放射能に負けないコメ作り 第1回 iRyota25 2012.12.10 4 10,748 0 福島県いわき市大久町小久。福島第一原子力発電所から直線距離で30kmを少し越えるこの地域には、原発事故の直後からコメ作りの再生に取り組んできた人たちがいる。距離が近いにも関わらず空間線量は比較的低い。しかし農地にホットスポットがあるのは事実。原発事故の実害と風
息子へ。被災地からのメール(2012年12月2日) iRyota25 2012.12.04 2 1,843 0 「宿題はちゃんと終わらせたの?」 そんな声を振り払うようにして2人で歩いて行ったのは、前夜の夢の中にあった石巻の町ではなくて、伊豆の国市古奈のレストラン・アクアサンタ。パティオを通りぬけてレストランに入ったら、オウミさんが「おう!」っと声をかけてくれた。 「
東日本大震災・復興支援リポート 被災地と仮設商店街 tanoshimasan 2012.11.13 2 2,550 0 宮城県気仙沼市 気仙沼大島 (仮設住宅) 東日本大震災のあと、 仮設住宅がたくさん建てられました。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 宮城県気仙沼市 (復幸マルシェ) 被害の状況に応じて離れていた人たちも、 地域によっては徐々に戻っ
東日本大震災・復興支援リポート 津波の跡に残る建物 tanoshimasan 2012.11.12 1 2,744 0 岩手県陸前高田市 とある企業の社屋だけが残ったが、周辺は跡形もない。 被災地には、 「一見津波を耐えたように見える建物」 がいくつか残っていました。 東日本大震災・復興支援リポート tanoshimasan の記事一覧 宮城県気仙沼市 甚大な被害となった気仙沼において、
息子へ。被災地からのメール(2012年11月2日) iRyota25 2012.11.07 0 1,556 0 2012年11月2日◆大久町小久(福島県いわき市) 前回、久之浜の浜風商店街で出会った農家の方と待ち合わせ。落ち合ったのはやっぱり浜風商店街。2回目の来訪ですが、お店のみなさんが覚えていてくれて、「こんにちは」と挨拶したり、「料理頼まなくてもいいからお茶して行け」と
東日本大震災・復興支援リポート 『一緒に頑張っていこう』おにぎりに託された想い tanoshimasan 2012.11.07 2 2,104 0 被災地に響く元気 「ほらほら!買っていってよ、おにーさんッ!男前ッ!!」「そうそう、これ買ったらもーっと男前ッ!!」 福島県いわき市久之浜町被災跡地で奉奠祭は行われた。 勢いのある声が響く。福島県いわき市久之浜町にて開かれた奉奠祭(ほうてんさい)でのことだ。
息子へ。被災地からのメール(2012年10月23日) iRyota25 2012.11.06 2 1,621 0 2012年10月23日◆女川~南三陸(宮城県) 本日のご報告は少し長くなります。 暴風雨警報が出された荒天の中、今日は女川から石巻に戻って南三陸まで走った。行く先々で、これまでに何度かあった人と再開することができました。 そのうちのひとり、海岸線のすぐ近くでガソリンス
息子へ。被災地からのメール(2012年10月21日) iRyota25 2012.11.06 1 1,693 0 2012年10月21日◆久之浜(福島県いわき市)~石巻(宮城県) 今日は福島県いわき市久之浜から宮城県石巻への移動日でした。移動日とはいえ、途中、南相馬の雑草が生えた瓦礫の山や、踏切の部分以外、線路が消えてしまった山元町や亘理町の津波被害の跡など、いろいろなものを目
息子へ。被災地からのメール(2012年10月20日) iRyota25 2012.11.06 0 2,162 0 2012年10月20日◆久之浜(福島県いわき市) 今日は久之浜・大久復興祭、奉奠祭(ほうてんさい)花火大会の当日。 お祭りを運営する地元の若者たち、サポートに入ったボランティアの人たちと一緒に、舞台の裏方をお手伝いしながら祭りを楽しみました。 奉奠というのは「玉串奉奠
息子へ。被災地からのメール(2012年10月19日) iRyota25 2012.11.05 0 1,735 0 2012年10月19日◆久之浜(福島県いわき市) 東日本大震災で被災した地域への出張は今回で8回目。父さんが留守の間、ちょっと寂しいかもしれないが、毎日がんばってることと思います。 これから出張する時には、会社への報告とは別に、きみにも被災地のことを書いて送ることにし
東日本大震災・復興支援リポート「震災の後、この子もさみしいのよ」 iRyota25 2012.10.30 0 2,133 0 「とまれ」のペイントの先にあるものは? 鮭が上る川にかかっていた代ノ下橋 2011年3月11日まで、ここには木の橋が掛かっていました。 何度も補修や解体修理を繰り返して守られてきた、味わい深い木の橋です。 重量制限が0.3トン、つまりたったの300キロという日本一軽い重量
女川の84歳みつぎさんの言葉。「今回のことがあったから、日本も光ると思う」 iRyota25 2012.05.22 3 2,140 0 今回のことがあったから、日本も光ると思うんです 女川町こころとからだとくらしの相談センター専門員・阿部弘子さんの活動の場のひとつ、新田地区仮設団地にある仮設グループホームにもう一人の阿部さんが暮らしています。阿部みつぎさん、84歳。弘子さんとは旧知の仲という