を忌避する動きもあったが、日独2国間の防共協定の締結は、その後の日独伊防共協定、さらには日独伊三国同盟へと続くレールを敷くことになった。

▼1940年 アメリカでアニメキャラクター「ウッディー・ウッドペッカー」が登場

すでにヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発。翌年には日米間にも戦火が開かれれるこの時期、アメリカではケラケラと陽気に笑うキツツキをモチーフにしたキャラクターが誕生する。まだ参戦には否定的だった当時のアメリカの世相を象徴する出来事。

▼1970年 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊・東部方面総監部で割腹自決

※ 記事を追加します。

▼1986年 有楽町三億円事件

東京有楽町駅前の三菱銀行有楽町支店で、現金輸送車が襲われ3億3000万円などが奪われる。奪われた新札から発見された指紋を手掛かりに、ICPOを通して国際手配を行いフランス人3人とアルジェリア人1人の犯行と判明。犯人は逮捕された。

この日が誕生日

◆1834年 アンドリュー・カーネギー
ニューヨークのカーネギーホールを建てたスコットランド生まれ、アメリカの実業家。製鉄業の成功から「鋼鉄王」と呼ばれた。アメリカ史上ジョン・ロックフェラーに次ぐ第二の大富豪とも称される。実業家として大きな成功を収めた後は、篤志家として社会活動に力を注いだ。

◆1844年 カール・ベンツ
ドイツ生まれ、自動車の発明者。エンジン開発者。1885年に世界初の自動車(ただし三輪車)であるベンツ・パテント・モトールヴァーゲンを完成させた。ベンツの自動車は完成直後から100キロを越えるツーリングの実施やパリ万博出展で公表を博し、19世紀を代表する大発明となった。

◆1891年 米川正夫
岡山県出身のロシア文学者。東京外国語大学を主席で卒業するも就職に失敗。若い頃はフリーの翻訳家、通訳として生計を立てたという。その後、大蔵省入省、さらに陸軍大学に職を得て、トルストイやドストエフスキーの翻訳を手がけていく。とくにドストエフスキーの「罪と罰」に始まる5大長編小説の邦訳は名高い。

◆1924年 吉岡隆明
東京月島生まれの評論家、思想家、詩人。文芸、政治、社会問題、歴史、アニメ論、サブカルチャーなど非常に広い守備範囲で評論活動を行った。(2012年没)漫画家のハルノ宵子は長女、作家のよしもとばななは次女。

◆1957年 岡田彰布
岡田彰布(あきのぶ)は大阪出身の元プロ野球選手、元プロ野球監督、野球解説者。

◆1978年 椎名林檎
福岡県出身のシンガーソングライター。「ここでキスして。」「ギブス」「茜さす帰路照らされど」「カーネーション」など

この日亡くなった人々

・1970年 三島由紀夫
三島由紀夫は東京四谷出身の小説家。作品は海外からも高く評価されていた。ところが1970年のこの日、三島はあまりにも衝撃的な途に打って出る。世は「昭和元禄」と呼ばれ、大盛況だった大阪万博閉幕から数カ月というこの時期、石油ショックも訪れておらず、ロッキード事件もまだ先のこと。そんな中で、世界的にも評価が高かった若き文学者が挙行した自衛隊によるクーデタの呼びかけ、陸上自衛隊幹部監禁、そしてその末路としての割腹自殺というショッキングな事件は、時代の転換を予期させるほどの大きな出来事だった。

・1970年 森田必勝
森田必勝(まさかつ)は三重県出身の政治活動家。生年1945年。小説家・三島由紀夫率いる「盾の会」メンバーとして、自衛隊にクーデタを呼びかけた後、三島とともに自決した。

・2013年 堤清二
日本の実業家。父、そして弟との確執の中、西武グループのうち流通部門を中心としたセゾングループの総帥として実業家として活動する一方、辻井喬(つじいたかし)の名で小説家、詩人としても活躍した。

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