「復興」という言葉を聞いたとき、どんなイメージを持ちますか?
私は今回、初めて東北の被災地を訪れ、「復興」のイメージが大きく変わりました。
東日本大震災以降、テレビや新聞で度々目にする「復興」というキーワード。私が「復興」という言葉に抱いていたイメージは、大津波で破壊された街に新しい道路や建物を建設し、人をまた住める状態に戻す、いわゆる物的復興でした。
ところが、実際に現地に訪れ現地の方々のお話を聞いていると、物的復興とは違ったところに「復興」を求めているように感じました。
失われた故郷
2017年の3.11の日、テレビでふと目にした被災地の女性の言葉が頭を離れません。大津波でいったんは全てが流され、その後復興が進む様変わりした街並みを見て「故郷が他の場所にあるみたい」としみじみと語っていました。
「故郷が恋しい」という言葉があります。
そこには、自分が生まれ育った街並みや風景があり、その景色の中にお父さんお母さんとの思い出、兄弟との思い出、学校での思い出、友達や恋人との思い出があります。故郷には、人それぞれ固有の街並みや風景の中に特別な思い出がたくさん詰まっており、その人の人生そのものです。
東日本大震災で発生した大津波により、この街並みや風景がすべて流されました。
巨大な防潮堤や高台の工事、新しい道路の建設、施設の建設(物的復興)が進んでいますが、復興が進むにつれて街並みや風景が様変わりしていく姿に、自分の故郷はもう戻らない、「寂しい」「虚しい」という強い喪失感が現地の人々の心の中にあるのだと思います。現地の人々の故郷は、大津波によって当時の町並みや風景とともに流されて消えてしまったままなのです。
雄勝を訪れた時に現地の方からこんな言葉が漏れました。
「残された数少ない被災前の雄勝の町並みの写真を見た時、そこに写っている建物の横には何かのお店があったはずだけど何があったかすぐに思い出せない。まだ6年前の話なのに。でも薄れた記憶をたどり、思い出せたときは本当にうれしい」
街が流され多くのものを失ってもそこに残る人々は故郷への愛着が強く、思い出とともに故郷を取り戻そうと必死に生きているように感じました。
そこには物的復興ではなく、故郷を取り戻したいという思い、目に見えない質的復興を求めているように思えました。
災害公営住宅の問題
この旅では物的復興によって建設された災害公営住宅の問題についても考えさせられました。
鮎川の仮設商店街「おしかのれん街」の酒屋の店主さん、被災地で復興支援活動をしているライターさんから、災害公営住宅は構造上、隣人の顔が見えず住民のコミュニケーションが取りづらいため、コミュニティ形成が難しいというお話を聞きました。
1995年の阪神淡路大震災では災害公営住宅での多くの孤独死が問題となりました。これを踏まえて東日本大震災で建設される災害公営住宅は設計段階で、住民がコミュニケーションを取れる工夫、コミュニティを再形成しやすい工夫がなされたようです。
しかし東日本大震災では街全体が津波で流され分散避難せざるを得なかったこと、高台の限られた場所に仮設住宅を点在して設置せざるを得ず分散移転が生じたこと、さらに災害公営住宅への分散移転と、避難・移転の過程で度重なるコミュニティの分断が生じたことから、実際は災害公営住宅でのコミュニケーションの喪失が起こってしまっているのではないかと思います。
コミュニティを再生する
失われたコミュニティを取り戻すことはできるのだろうか。
私は今回の旅に同行していただいた語り部のタクシードライバーSさんの話の中にそのヒントがあるように思いました。
Sさんは震災当日、運転中に乗客と車ごと津波に流されたそうです。幸運にも生き残ることができましたが、心の傷が癒えず味覚障害から食欲不振になり、何もやる気が起きなくなってしまったそうです。
そんな時、土いじりをするとストレス発散になるとシクラメンの花を頂き、一生懸命花の世話をしていく中で心の傷が癒えていったとおっしゃっていました。
Sさんのお話からは、震災で心に深い傷を負ったたくさんの人たちにとって、一生懸命打ち込めるものがあることが大切だと思いました。
災害公営住宅や仮設住宅に住む被災者の中にも、いまだ震災の傷が癒えず、外に出てコミュニケーションを取れない方たちが多くいると思います。
そんな中、行政や自治体、各地のボランティアの力を借りて敷地内で炊き出しや共用花壇・畑などの開設、ワークショップの開催などを通じてコミュニケーションの機会を作り、コミュニティ形成の支援をしていくことが必要ではないかと感じます。
そして新しいコミュニティで住民が故郷の思い出を語り合えるようになったとき、思い出の残る故郷に戻りたいという気持ちが芽生えるような気がします。そして多くの人たちが故郷に戻り、そこで失われたコミュニティが再生されて初めて心から復興を実感できるのではないでしょうか。
東北の復興を実感できるようになるまでには、まだ何十年、何百年の歳月がかかると思います。その間、東北のために自分が何をすべきか考え、自分ができる支援を続けていこうと思います。
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