明日を目指すお店リポート「商店街には駄菓子屋さんがなければね」あかもの屋さん

iRyota25

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久之浜第一小学校の校庭に、震災の後いち早くオープンした仮設商店街「浜風商店街」があります。小学校の南、グラウンド側の入り口を入って左手、プレハブ店舗の一番手前に位置するのが「あかもの屋」さん。久之浜の町でずっと昔から人気を集めてきた駄菓子屋さんです。

小学校のグラウンドにつくられた仮設商店街に駄菓子屋さん!

なんて素敵なとり合わせでしょう。開口一番そんな話をしたら、店主の伊藤保幸さんが笑顔で応じてくれました。

「やっぱりそう思います? ここの仮設がオープンした時にもNHKの人が同じことを言ってくれて、放課後の子どもたちが店に集まってくるところを撮影したいっていうことでした。でもね、小学校の子どもたちは仮設住宅などの避難先から学校まで送迎バスで通っている子が多いんです。今日は駄菓子屋さんに寄りたいから次のバスにしよう、なんてことはできないので、下校途中の子どもたちがお店に寄っていくことってないんです。NHKの人たちも結局日曜日に撮影していましたよ」

あぁ、ちょっと残念。

でも小学校の近くに住んでいる子どもたちは、いったん家に帰った後、学校敷地内の商店街まで戻ってきて、あかもの屋さんであれこれ買い物していくので、夕方には毎日けっこうな人が集まってきます。休日や町でイベントがある時には、親に連れられてわざわざやってくる子どもも多いそうです。

「中学生の子たちはちょっと遠くからでも自転車で来てくれたりするんですよ」

大人たちが3軒隣の電器屋さん「プラネットさとう」さんでお茶っこしながらお喋りするのと同様に、やっぱり子どもたちにも情報交換の場が必要。あかもの屋さんは、そういう意味で恰好の「たまり場」になっているのです。

あかもの屋さんのお店は町のメイン通り、商店街の中ほどにありました。ほとんどの建物が津波や火災でやられた中、あかもの屋さんの建物は現在も久之浜の町に残っています。

「海側をブロック塀で囲っていたからか、建物は何とか持ちこたえました。でもね、店の中は泥だらけ。どこからどう手を付けたらいいのか、震災直後には見当も付かないくらいでした」

途方に暮れていた伊藤さんの助けになってくれたのは、震災数週間後から久之浜に入ってくるようになった若い人たち。側溝掃除に来たボランティアの人たちが、店の中の掃除も手伝ってくれました。ある日やってきたボランティアさんが帰って行った後も、次に来たボランティアさんが手伝ってくれました。

「きっと連絡を取り合ってくれていたんですね。久之浜に残っているお店屋さんの片づけを手伝ってあげてとかって。ありがたかったですね」

そうこうするうち、仮設商店街に出店しないかという話が商工会から持ちかけられます。

[写真]=あかもの屋さんの旧店舗前に掲示された小さな看板。小学校に仮設商店街があることを知らせてくれる、可愛いけど貴重な看板だ
[写真]=あかもの屋さんの旧店舗前に掲示された小さな看板。小学校に仮設商店街があることを知らせてくれる、可愛いけど貴重な看板だ

「どんなお店が出店するのかな、ってリストを見たときに、子どもたちが集まれるような店がなかったんです」

あかもの屋さんは、もともと電器屋さんと時計屋さんと駄菓子屋さんを営むお店でした。駄菓子屋を主に担当していたのは伊藤さんの叔父さん。しかし、震災前の1月に亡くなられていました。

「電器屋さんは佐藤さんが出店する予定だし、それじゃ自分は子どもが喜んでくれるように駄菓子屋で行こうと決めたんです」

子どもの人数が減っている時代だから、駄菓子屋さんの商売は大変です。
単価が安くて利幅が薄い商品だから、ある程度の数を仕入れなければなりません。かといって大量な在庫を持つこともできない。これは仕入れ先の問屋さんも同じだから、人気商品なのに品切れで入荷がいつになるのか分からないといったことも出てきます。

駄菓子だけではなく、雑誌やプラモデル、釣り用品など、商品のバラエティを広げたり、商店街に視察にやってくる人たちの「大人買い」に応える箱売りコーナーを設けたり、サービス向上のため子どもが大好きだという従業員を雇ったり。

ちなみに、商品を並べる棚にもご注目。箱や机や手作りの棚など、まちまちの棚をうまく工夫して商品を陳列しているんです。

そんなディテールも含めて、伊藤さんが今日もがんばっているのは、子どもたちが集まる場所を守っていきたいから。

伊藤さんは明るくて確かな夢を持っています。それは、駄菓子屋さんを元の場所で復活させること。

震災後、かなり早い段階から伊藤さんの中にはそんな目標があったようです。電気を引いて店舗の2階に住めるようにして、お店再開に向けての作業に力を注げるようにしました。裏庭に自分でお風呂を建てて、夏の暑さに備えました。久之浜の町から出ていく人が多かった頃、人々が戻ってくるのかどうかも分からなかった頃から、伊藤さんはお店再開に向けて黙々と作業を続けてきたのです。

「昔はね、子どもたちが店の前に停めた自転車が車道にはみ出しちゃって、叱られたりするくらいだったんですよ。お店を出せばね、きっと子どもたちは来てくれると思うんです。できれば、うちだけじゃなくても、ほかの人たちにも元の場所で商売を再開してほしいですけどね」

浜風商店街

東日本大震災の後、最初にオープンした仮設商店街です!お買い物や食事だけでなく、震災のこと減災のことなど話を伺えますよ。

伊藤さんを取材した後、町でこんな話を耳にしました。

「あかもの屋さんってすごいんだよ。久之浜の人たちはみんな子どもの頃にはあそこに通っている。大人になってからでも、あかもの屋さんに会うとみんな子どもの頃を思い出す。みんなが子どもだった時と同じようにあかもの屋さんも接してくれる。あの場所もあの人も特別なんだな」

久之浜では災害復興住宅の建築工事も始まり、いよいよ復興に向けての槌音が高まる期待がある反面、町を離れた人々が戻る見込みがあるのか、生活する上で欠かせない商店街がどこにできるのかなど不安材料も山積しています。

そんな中で、未来に向けて着々と自力で準備を進めている人がいるということ。
その人が、町の再生の主役である子どもたちのことを思って動いているということ。

あかもの屋さんに未来の希望を見た思いでした。

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●TEXT+PHOTO:井上良太(株式会社ジェーピーツーワン)

最終更新:

コメント(2

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  • H

    habihabi64

    アカモノは小さなかわいいお花を咲かせるそうですね。店名の由来ではないかもしれませんが、こちらの駄菓子屋さんが、お花のように子供たちの心を癒し憩いの場でありずっと思い出の中に存在するのだと思いました。

  • O

    ockn1006

    あぁ、あかもの屋さん懐かしいです。。
    個人的には学校帰りにも立ち寄れたらいいのにと思うのですが、僕は悪い大人でしょうか・・・。笑
    でも、奉奠祭があった休日にもちゃんと子供たちが出たり入ったりしていたので、ほのぼのした気分になりました。
    こういう場所って大切だなぁと思った次第です。