熊本地震、大分でも警戒呼びかけ

iRyota25

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16日の大分合同新聞は「震度7級「大分でも」 断層、中央構造線の延長」と警戒を呼びかけている。

 中央構造線では、過去約7300年の間に少なくとも5回、大地震が起きているという。最も新しいのが、別府湾の海底を震源とした1596年の「慶長豊後地震」。大分では、島が沈んだ瓜生島伝説もある。また、中央構造線近くの伊予(現在の愛媛県)、伏見(同京都府)でも数日間のうちに地震が発生したという記録が残っている。

 今後、中央構造線が広範囲に連動し、大地震を起こす可能性はあるのか。岡村特任教授は「どこにどのくらいの力がたまっているか、今の科学では分からない。影響する、しないは言えない」と話した。

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日本地図を見れば明らかだが、愛知県の渥美半島から紀伊半島を菱形の頂点を結ぶように東西に横切り、四国の吉野川の渓谷を抜けて、四国西の長く細く続く佐田岬半島を経由して九州中部に達する、ほぼ直線的な顕著な地形がある。この地形を作っているのが中央構造線と呼ばれるもの。

中央構造線はたくさんの断層が集まった断層帯であるとともに、ジュラ紀や白亜紀といった遠い昔、日本列島を形作った地質活動の名残でもある。つまり、中央構造線の北側はかつてジュラ紀にアジア大陸の北側にあり、中央構造線の南側はアジア大陸、揚子江沿岸にあった。細長い2つの陸地が、長い地質活動の中で接合し、やがて日本海の成立とともにアジア大陸から離れて日本列島が造られて行った。中央構造線とはそのへその緒みたいなもの。

関東地方では日本列島の東西をグキッと曲げた地質活動でフォッサマグナが生成されたせいで、また九州地方では中央構造線の真上に阿蘇火山が出来たため、断層帯がどのようにつながっているかは分かりにくくなってはいるが、中央構造線が明らかに日本列島を形成する主要な2パーツの接合面だったことは間違いない。

別々のものが引っ付いた地形であるから構造が弱いことは間違いなく、これまでも中央構造線に沿って大きな地震が発生している。また、一カ所で発生した地震が中央構造線沿いに連続することも、「地球の歴史に比べれば鼻クソほどでしかない人類の歴史」の中でも記載されのこされている。

以下、Wikipedia(2016.04.17)より。


近世以前の地震

715年 三河国・遠江国 - M 6.5 - 7.5[22]

慶長伊予・豊後・伏見地震

「連動型地震」を参照

慶長伊予地震(慶長伊予国地震とも)は、1596年9月1日、愛媛の中央構造線・川上断層セグメント内(震源については諸説ある)で発生した。規模はM 7.0。さらに、3日後の9月4日には、豊予海峡を挟んで対岸の大分で慶長豊後地震(別府湾地震)(M 7.0 - 7.8)が発生。豊後地震の震源とされる別府湾-日出生断層帯は、中央構造線と連続あるいは交差している可能性がある[23]。さらにその翌日の9月5日、これらの地震に誘発されたと考えられる慶長伏見地震(慶長伏見大地震)(M 7.0 - 7.1)が京都で発生[24]。有馬-高槻断層帯、或いは六甲-淡路断層帯における地震とみられる[25]。

近世以降の地震

1619年(元和5年) 八代 - M 6.0[22]
1649年(慶安2年)3月13日 伊予灘 - M 7.0前後[21][22]
1703年(元禄16年) 大分県湯布院・庄内 - M 6.5[21][22]
1718年(元禄16年) 三河、伊那遠山谷 - M 7.0前後[21][22]
1723年(享保3年) 肥後 - M 6.5[22]
1725年(享保10年) 高遠・諏訪 - M6.0から6.5[21][22]
1889年(明治22年) 熊本 - M 6.3[22]
1894年(明治27年)1895年(明治28年) 阿蘇 - M 6.3[22]
1916年(大正5年) 新居浜付近 - M 5.7[22]
1916年(大正5年) 熊本県中部 - M 6.1[22]
1975年(昭和50年) 阿蘇北部 - M 6.1[22]
1975年(昭和50年) 大分県中部 - M 6.4[21][22]
2016年(平成28年) 2016年熊本地震 - M 7.3

中央構造線 - Wikipedia

中央構造線の成立はジュラ紀、白亜紀に起因するほど古い。また九州地方ではその末端部近くに阿蘇火山があり、中央構造線ができた時代よりもはるかに若い(近い)時代に何度か破滅的噴火を発生させている。

中央構造線の断層帯の奥深くと、阿蘇火山のマグマだまりが何らかの関わりを持っていることは火山学の素人であっても容易に想像できることだろう。

しかし、今回の熊本地震はその「余震」域を阿蘇を越えて東に移動させている。

中央構造線の途中にプラグのように突き刺さった阿蘇火山の地下構造を越えて、地震を発生させる力の歪みが東側に移動していることには、恐怖と懸念が一緒になった感覚を覚えずにはいられない。

熊本地震の被害で犠牲になられた多くの人たちのご冥福を祈りつつも、今後地震活動が広まって行かないことを切に願う。

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