3月11日、朝の陸前高田

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7年後の陸前高田、海辺の鳥瞰図。かさ上げの土を採るために削り取られた愛宕山の跡から、海岸線を望む。

手前の建物は旧気仙中学校校舎。屋上直下まで津波に襲われたが、生徒は全員が高台に避難して無事だった。気仙川を渡った正面には奇跡の一本松が見える。その海寄りの黄色い建物はユースホステル。震災当時は休業中だった。

画面に弧を描く白い構造物は震災後に築かれた防潮堤。海岸線沿いにある背の低い防潮堤の内側にあるので「第二線堤」と呼ばれる。

第二線堤の右側は太平洋。左側に見える水面は古川沼。本日ここで行方不明者の捜索が行われることになっている。

画面中央、第二線堤に引っ付いているように見える白い建物は、下宿定住促進住宅跡。14時46分の黙祷の後、この付近の防潮堤から慰霊と追悼の連凧が揚げられる。その時間にここに立てば、空の上にいる人たちと陸前高田の人たちが結ばれるのを目にすることができるだろう。

2018年3月11日の陸前高田、朝の風景。

カメラを横位置に構えると、左手に、三角形をしたタピック45(旧道の駅)の建物も見えてくる。この場所からは、陸前高田市内で震災遺構として残されることになる4施設を一望できる
カメラを横位置に構えると、左手に、三角形をしたタピック45(旧道の駅)の建物も見えてくる。この場所からは、陸前高田市内で震災遺構として残されることになる4施設を一望できる

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