[12月24日という日]安政の南海大地震の日

Rinoue125R

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クリスマス・イヴ

家族と過ごす日。恋人と過ごす日。イエス・キリスト降誕を祝うクリスマスの前夜祭。

1854年12月24日、安政の南海大地震発生

前日早朝に発生した安政の東海地震から32時間、南海トラフの西側震源域が破壊され、南海大地震が発生した。32時間というタイムラグは地球の営みからすると一瞬でしかなく、前日の東海地震と一連の地震であると捉えられている。

地震のマグニチュードは8.4と推定されており、名古屋や津で震度5、それ以西の西日本の広い範囲で震度5以上の大きな揺れによる被害が起こった。とくに震源に近い和歌山県新宮市では震度7の揺れだった可能性もあるという。

津波の被害も甚大で、大坂では船着き場に係留されていた千石船などの大型船が、津波とともに川や運河伝いに内陸に押し寄せ、橋を壊し、家を潰し、多くの被害を出したと伝えられている。高知市宇佐では、津波と地震による地殻変動で一面が海に没したされる。

終戦直後の1946年にも南海地震は発生し、西日本を中心に大きな被害を出している。(昭和の南海地震)しかし、この時の地震の規模は安政の時にくらべて小さいため、プレート間に蓄積された歪みのすべてが地震で解き放たれていないとの意見もある。次に起きる南海地震の規模が大きくなる可能性や、地震発生までの期間が短くなる可能性も指摘されている。

歴史の中の12月24日

▼1777年 キャプテン・クックがクリスマス島に到達
イギリスの海軍士官で海洋探検家のジェームズ・クック(キャプテン・クック)が、クリスマス島(キリスィマスィ島)に到達。彼の第3回目の航海の中、この年のクリスマスに到達したことが名称の由縁。この島では、20世紀にイギリス、アメリカにより20回以上の核実験が行われた。日本の無人宇宙往還機「Hope-X」の基地を建設するプロジェクトもあったが、計画は立ち消えになった。

▼1906年 史上初のラジオ放送
カナダの発明家レジナルド・フェッセンデンが、米・マサチューセッツ州ブラントロックに設置した無線局からラジオ番組を送信した。番組の内容はフェッセンデン自身によるバイオリン演奏と聖書の朗読だったという。

▼1941年 第二次世界大戦で日本軍がマレーシア・サラワク州のクチンを占領
ネコの町として有名なボルネオ島のクチンを日本軍が占領。1945年の終戦まで軍政が行われた。

▼1957年 NHK-FM放送はじまる
日本初の本格的なFM放送として、日本放送協会(NHK)が東京でこの日19時から放送を開始した。オープン当初はモノラル放送だった。

この日が誕生日

◆1491年 イグナチウス・デ・ロヨラ
軍人を経て、世俗的生き方との決別を誓い、フランシスコ・ザビエルら6人の仲間とともにイエズス会を設立。初代総長に選ばれた。イエズス会は世界を舞台に積極的に布教活動を行い、1549年にはザビエルが日本に上陸することになる。

◆1573年 たくあん漬けの沢庵和尚
沢庵宗彭は桃山期から江戸時代前期に活躍した臨済宗の僧。大徳寺住持。紫衣事件で幕府に反論したことから流罪となるが、赦された後は江戸に住まい、徳川家光に禅を説いたという。たくあん漬けの発案者であるかどうかは不明。

◆1818年 ジェームズ・プレスコット・ジュール
イギリスの物理学者。ジュールの法則を発見した。熱量の単位「ジュール」は彼の名にちなむ。

◆1837年 エリーザベト
ヨーロッパ随一と称えられた美貌の皇后。オーストリア皇后であり、ハンガリー王妃でもあった。夫であるオーストリア=ハンガリー帝国の皇帝(兼国王)フランツ・ヨーゼフ1世の死後は、一生喪服を脱ぐことはなかったとされる。

◆1920年 阿川弘之
日本の小説家。「春の城」「雲の墓標」、帝国海軍提督を描いた3部作「山本五十六」「米内光政」「井上成美」などがある。

◆1955年 福島瑞穂
前社会民主党党首、弁護士

この日亡くなった人たち

・1263年 北条時頼
第5代鎌倉幕府執権。執権を引退し出家した後は西明寺殿と呼ばれた。諸国を回ったエピソードが有名だが(「鉢の木」など)、実際は出家後も政治の差配は時頼が行っていたため、諸国漫遊は無理との見解もある。享年37.

・1524年 ヴァスコ・ダ・ガマ
ポルトガルの航海家で探検家。ヨーロッパ人として、アフリカ南端からインドに航海した記録を最初に残した。

・1836年 飯塚伊賀七
江戸時代の発明家。現在のつくば市谷田部に住み、向かいの酒屋へ酒を買いに行くからくり人形、人力飛行機、和時計などを発明した。

・1924年 中村彝(つね)
日本の画家。家族を失い、自身も結核を患う中、新宿・中村屋の相馬夫妻らの支援で画業を続ける。38歳の短い生涯ながら、画壇に大きな影響を及ぼした。

・1938年 ブルーノ・タウト
ドイツ生まれの建築家、都市計画家。表現主義の建築家と称される。革命の思想を持っていたタウトはナチスに追われ日本に亡命。1936年まで日本で仕事を行った。

1957年 大川周明
日本の国家主義的思想家。日米開戦には最後まで反対だったと主張するが、極東軍事裁判では民間人として唯一A級戦犯として起訴された。公判中には東条英機の頭を後ろから殴るなどの奇行が見られ、結果的に精神障害とされ裁かれなかった。

・1980年 カール・デーニッツ
ヒトラーが死の直前に指名したナチス・ドイツの大統領。海軍元帥。ヒトラーの死後、戦争の幕引きを行った。

・1985年 加藤唐九郎
陶芸家。謎の多い「永仁の壺事件」で無形文化財の資格を失うも、彼の作品の精神性を愛する人は少なくない。

・1997年 三船敏郎
映画俳優。ベネチア国際映画祭で男優賞を2度受賞し、世界のミフネと呼ばれた。「野良犬」「羅生門」「七人の侍」「天国と地獄」など多数。

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