中・高時代、偏差値30台の不良が世界ランキング1位の公立カリフォルニア大学バークレー校を目指し一念発起して猛勉強の末、合格。「地頭なんて知らねえよ」という帯が語る通り、全力で努力を重ねてきた。単なる勉強方法の指南書で終わらず、心の琴線に触れる実話が詰まった一冊を執筆された著者 鈴木琢也さんへ勉強の原動力についてお聞きしました。
鈴木 琢也(すずき たくや)
1986年神奈川県川崎市生まれ。家族の不和が原因で中学生からヤンキーに。偏差値30台の県内最低の高校を卒業後、すぐとび職に。生命保険会社に16年間勤める父親が、初めて業績優秀者として表彰されたのを見て一念発起、専門学校に通いその後IT企業に。リーマンショックの直撃を受けた職場で「やれている同僚」を分析、彼らが卒業しているトップランクの大学に入ることを決意。カリフォルニア大学バークレー校に合格、卒業。アメリカの超優良企業の内定を蹴り、日本最大のビジネススクールであるグロービスに就職。初の自叙伝を2015年10月に刊行しネットやテレビ、新聞などに取り上げられ話題に。
反抗期を経て、変わったのは親か自分か。
――この本の表紙とタイトルを拝見した時、ちょっと前映画化もされて話題になったビリギャルの男子版?というイメージでしたが…中身を読んで衝撃を受けました。単なる成功体験ではなく心揺さぶられる実話と金言集のような。本をまだ読んでいない方にもご紹介するつもりで今日はお話し伺います。背が高くていらっしゃいますが、小さな頃から?
小学生の頃はワンパクな子どもでした。だんだん暴力的になって友達が離れていった記憶があります。スイミングスクールに通っていましたが、集団に加わらずひとりでいることが多かった。中学1年の冬頃からヤンキー仲間とつるんで悪さをするようになってから、目立ちたい一心で勉強なんてするのはカッコ悪いと思ってわざとしなくなりました。中1の冬頃から高校の前半頃まで3年位の反抗期を経て、親とぶつかることも少なくなりましたね。
――中学時代に警察に補導され親に心配かけてきた一方で、高校生になってからはアルバイトもされていたから、親はそういう社会とのつながりも見守っていたのでしょうね。
やっとあきらめて黙るようになったか…と思っていましたが、この本を書くためにその頃の話を聞いてみたら、かなり両親で自分について議論していたようです。いかに経験から学ぶために親が横から口出ししないか?といったような。朝、寝続けて学校行かない時もぐっと堪えて何も言わない。ちょっと考え方を変えて「琢也は定時制の高校へ行き、昼間はバイトへ行き、夜はダンスの練習をしている」…そんな見方をしてくれたおかげで、口うるさく言われず親と衝突もなくなりました。
――そういう捉え方のできるご両親もスゴイですが、高校で腐らずに適応できた琢也さんもスゴイです。
世間一般では底辺の県立高校に通っていましたが、自分と同じような仲間が集まっていたので、僕にとってはそんなに悪い環境ではありませんでした。もともと価値観が一緒なのと、おもしろい人が多いので中学や高校時代の友達とは今もつながりが濃い。サラリーマンをしているのは僕くらいで、皆自分で何かしら事業を立ち上げて仕事をしています。
――学校時代に不良とレッテル貼られてもエネルギーの向きが勉強ではなかっただけで、皆ユニークですよね。琢也さんは高卒後とび職に就かれました。そこからUCバークレーを目指すことに…何がそうさせたのでしょう?
就職したとび職の会社は肉体労働の中でもかなりハードで、体力的に厳しいところでした。戸建ての足場を作る仕事で、一日に何棟もこなして稼ぐ…。一時期しっかりお金を稼ぐ場所として、機材を購入する会社を興す人や、独立する先輩がほとんど。ずっと続けられる仕事ではないかな…と感じていました。当時は、あったかい家庭を夢見てヤンパパになるつもりでした。でも交際していた彼女にあっさりふられ、車でも買おうか?と思っていた矢先、父が勤務先の会社に成績優秀者として表彰されることになって、それをきっかけに「親父ってどんな仕事をしていたんだろう?」と初めて知りたくなりました。
自分は何をやりたいのか?ふと考えたら何もないという驚愕の事実に気づいた。「先輩がこうしているから」「どうせ自分はこんなもの」という先入観だけで生きていた。「学歴よりも勉強が必要だ」と父に言われ、ならば一度くらいちゃんと勉強してみるか!と。とび職を辞めてITを学ぶ専門学校へ入学し直しました。
「こうなりたい!」という強い気持ちがバネに。
――その後、専門学校で猛勉強し情報処理の国家資格も取得、IT系企業に再就職されます。そこからまた「勉強する力を身につけたい」と一念発起して今度は留学を決意されました。しかも超難関UCバークレーを目指すのですが、英検4級以下の渡米…で思い切りました。どうやって勉強方法を構築されたのですか?
ひたすらネットで調べて「こんな方法があるんだ」と知っては試す…のを繰り返し。英語の勉強法もたくさん試しました。聴き流すだけの…もキャッチに惹かれる人多いと思いますが、ある程度英語の下地がないと身に付きません。聴くだけより、復唱する素材として使うならいいかもしれません。とにかく自分に合ったものでないと意味がない。UCバークレーを目指すコミカレ(コミュニティ・カレッジ)で2年間勉強した時間は無駄も多かったけれど、人生の中では最もいい時間でした。
――中学と高校での学力が抜け落ちていた分、それを補うには机に向かって繰り返し基礎を勉強してこられましたか?
他にアイデアがあったら試していたかもしれませんが、それくらいしかできなかったからやっていました。自分がこうなりたい!という気持ちが人一倍僕は強いのだと思います。どうやったらなれるんだろう?といろいろ調べる。でも、ひとりで机に向かって黙々と勉強する日本の受験勉強っぽい方法は2年間でしたね。バークレー入学後は、外に出て人とつながり、意見交換や情報共有しながら勉強するスタイルになりました。
――そういうディスカッションの場数をものすごく踏んでこられたことが今、実を結んでいるのですね。日本ではディスカッションするのが慣れていない分、教育上での課題が見えていますか?
もしかしたら日本の受験システムが関係しているのかな?と。せっかく教科書から理解したことを人に教えたことで、その相手のほうが良い点を取ってしまうとしたら…教えないほうがいいだろう、ということになります。そうなると周りとディスカッションするという発想にならない。
それと、勉強量がバークレーはものすごく多い。僕の専攻ではとにかく読まなければならない本が常に一科目に5冊以上はあった。そのうち3冊は自分の読みやすい内容であっても、2冊はまったく興味をもてない内容。そういう時も仲間と情報共有することで、興味のなかった2冊はどんな点がおもしろいのかを他の人に指摘されると、自分が全然気づかなかった視点が拡がります。自分ひとりでやるというより、周りとどんなふうに勉強しようか?と考える時間でした。
――高度な勉強法ですね。日本語でそれをやろうとしてもハードル高そうですが…。
日本に帰って来て、それをそのままやろうとしても難しいと感じています。ディスカッションの土壌がある人ならわかりあえますが、まったく体験がない人にとっては、相当こちらの言い方を練らないと攻撃していると受け取られてしまいかねません。文化の違いもあるのでしょう。
いくつになっても勉強できるシステムづくり。
――これまで培ってこられたことを、これから仕事を通じてどんな形でフィードバックされたいですか?
僕は今、大人が通うビジネススクールに勤めています。この先創りたいと思っているのは、いくつになってもやる気になった人が勉強できる社会システムが日本に整っていくこと。既にビジネススクールを立ち上げている方がいたのでそこに参画しています。学校である必要はなくて、例えばオンラインでプログラミングのスキルを身につけて、プログラマーとして再就職していく…といったような。そうしたシステムを構築できるようにしたいです。希望がもちやすい仕組みだと楽しくなりますね。
――ご自身が体験されて超えられてきた中で「こういう情報があったほうがいいな」というものを社会に還元されていかれるのは素晴らしいです。著書のおかげで高校での講演活動も多いようですが、学生にはどんなお話をされていますか?
最近話したテーマでは「ノイズ」。新しいことを始めようとすると周りに何か言われたりしますよね?「今さら」とか「絶対無理」とか。そういう「ノイズ」をどうやって払拭できるようになったのか?と聞かれることが多くて、これは確かにおもしろいトピックだと感じたんですね。
僕は最初から「ノイズ」を払拭できていたわけでなく、仲間ができてお互いに信じてやれる価値観ができたから、それ以外に「ノイズ」があっても気にならなくなった。仲間を作って前進することを知ると自分自身へ問いかけがたくさんできるようになります。そうすると「ノイズ」の中に「シグナル」も混ざっていることに気づいて「あの時のあのノイズはこの答えのヒントだったのか!」とわかることもあります…と、そんなような話を伝えています。寝ている生徒もいる一方で、眼を輝かせて質問してくる生徒がいるのはありがたいです。僕が高校生の頃なら間違いなく寝ていた生徒でしたので(笑)、聴かない生徒の気持ちもわかります。
――コミュニケーションの基本は質問することかもしれませんね。興味をもって知りたいと思って相手に聞くこと。琢也さんもかなり質問をして理解できるまで努力重ねてこられたと思いますけれど。
バークレーの2年間は前期と後期で分けると、前期はボロボロ。後期でやっと兆しが見えてきた。アメリカの大学は卒業は難しいと言いますが、卒業はできます。ただGPAと呼ばれる成績評価が重視される社会。それを平均位で卒業となると相当の努力が必要です。自分はスタート時から平均より遥かに下の成績でしたから何とか平均に近づけようと頑張っていました。でも、最初は「どうせ地頭が違うから」とか「これまでやってこなかったから」と言い訳して勉強ができないことに甘んじていた。勉強方法を変えれば、いくらでも知識は伸びる。全力で努力することです。
――この本には勉強法の指南だけでなく、家族再生のストーリーが綴られています。たくさんいい言葉が溢れている一冊ですが、締めにこれから何かを始めようとする人へアドバイスをお願いします。
19歳の時に父が会社に表彰されたことをキッカケに、なぜ成功したのか?どんな仕事をしているのか?そもそも働くことってなんだろう?俺は何をやりたいのか?と色々な思いが湧いて転機となりました。そこから父とコミュニケーションを取るようになって自分の存在意義も見えて、冷たい家庭だと思っていたけれど実は愛があることもわかった。僕の場合は家族というボトルネックを解消することで、全力でやりたいことに取り組めるようになった。お互いどう考えているのか腹を割って話す機会、コミュニケーションが問題解決になります。
そして僕は留学体験で「自分の限界を自分で決めていた」ことに気づきました。頭が良い、天才だ…という人も実は人一倍努力している。自分の偏見や先入観といった思い込みがハードルを作っている。地頭なんて関係なく、やってみること。なにごともやる前に決めつけないこと。自分に蓋をしないことです。
編集後記
――ありがとうございました! 取材でなければもっといろいろな話を際限なく聞きたい!と思わせる魅力溢れる方でした。日本の価値観を脱出して猛勉強して得られた力は、後に続く人に影響を与える底知れぬパワーを感じました。わが家には大学受験まっただ中の息子がおり、この本をとても興味深く拝読。「俺が信じていたことは間違っていない!」などと答え合わせのように本を熟読。勉強することで可能性を拡げ、人として奥行きができることを身をもって示してくださっている若き教育者・琢也さんには、今後もっと日本の遅咲きな後輩たちを育成してほしいです。楽しみにしております!
取材・文/マザール あべみちこ
活動インフォメーション
最終更新: