広島駅近くから平和記念公園に向かって伸びる大通り。平和大通りは広島復興のシンボルロード。
しかし、原爆が投下された直後、広島では「75年は草木も生えぬ」と言われていた。
草木も生えぬと言われた町の真ん中に、見事な緑のブールバードが続く。
戦後という言葉すら風化しつつある今を生きる我々からすれば、この緑の大通りは平和のシンボルであり、復興の証明でもある。つまり「当たり前」の光景だ。しかし、原爆でほとんどすべてが失われた広島の光景を知る人が見たらどうだろう。あの日、斃れた人の魂がよみがえって、まだ75年経っていない町の姿を目の当たりにしたら、どんな言葉を発するだろうか。
平和大通りの立派な木々は、焼け野原となった地面から自然に生えてきたものではないそうだ。平和大通りの何カ所かに「供木運動」という耳慣れない言葉を説明するパネルが掲げられている。
日本の都会のなかでもとりわけ美しい町として今ある広島は、多くの人たちの働きによって形づくられた。平和大通りは復興というものが、どのようになされたかを示す巨大な記念碑と言ってもいいだろう。
そして、説明パネルに「昭和31年から32年にかけて」とあるように、緑の大通りの復活のために汗が流されたのが、原爆投下から10年以上経ってからだったということも注意深く考えてみる必要がある。
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