【遺構と記憶】国道45号線のポール基部

iRyota25

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ここは陸前高田、海沿いを走る国道45号線。津波に引きちぎられた道路案内表示のポールが痛々しい姿のまま残っている。

赤い看板の「オカモト」は、被災したその場所で営業しているガソリンスタンド。看板には「津波到達高さ」の表示がある。三角形の建物は道の駅タピック45。震災遺構として保存されることになっている建物で、駐車場には「復興まちづくり情報館」も設置されている。

被災したポール基部を中心に道路の反対を振り返ると、国道がずっと長く続いている。この道は被災した後も、わずかに舗装をかさ上げしただけで、ほぼそのまま使われている。

しかし、道の両側の景色は被災前とはまったく違うものになってしまった。7万本の松が並んでいた高田松原の姿は無い。その代わりに、第二線堤と呼ばれるかつての松原と同じくらいの高さの堤防が白く長く延びている。

ロードサイドに立ち並んでいた店舗やレストランはすべて消えて、代わりにかさ上げ工事に使う土の仮置きの山が延々と連なる。道ゆく人の姿を見かけることはほとんどない。工事が休みの日の朝の撮影だから道はガランとしているが、平日にはダンプカーなどの工事車両が全交通量のおそらく半数以上を占める。

国道の北側には、高田町の夏祭り「うごく七夕」の山車が4基、仮の車庫で保管されている。元々は町中にあった山車が、かさ上げ工事のためにこの場所に疎開しているのだ。昨年の七夕は市内の道が工事で分断されていたため、すべての山車が集結することはなかった。この場所に置かれた4基は、4基だけでかさ上げ工事現場周辺を曳き歩いていた。

山車が置かれたこの場所は一見すると空き地のようだが、ここは空き地なんかではない。震災の前にはDocomoショップとドラッグストアのツルハ、そして交差点の角にはレストランがあった。

いまでは向かいの古川沼にやってくる水鳥や、上空を旋回するオオハクチョウの群れが彩りを加えてくれるくらいだが、いまから6年前、国道45号線のロードサイドは買い物客で賑わっていた。断じて空き地なんかではない。

陸前高田の高田地区の防災復興工事は、海の近くの第一線堤、今後植林が行われる新しい松原、第二線堤、そして45号線を越えた内陸部に築かれる海抜14メートルほどの高台という構成で進められている。国道45号線は現在の場所、つまり被災したほぼその場所のまま復旧されることになっているが、地震で地盤沈下した分、50センチほどのかさ上げ工事が行われることになっているそうだ。

昨年秋の住民説明会では、50センチほどのかさ上げ工事ではあるものの、一時的に道の付け替えが必要になるため、4基の七夕の山車も移動させることになるという話だった。つまり、被災して山車が破壊されたり流出した後に、全国からの支援でようやく再建したものの、かさ上げ工事で疎開を余儀なくされた上、さらに疎開先も移転しなければならないということだ。

無惨に引きちぎられたポールの基部には土が詰まっていて、よく見れば小さな植物の芽のようなものがある。植物は強い。

ポールの基礎の周りの土は耕されていて、球根がいくつか転がっていた。この場所に花を咲かせようとしている人たちがいる。植物も強いが、人間だって負けてない。

昨日知人が話をしてくれた。彼は新しいまちづくりを引っ張っているひとりだ。

「こんなこと言うと誤解されるかもしれないけど、陸前高田は町が丸ごとなくなった。中途半端に破壊されたところと残ったところが混在しているわけではないから、これからまったく新しい町をつくっていくことになる。失ったものは計り知れないほど大きいけれど、まるごと新しい町をつくっていくということを前向きに考えたい」

とはいえ——

復興まちづくり情報館では、被災前の町並みをスライドショーで見ることができる。被災した町のすべての地域ではないが、主な道路沿いの車載カメラからの映像が提供されている。

もちろん、たくさんの商店が建ち並んでいた国道45号線の映像もある。

紹介した道路案内表示のポールの震災以前の姿も、平成20年9月に撮影されたという画像の中にしっかり残されていた。

ツルハドラッグの赤い看板の前に立つ青い案内表示こそが、このポールのかつての姿だ。ポール下の花壇には色とりどりの花が咲いていた。

そしてこれが、復興まちづくり情報館の駐車場からポール付近を見た現在の姿。

過去ばかり気にしていては前進できない。まちを丸ごと造り直せることを好機だと考えないと、と彼は言う。しかし記憶は消せない。この場所に立てばよみがえってくるものがある。そして、前向きにと語る彼もまた、瞳の奥に千々に乱れる光を宿していた。そのことを忘れてはならない。

ここは陸前高田、海沿いを走る国道45号線。高田松原を越えた津波はこの国道から高田の町中に流れ込んだ。この道はかさ上げ工事を実施された上で、幹線道路としてこれからもまちを支えていくことになる。震災以前とほぼ同じ位置で。

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