速報!石ノ森萬画館ReOPEN!(2012年11月17日) iRyota25 2012.11.17 3 7,173 1 震災から1年8カ月。石巻の町おこしの拠点が再オープン ついに“マンガの町・石巻”の象徴、石ノ森萬画館がリ・オープン。セレモニーには漫画家・石ノ森章太郎が生み出したヒーローたちも駆けつけた。一歩前に立つのは石巻のローカルヒーロー「シージェッター海斗」(石ノ森氏の
あたたかい気づかいまで美味しい「えんまん亭」のラーメン iRyota25 2012.11.17 2 2,842 0 どんぶりを覆うほどの大粒のあさり。潮の香りがいっぱいのスープ。そしてほどよく味がからむ細麺。宮城県東松島市、えんまん亭のあさりラーメンは知る人ぞ知る地元の名品だ。 えんまん亭さんは仙石線野蒜駅から奥松島方面に向かう海から500メートルほどの場所にあった。地震の
息子へ。被災地からのメール(2012年11月16日) iRyota25 2012.11.17 0 1,743 0 2012年11月16日◆七ヶ浜~東松島~石巻(宮城県) こないだ出張に行ったばかりなのに、今回は2週間以上。ビックリどころの話じゃないと怒ってるかもね。ごめんな。 でも、たくさんの人に会って、いろいろ考えたり感じたりすることがたくさんで、父さんは出張の初日からすごいこ
東日本大震災・復興支援リポート 「守られた住宅地」 iRyota25 2012.11.16 2 2,412 0 岩手県普代村、復興のテンポが早いわけ 岩手県普代村には、高さ15メートルの水門と防潮堤が築かれている。東日本大震災の巨大津波で、防潮堤の外側にあった漁港の施設は大きな被害をこうむった。しかし普代村では、防潮堤と水門に守られて住宅地の被害は軽微だった。 「去年の
東日本大震災・復興支援リポート 「大槌町のがれき」 iRyota25 2012.11.15 2 3,027 0 1年7カ月後、大槌町のがれき(2012年10月25日) 大槌町の傷んだ防波堤の向こうは、がれき置き場だった。日暮れが迫っても重機が動き続けるがれき置き場。 そこに積み上げられていくものをよく見てみたい。ここにあるのはゴミではない――。 間近に見るがれきの山が、そう教えて
東日本大震災・復興支援リポート 「大槌町の1年半」 iRyota25 2012.11.15 1 2,507 0 2012年10月25日、大槌町の風景 「3県沿岸部の市町村別津波浸水人口に対する死者・行方不明者数の比」という統計がある。津波被害の激甚さを示す数値なのだそうだ。数字が意味するところを思うと、この手の統計の必要性がどれだけあるのか自分にはよく分からないが、東日本大震
東日本大震災・復興支援リポート 「陸前高田の1年半」 iRyota25 2012.11.15 4 2,846 0 2012年10月25日の陸前高田市 陸前高田市、旧・市役所周辺を歩いた。むき出しになった鉄筋が、虚空を引っ掻いているように見える。 多くの職員や市民が犠牲となった旧庁舎は、2012年度内の解体が決定し、11月10日にはお別れ会が執り行われた。 市役所に隣接していた市民会館の
東日本大震災・復興支援リポート 「沈下した浜で進められる護岸工事」 iRyota25 2012.11.12 1 1,897 0 2012年10月24日の南三陸町泊浜 南三陸町(歌津)泊浜でも漁港の工事が急ピッチで進められている。 工事の中心は防波堤のかさ上げ。既存の護岸の上に船着き場と荷下ろし場を増設して、波を被らないようにする工事だ。 真新しい護岸の先には、新たな護岸を延長していく工事が行
東日本大震災・復興支援リポート 「奇跡の一本松のいま」 iRyota25 2012.11.12 2 2,108 0 2012年10月25日の陸前高田市 江戸時代の豪商、仙台藩、そして住民の協力で植えられた7万本を超えるクロマツの防潮林。白砂青松の美しい浜辺は、年間100万人の人が訪れる観光資源としても貴重な、陸前高田の象徴でした。 2011年3月11日、10メートルをはるかに超える津波によっ
東日本大震災・復興支援リポート 「路面冠水時通行注意」 iRyota25 2012.11.12 0 2,083 0 2012年10月24日の気仙沼 2012年10月24日の気仙沼。土地に水が上がるということ 気仙沼湾を囲む陸地の東側、県道218号線沿いにこんな看板があった。 「路面冠水時通行注意」。 まるで冠水することが当然みたいな注意喚起にドッキっとした。 土地に水が上がるということ 道が冠
東日本大震災・復興支援リポート 「哀しい黄金色に一縷の望み」 iRyota25 2012.11.09 3 1,999 0 2012年10月19日の楢葉町 いわき市から海岸沿いに国道6号線を北上すると、一見のどかな田園風景に思える光景が広がる。 しかし、ここは福島第一原子力発電所から20キロ圏のさらに内側だ。 写真:奥野真人(株式会社ジェーピーツーワン) かつて警戒区域のゲートがあった広野町J
東日本大震災・復興支援リポート 「草の生えた瓦礫の山」 iRyota25 2012.11.09 1 2,061 0 いわき市から太平洋沿いに国道6号線で北上すれば、南相馬市までは2時間ほど。それが原発事故で立ち入りできない部分があるせいで、大きく内陸部を迂回しなければならない。いわきから郡山へ。郡山から国道4号を本宮、二本松と北上して、福島市に入ったあたりから川俣町、飯舘
東日本大震災・復興支援リポート 「仙台平野で津波の高さを想像してみる」 iRyota25 2012.11.09 2 2,870 0 2012年10月22日の山元町 宮城県南部、仙台平野が広々と広がる山元町。亘理町との境界近くに山寺泥沼と呼ばれる場所があります。いまでは大型ダンプなどの“はたらくクルマ”がひっきりなしに走り回り、普通乗用車で走るのが気が引けるほど。この場所は海から750メートルほど内陸
【遺構と記憶】東日本大震災・復興支援リポート 「最後に残った1隻――気仙沼」 iRyota25 2012.11.08 3 2,829 0 2012年10月24日の「第18共徳丸」 気仙沼の魚市場からクルマで走ること5分ほど。かつて鹿折唐桑駅があった近くに「第18共徳丸」はある。 鹿折(ししおり)地区は津波と津波火災で文字通り壊滅的な被害を受けた。ほとんどの瓦礫が撤去された町には、建物の基礎だけが残っている
東日本大震災・復興支援リポート 「ここで何を感じるのか――南三陸」 iRyota25 2012.11.08 3 3,420 0 2012年10月24日の防災対策庁舎 大型観光バスで、貸切のマイクロバスで、そして自動車やバイクで、今日もここに人々が集まってくる。 南三陸町、旧・志津川市街地に残る鉄骨の骨組み。周辺では建物残骸の撤去が進み、防災対策庁舎は廃墟の中で孤立しているように見える。 町の
東日本大震災・復興支援リポート 「復興は進んでいるか?――女川」 iRyota25 2012.11.07 3 2,381 1 少しずつ「兆し」は見えるのもの 女川漁港・市場前のかさ上げが終わった岸壁で、サンマの積み下ろしが行われていた。しかし、接岸できる船は1~2隻。悪天候時の避難施設も不足。震災前のキャパシティにはまだ遠く及ばない。 かさ上げが完了した岩壁。海面近くの古びている部分
息子へ。被災地からのメール(2012年11月2日) iRyota25 2012.11.07 0 1,556 0 2012年11月2日◆大久町小久(福島県いわき市) 前回、久之浜の浜風商店街で出会った農家の方と待ち合わせ。落ち合ったのはやっぱり浜風商店街。2回目の来訪ですが、お店のみなさんが覚えていてくれて、「こんにちは」と挨拶したり、「料理頼まなくてもいいからお茶して行け」と
東日本大震災・復興支援リポート 「被災地に勇気を発信し続ける“がんばろう!石巻”」 iRyota25 2012.11.07 3 2,361 0 がんばろう!石巻(1/5) 何度もメディアに登場してきた「がんばろう!石巻」のボードは、津波で大きな被害を受けた門脇町にあります。立てられているのは門脇小学校のすぐ近く。この地で水道配管工事業を営んできた黒澤健一さんが、昨年4月店舗兼自宅跡に立てたものです。 近
東日本大震災・復興支援リポート 「津波から、そして津波火災から奇跡的に難を逃れた小学校」 iRyota25 2012.11.07 0 5,052 0 石巻市立門脇小学校(1/5) 石巻市の南、海から約800メートルに位置する門脇(かどのわき)小学校。明治6年5月に開校した歴史ある小学校(※注)は、津波とその後に発生した火災で大きな被害を受けました。 大地震直後、教室からグラウンドに避難した子どもたちは、教員の誘導
東日本大震災・復興支援リポート「いつか本当のおさかながとれるまで・・」 iRyota25 2012.11.07 1 2,228 0 手のぬくもりを伝える【onagawa fish】 手に握るとほんのりと木のぬくもりが伝わってくるキーホルダー。女川の人たちが、1つひとつ手作業で丁寧に仕上げた【onagawa fish】です。 レザー部分のおさかなマークから始まる焼印は、「おさかなドットおながわ」と読むそうです。お
南三陸の町中に登場した「きりこ」 iRyota25 2012.11.06 0 2,184 0 復興への決意を記す南三陸のきりこボード 南三陸町の防災庁舎近くの街並み跡に、こんなボードが掲示されている。建物がなくなった土地で、元あったお店や住んでいた人の記憶と決意が、東の海の方に向かって表明されている。 南三陸に伝わる切り紙細工「きりこ」を模して作られ
息子へ。被災地からのメール(2012年10月26日) iRyota25 2012.11.06 0 1,761 0 2012年10月26日◆浄土ヶ浜・田老(岩手県宮古市)~普代(岩手県) 8日間の日程があっという間に感じた今回の東北出張だった。たくさん走って、たくさんの人に話を聞いたように思う反面、やり残したこと、できなかったことばかりが気になっている。 でも、写真や映像では理解で
息子へ。被災地からのメール(2012年10月25日) iRyota25 2012.11.06 0 1,583 0 2012年10月25日◆陸前高田(岩手県) 明日はどこに行くの?と気仙沼の人に聞かれて「陸前高田」と答えると、「あっちは気仙沼よりもっと大変だから、なかなか話をしてもらえないかもしれないなあ」と言われた。 陸前高田に入ると、何もない風景が広がっていた。どこまで行って
息子へ。被災地からのメール(2012年10月24日) iRyota25 2012.11.06 0 1,745 0 2012年10月24日◆気仙沼(宮城県) いよいよ、という表現は自分でも変だと思うが、今日からはいよいよ父さんにとって初めて行く地域になります。 南三陸を歩いた後、レンタカーで気仙沼に入りました。坂を下り市街地に入ったとたん、まるで戦災の焼け跡のような光景が目に飛び
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,621 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス