【遺構と記憶】陸前高田の集合住宅

iRyota25

公開:

2 なるほど
4,822 VIEW
0 コメント
下宿(しもじゅく)定住促進住宅(2013年4月撮影)
下宿(しもじゅく)定住促進住宅(2013年4月撮影)

国道45号線の沿線にたっていた5階建ての集合住宅2棟。海側の1棟は4階までが、ベランダから玄関まで津波でうち抜かれていた。人の姿がほとんど見られない高田の町で、津波の威力と想像を絶する恐ろしさを静かに物語り続けている。

(2015年1月撮影)
(2015年1月撮影)

震災後の陸前高田に残された衝撃的な建物は「下宿定住促進住宅」。場所は高田の松原の東の端に近いあたり。昭和56年に完成した鉄筋コンクリート5階建ての集合住宅で、1棟あたり3LDKの住宅が40戸。震災当時にも利用されていたという。

国道のバイパス沿いの建物なので、現在のとこと自動車の車窓から眺めるほかないないのだが、建物の正面から見ると、4階までの破壊された面が、津波そのものの大きさとして眼前に迫ってくる。津波の大きさにただただ圧倒される。

高田松原第一球場付近からの遠望。この頃はまだ2棟あった(2012年11月撮影)
高田松原第一球場付近からの遠望。この頃はまだ2棟あった(2012年11月撮影)

現在は海側の1号棟だけを残して、山側の2号棟は解体されている。1号棟を震災遺構として保存する方針は比較的早い時期から示されてきた。

陸前高田市・下宿定住促進住宅

高田松原の近くでは、土地のかさ上げ工事が進められている。人類の歴史上でもまれなのではと思えるほどの巨大なベルトコンベアーを使って、高い高い土の壁が盛り上げられている。かさ上げの高さは海抜で約14メートル前後になるという。

土地のかさ上げが進んでいくと、下宿定住促進住宅はどうなってしまうのだろう。住宅は高さ約14メートル。とすると、建物の屋上ほどの高さがかさ上げ後の地面になるということになる。津波の高さを「見上げる」ことで津波の記憶を伝える下宿定住促進住宅が、新しく作り変えられた町では、「見下ろす」遺構になってしまうということなのか。

2号棟があったあたりに盛り土が…(2015年1月撮影)
2号棟があったあたりに盛り土が…(2015年1月撮影)

建物の北側、かつて2号棟があったあたりにも土が盛り上げられている。遺構として残されることになった集合住宅は、このまま盛土の山に囲まれて、穴ぼこの中に隠されてしまうのだろうか…。心配になる。

陸前高田市のホームページなどで調べてみると、この集合住宅は防災メモリアル公園の敷地内に含まれる予定のようだ。かさ上げの対象となるのは建物のすぐ北側のJR線沿い以北。盛土される地域とされない地域の間は法面(斜面)になるらしい。

計画の詳細はまだ不明だが、下宿定住促進住宅は海側から新しい市街地へ向かって上っていく道路近くに位置することになるのかもしれない。津波の高さとほぼ同等のレベルまで上っていく坂道と、かさ上げされたエリアの近くに残される集合住宅。建物の周りがぐるりとかさ上げされるということにはならないようだが、新しく造られる高田の町からは、ほぼ津波の高さから下宿定住促進住宅を見るような形になるらしい。

海近くの標高の低いゾーンはメモリアル公園として。その山側には盛土でかさ上げした新しい商業用地、さらに盛土の土を切り出した高台は住宅地に。道路も鉄道も橋も新しくなる。陸前高田の復興計画の青写真は、まったく新しい町を造っていく大事業なのだ。

津波に襲われた高さに匹敵するほどのかさ上げが進む陸前高田の町。新しい町が造られた時、津波の高さを無言のうちに物語ってきたこの建物は、何をどのように伝えていく存在になっているのだろうか。

「町から坂道を下った先にある古い廃墟のような建物」といった表面的なメッセージだけではない、一目見ただけで何かが伝わっていく遺構として育ってほしいと思う。

最終更新:

コメント(0

あなたもコメントしてみませんか?

すでにアカウントをお持ちの方はログイン