不屈の床屋さん。鹿折軒さんはそんな形容が似合う床屋さんだ。震災当日は家族全員が命からがらで生き延びた。店はもとより商売道具もすべて失ってしまったが、理容業界の仲間からの支援を受けて、避難所でいち早く理容のボランティアを始めた。店があった場所は津波浸水域で、同じ場所での再建に市は難色を示したが、自分の土地で商売したいと押し通し、自宅跡地にプレハブの仮設店舗を構えた。開店にあたっては、何があっても文句はありませんと念書みたいなものも市に差し出したという。
4年くらい前に会った時には、自宅周辺でかさ上げ工事が始まると、うれしそうに計画書を見せてもくれた。その後、工事の関係で仮設店舗を移転した。有名な打ち上げられた船があった近くだった。去年後半、鹿折地区に集合住宅がほぼ完成し、周囲にはぽつりぽつり店舗らしき建物の建設が始まった。鹿折軒さんの建物もあるかと探していたら、別の場所に仮設店舗として再移転していた。
仮設店舗として3度目の場所での営業再開。建物は当初と同じプレハブ。
久しぶりに髪を切りに行って、「もうそろそろ本設なんでしょ」と話しかけると、
「とんでもない」との返答。
自分たちの土地で商売を再開できるのは、3年後かなあ。だって、元々の店の周りは道路もまだそのままなんですよ、と半分あきれたように話してくれた。
気仙沼は復興が進んでいる印象だけど…と言うのを遮るように、「進んでいるように見えるのは表側だけ。一本路地を入るとまだ全然。集合住宅がたくさん出来ているから進んでいるように見えるだけ」と教えてくれた。
「あれから6年、そしてまだあと3年。機材を入れたりとか考えると、復興ってやっぱり10年かかるものなんですね」
外ヅラだけ見て復興具合を判断してはいけない。話してみて初めて分かることがたくさんある。進んでいるように見えるのは表側だけ。元の場所で再開するまでには10年。多くの場合、これが被災地の現実なのだ。
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