津波の後、みなさんやさしくなりましたよ

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仮設住宅から公営の復興住宅に入居した人たちの間で、手づくりのコミュニティ再生がはじまっている。雨の日も雪の日も欠かすことなく、1年365日、毎朝ラジオ体操をしている人たち。ある災害公営住宅から別の災害公営住宅まで、かつては民家が建ち並んでいた土地、しかしいまはダンプカーが行き来する道を通って、往復4キロのウォーキングを続ける人たち。手芸や習い事などのサークル活動を立ち上げた人たち。

そんな人たちとご一緒していると、たとえば健康のためとか、散歩好きだからとか、自分の趣味のため「ばかり」の活動ではないことがよくわかる。仲間づくりという共通の意識が底流にあることがわかってくる。

毎日欠かさずラジオ体操を続けるのは容易なことではない。土埃が立ちこめる中を歩いて、隣の公営住宅まで行くのは、ちょっと遠くなったお隣さんに「おはよう」を言うためだ。10人参加するか20人来るかもわからない手芸教室のために型紙を切り、布地を裁断し、ボタンなども揃えてキットを準備するのは並大抵のことではない。しかも参加料は200円程度の材料費のみだったりする。

新しいまちに新しい「つながり」を築いていくために、被災した人たちが自分たちでコミュニティづくりに取り組んでいるのだ。ほんとうにたいへんなことだと思う。

「津波の後、みなさんやさしくなりましたよ」という言葉は、震災前の習い事教室を再開した女性の言葉だ。彼女はこう続けた。

私なんかももう80歳を過ぎているし、あとどれくらい生きられるかわかりません。だけどこれまで学んできたことや知識として持っているものは、何でもお伝えしていきたいと思っていますもの。

そりゃあね、中には「この機に乗じて儲けよう」なんて輩もあるいはいるかもしれませんけどね、津波の後、そんな不調法な考えはほとんどなくなったんじゃありませんか。

損得なんかないんです。自分にできることを伝えることで何か少しでも役に立てるんじゃないか、そういう思いなんです。

考えればわかることだが、津波で市街地のほぼすべてが失われた地域に、新しいまちをつくっていくということは、お隣さんやご近所さんとの付き合いをゼロから立ち上げていくことに他ならない。なぜなら、津波で流される前と同じ場所に、津波前と同じメンバーでまちを再建することは不可能だからだ。なぜなら、津波で流された土地のほとんどがもはや存在しない。かさ上げの土の下10数メートルに埋まってしまって、誰も目に見ることすらできないからだ。

公(おおやけ)は土地の造成や道路などインフラの整備に力を入れる。弱者支援にも動いている。しかし、ほんとうの意味での「まち」の再生までは、公はとても手が回らない。畢竟住民の手に任されるほかない。

しかし、コミュニティづくりはたいへんな仕事だ。実行力も折衝力も必要だ。根気や覚悟が不可欠なのはいうまでもない。人間への理解やホスピタリティといったものも含めて、およそ人間の有するあらゆる資質を高いレベルで注ぎ続けていかなければならない仕事だろう。

自助・共助的な活動が立ち上がってきたことは、これからのまちづくりにおいて心強いことだ。しかし、現状は大きな使命のすべてをごく少人数で担っているケースが多いということを知ってほしい。

住民の自主的な活動が立ち上がってきたことを理由に支援が打ち切られた地域では困惑が広がっている。外部からは「自立」に見える現象が、数人の人たちの犠牲的と言えるような献身によって支えられていて、その実情が外部からはほとんど見えないのだ。

がんばりすぎて挫けてしまったり、気持ちが萎えてしまう人も出てくるだろう。復興に向けて前進しているように見えていた地域がガクンと失速するケースも出てくるだろう。

それでも、津波で流された地域に、あたらしいまちをつくっていかなければならない。人と人のつながりをつくっていかなければならない。その仕事は、まちに暮らすひとりひとりが担っていくしかない。

「津波の後、みなさんやさしくなりましたよ」

80歳を過ぎ、内なる財産を伝えていきたいという彼女が語った言葉。あなたはどう感じるだろうか。

私には、彼女の言う「やさしさ」の中に、強さだけではなく弱さ、しなやかさと脆さ、そして諦めや絶望と、絶望を退ける決意といったさまざまな思い、いろいろなものを引っ括めた「ひと」というものの本質的な意味が込められているように聞こえる。

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