【遺構と記憶】女川・江島共済会館がほぼ解体される iRyota25 2015.01.07 5 6,908 0 年末年始の休暇中、久しぶりに訪れた女川の町で驚いた。女川町立病院(現・地域医療センター)の駐車場から道を隔てた目の前にあった、津波で倒されたビルの姿が消えていたのだ。 12月11日から始まった解体工事は、年末の時点でこの進捗状況。すでにビルがあったとは思えない
【遺構と記憶】国道45号線沿いに残された高田松原の被災松 iRyota25 2016.01.28 1 2,295 0 震災遺構としての保存が本決まりになっているかつての道の駅「Tapic45」(陸前高田市)。その敷地の片隅に被災した松の根や幹が並べられている。 決して捨て置かれているわけではない。なぜならちゃんと説明パネルも設置されているから(コンパネにカラープリントを貼り付けた
【遺構と記憶】南三陸町の防災庁舎が保存の方向へ iRyota25 2015.06.22 4 5,184 0 あの建物が遺構として保存される方向に動き出しました。 あの建物とは、南三陸町の防災対策庁舎です。津波が町に押し寄せる中、避難を呼びかけ続けて犠牲になった町職員の遠藤未希さん、三浦毅さんの「命がけのアナウンス」で知られる建物です。 宮城・南三陸町防災対策庁舎
【遺構と記憶】南三陸の防災庁舎2016年 iRyota25 2016.02.05 2 5,003 1 南三陸町、志津川の町を車で走ると、別の世界に来たような気持ちになる。夜中に走っていると、まるで海の上を走っているかのような錯覚に囚われてしまう。それくらい、町のかさ上げは高い。かつて町があった場所には、まるで中央アメリカのピラミッドを思わせるような高い盛土
【遺構と記憶】小さな震災遺構を探して iRyota25 2016.02.17 1 2,519 0 少し前のことですが、大川小学校の校舎保存をめぐる意見交換会が行われたそうです。遺族の人たちによる小さな命の意味を考える会のホームページから一部を引用させていただきます。 12月13日に、校舎保存についての意見交換会が行われました。 校舎を保存するかどうかは、校舎
【復興支援ツアー2015】息子へ。神戸からの手紙「一杯のコーヒーの温かさをさがす旅」 iRyota25 2016.04.11 3 8,130 0 1杯のコーヒーの温かさ。それはコーヒーだけの温かさではなかった 神戸を目指したのは、東日本大震災から2年となる日、「がんばろう!石巻」の看板で行なわれた慰霊行事で出会った人たちのことが忘れられなかったから。 3月11日の光景。「がんばろう!石巻」追悼の集い 「コー
息子へ。東北からの手紙(2013年11月30日) iRyota25 2013.12.09 0 2,577 0 今日の手紙は東北ではなく東京から。 このところ、東北で活動する人たちが東京など被災地外の場所で「報告会」を開くことが多い。10月からの2カ月間で、こども∞感ぱにー(こどぱにー)、ロシナンテスといった、親しくしてもらっている団体の報告会が3回。来週には大船渡の新沼
息子へ。被災地からの手紙(2013年7月18日) iRyota25 2013.07.23 3 2,603 0 宮城県石巻市→女川町→石巻市→南三陸町→気仙沼市 昨夜遅くから石巻は雨。それもかなり激しい降り。朝起きて気象情報をチェックしたら宮城県東部には大雨警報が出されていた。 まいった。今日は女川から海沿いの道を通って雄勝、南三陸、気仙沼と走って陸前高田まで入る予定。大
大槌町の澄み切った湧水の未来 iRyota25 2015.11.20 2 2,574 0 カモの仲間やチドリやセキレイなどなど、野鳥が飛び交い、にぎやかな鳴き声をあげているのは有名な飛来地の池ではありません。ここは、岩手県の大槌町。 池のように見えるのは、かつては町だった場所。どうして野鳥の楽園になっているのかというと、大槌町は震災のずっと以前
ガレキと呼ばないで(電柱) iRyota25 2013.05.24 2 3,128 1 陸前高田の町の中心部で、不思議な物体に出会った。 地面から鉄線の束が湧きだして、踊るように輪を描いている。 いったい何だろう? 地面から電柱の鉄筋が “ 生えている ” のは、あちこちで見かけるが、こんなの初めて見た。 鉄線の束のところどころに、亜鉛メッキされた金属
ガレキと呼ばないで(時計) iRyota25 2013.05.10 6 9,234 1 被災した地域に行くと、いまでも時計を見つけることがよくあります。 女川町(2012年11月19日) 女川の町なかと石巻を結ぶ女川街道のすぐ近くに残されていた時計です。 震災から1年8か月後。建物の解体や撤去が進んだ女川町でも、こんな生活の遺産が見られました。 「時」を示
「ちょっと寂しさも」陸前高田のコンベア解体 iRyota25 2016.02.19 4 4,711 0 ずっとその場所にあるような気持ちでいた。風が吹けば顔面に細かい砂粒がぶつかってくるし、かつての町なかだった場所に1時間もいれば、クルマはサンドイエローに塗装されたかのように汚れる。髪の毛はホコリでぼさぼさになるし、心なしか鼻毛まで少し伸びるような気がする。
住宅地は高台へ。商業ゾーンは平坦地【宮古市田老】 iRyota25 2016.03.10 1 1,638 0 田老は海の町。家々は防浪堤に守られるように海辺の平地に立ち並んでいた。しかし現在建設が進む新しい町は、山林を切り開いた山の中。 杉の木立の向こうに見える宅地が田老の新しい町になるというは、ちょっと意外な感じがしないでもない。でもそれは、津波によって繰り返し
大震災から5年[NHKの紹介ビデオ] iRyota25 2016.03.07 3 3,278 0 東日本大震災からもうすぐ丸5年となります。多くのメディアが被災地の変化したこと、変わらぬこと、時間経過とともに顕在化してきた新たな問題などを伝えています。NHKのニュースウェブは、空撮などで撮影した南三陸町の5年間、震災遺構の第一号として保存が決まった宮古市田
【復興記録写真】岩手県陸前高田市 [2016年1月下旬] sKenji 2016.02.23 2 2,340 0 2016年1月末、岩手県陸前高田市を訪れました。前回、行ったのは1年半ほど前だったのですが、その時の印象とはだいぶ変わっていました。そう感じさせたのは間違いなく「盛土」です。 盛土の高さは最大で12メートルといいます。車高およそ3メートル前後と思われるトラックよりも
【復興支援ツアー2015】防災・減災につなげる東北旅行レポート by sKenji sKenji 2016.02.14 3 7,717 2 今回の東北旅行のテーマは「防災・減災」です。東日本大震災の被害を受けた地域の現在を見たり、震災を体験された方の話などを通じて、自分自身の防災意識の向上、そして次に来るであろう自然災害の被害軽減に役立てたいという意識で見て回ってきました。 1日目 いざ、東北へ
ホテル観洋の窓辺の椅子から見える風景 iRyota25 2016.01.29 3 2,970 0 南三陸の美しい海に面したホテル観洋。エントランスから続く長いロビーを歩いていった先に、何脚かの椅子が並べられている。目の前には紺碧の志津川湾。 漁場が広がる豊かな海の向こうには、赤茶色の土が山のように盛り上げられた志津川の町。この椅子は、復興が進むふるさと
【復興支援ツアー2015】防災・減災につなげる東北旅行 by sKenji sKenji 2015.11.11 0 2,101 2 昨年に引き続き今年も実施される「復興支援ツアー」。昨年は東北の復興に少しでもつながってほしいという思いから東北の魅力を探しに行きました。今年は東北旅行を通して、次に来ることが予想される大災害の被害を少しでも減らすことにつながるものを見つけたいと思います。
大槌町の震災遺構の明日は? iRyota25 2015.10.23 1 2,095 0 町全体でかさ上げ工事が進められて、自分がどこにいるのか、どの道を走っているのかも分からない2015年秋の大槌町。ショッピングセンター・マストがある国道の交差点を東に向かうと、やがて大槌川沿いの道と交差するだろうという当てずっぽうの直感で町に入る。ナビなど意味を
初めての姉妹会は東北で! jina 2014.06.01 6 7,019 1 かねてからの夢だった三姉妹だけで行く女旅。東北も被災地も初めての姉と妹に、美しい東北、人と人がつながる東北、そして東日本大震災の爪あとを自分の目で見てそして感じて、これから私たちにできること、そして子供たちに伝えていくべきことを一緒に考えたい。 長女 くっ
歌が聞こえてくる「新北上大橋」のいま iRyota25 2015.09.11 3 3,030 0 ここに来ると歌が聞こえてくるような気がする――。そんな話を以前からよく聞いた。 聞こえてくるのは岸辺の葦のリードの調べか。あるいは海からの風が橋梁を鳴らしていくのか。それとも津波に奪われた魂の歌声なのか。 新北上大橋は東北の大河・北上川の河口から約4kmに掛けら
いまだけの風景「震災遺構に決まった野蒜駅」 iRyota25 2015.08.11 2 1,943 0 震災遺構になることが決まった野蒜駅。まだ震災当時のまま。保存や見学のための工事も始まっていない。いまだけ見られる東北の光景。 震災遺構になることが決まった直後に、以前撮影した写真を元につくったページはこちら。2015年夏・現在の姿と比べてみてほしい。 旧・野蒜駅
いまだけの風景「オシャレな新・野蒜駅へ」 iRyota25 2015.08.12 1 2,032 0 左手の松並木は東名(とうな)運河、北上川と仙台方面の水運を外洋を通らずに実現するために伊達藩が築いた運河です。かつての仙石線は野蒜(のびる)付近では、この運河に沿って走っていました。しかし、東日本大震災の大きな被害を受けて、仙石線は山側へ数百メートルも高台
息子へ。東北からの手紙(2015年7月20日)地元メディアが伝えた「原発PR看板」将来的には復元へ iRyota25 2015.07.21 3 2,182 0 地元にいるからこそ届けられる情報があるということ。地域の紙メディアの小さな記事に大切な問題が隠されていること。 福島県双葉町には原子力発電をPRする看板が2基設置されている。そこには1988年と91年に町民から募った表裏計4つの標語が掲げられている。 「原子力 明るい
「あの看板」の撤去話が進んでいるという不条理 iRyota25 2015.04.08 4 2,268 0 あの看板とはこの看板。立ち入りが厳しく制限されていた2013年、原発事故被災地のツアーバスからの撮影で切れ切れですが、まぎれもなくこの看板のこと。 原子力明るい未来のエネルギー 国道6号線から双葉駅への道に右折する車窓から、この看板が見えてきた時には強烈な皮肉め