「人生が変わる!最高の後ろ跳び」という著書タイトルは決して大袈裟ではない。『小さな成功が人生を変える』と日本で屈指のプロなわとびプレーヤーである著者は語る。小学生で夢中になれることを見つけてから、どのような道程を辿ってきたのでしょうか?なわとびで跳ぶ運動効果とは?など、お話を伺いました。
生山 ヒジキ(いくやま ひじき)
1981年生まれ。東京都港区出身。プロなわとびプレーヤー。Rope Performance Teamなわとび小助主宰。2007年から、全国各地の保育園、幼稚園、小学校、児童館、施設などで出張なわとび指導を行い、現在までに1000カ所以上、延べ50万人以上の指導実績をもつ。また、なわとびのギネス世界記録【TM】に挑戦し、「24時間で何回なわとびが跳べるか」ほか、後ろ跳びに関するさまざまな記録に挑戦し、11個の世界記録を更新している。そのほか、メディア出演やイベント出演も多数で、なわとびの跳び方、楽しさを伝えている。
なわとびに魅了された都会の小学生
――きょうもどちらかに遠征されてご指導を?
冬は学校の体育で持久走となわとびはやっている事が多いので、毎日いろいろな小学校へ出張なわとび指導という形にて、体育授業でなわとびを教えるのがメインの仕事です。朝の集会ではパフォーマンスを見せ、なわとびの楽しさや可能性を感じてもらい、その後、短縄の指導を授業内で行っています。
――2007年から全国各地で指導を始められたということですが運動能力は地方と都会で違いますか?
最近は地方か都会かは関係なく、できる子とできない子の二極化が進み、平均的にできる子が少なくなっている気がします。昔よりもゲームの発展・進化があることも一因かもしれません。あとは昭和と違って、平成・令和の時代は新しいスポーツがたくさん生まれていることも関係があるかもしれませんね。スポーツの可能性が広がったことは良いことではありますが、一方で目移りが激しくなったように感じます。
――なわとびが得意なおかげで小学生の頃はどんな良いことがありましたか?
なわとびが得意になったことで自分に自信がついたことも一つの要因ではありますが、瞬発力がつき、足が異様に速くなり小学3年生から6年生まで運動会ではリレーの選手でした。特に二重跳び、三重跳びは瞬発力も必要とするため足が速くなる基礎が築けます。徒競走のスタートダッシュとか幅跳びなどにも応用できます。逆に前跳びや後ろ跳びは、主に基礎体力をつける目的の跳び方で瞬発力を養うという面では二重跳び・三重跳びよりも劣ります。
――学校に行きたくなかったのが小3でなわとび好きになって変わった、というエピソードもありました。
自分の好きなものは、なわとびだ!と気付いたんです。例えば算数で解けなかった問題が解けたことよりも、図工でいい作品ができたことよりも、なわとびでできなかったことができるようになった達成感が何物にも代え難かったです。好きなものをやりたいから学校に行きたい、と学校に行く意味が見つかりました。今、各地の学校をまわって思うのは、学校へ来る目的が見つからない子が多いこと。ただ学校に行くだけではもったいない。「これがやりたいから学校に行こう」という目的を持った方が学校生活は、より一層楽しくなると思います。
――ほとんどの子はぼんやりと学校へ通っていると思いますが。ヒジキさんの場合は突き抜けてなわとびがお好きだったのですね。他のスポーツに移行しなかった?
なわとびが好きになってから運動能力も自然と進化して、学校へ行くのが楽しくなりました。僕の学校では週1回、なわとび朝会というのがあって学校一うまい子が朝礼台で跳べたんです。学年関係なく下剋上で、とにかく一番うまい子があがってお手本を跳んで見せます。そこを目指して練習していました。僕は小学5年生から毎度常連でした。都会のど真ん中にある港区立青山小学校は周りがビルだらけ。遊ぶ場所は青山墓地で、遊び場所が少なかった分、手軽に場所を取らずできるなわとびが運動の中心になって、熱心に跳んで遊んでいました。都会でも僕の世代はなわとびがめちゃくちゃ流行っていたんですよ。
落ちまくるオーディションで開眼
――中学で陸上、高校でも?なわとびへの想いは抱き続けていたのですか?
中学では陸上、高校では水泳をやりましたが、なわとびほど夢中になれず情熱は薄かったです。ラッキーなことに、僕の入った高校が体育の授業でなわとびをする学校でした。これって100分の1くらいの割合で、そこでなわとび熱が再燃しました。
――なわとびから離れて今度はなわとびがヒジキさんを追ってきた展開ですね。高校卒業後は?
なわとびをやりたいけれど職業にする概念もなく、その頃は決められた職業に就くという考えでした。夢中になれるものが見つからず、とりあえず大学へ行ってから見つけようと受験勉強をして進学しました。入学後に仲良くなった友達が戦闘レンジャーの黄色役を演じていたんです。それに刺激を受けて、僕もやってみようと役者を目指しました(笑)。
――ウルトラマンとか似合いそうです。大学生時代は役者やモデルなんかも兼業で?
オーディションを受けては落ちて落ちて落ちまくり。18歳から23歳までの5年間は、人生の暗黒期と呼んでいます。大学時代はただひたすらバイトしながらオーディションを繰り返し、卒業後もその繰り返しでした。
あまりにも落ち続け、いいことがなさ過ぎて自分が本当に何をやりたいのかわからなくなった23歳の時、今何とかしないと人生ボロボロになると思い、立ち止まって考えた結果「そうだ!なわとびが得意だった!」と思い出し。インターネットで真剣に調べてみると、見たこともない技をする海外のなわとびプレーヤーの動画がヒットし世界大会もあることを知りました。なわとびの先にある世界を知って、本気でやりたいのはなわとびだ!これで世界一を目指そう!と思い立ち、人生の行く末など何も考えずに、ただなわとびでてっぺんを取ろうという想いだけでなわとびの世界へ飛び込みました。
――オーディションに落ち続けて、なわとび熱再燃はドラマですね。真剣に始めてどうされたんですか?
たくさんのアルバイトをしながらなわとびをしてました(笑)。これまで体験したバイトの数なら誰にも負けません(笑)。
まだ建設中の六本木ヒルズ工事現場でセメントや砂を運んだり、引っ越し屋、ピザ出前をしたり、コンビニ店員、冷食食品倉庫の管理、交差点で24時間走る車の数をカウント、携帯電話の組み立て工場のラインに入ったり…など、29歳までありとあらゆる仕事の経験を経て、その後出張なわとび指導の可能性を確信し、チームなわとび小助を立ち上げました。TVCM出演などを機に、様々なお仕事を頂くようになり、なわとびを職業として確立することができました。周りの友人は大手企業に就職が決まっていく中、僕はオーディションに落ちまくる日々でしたが、自分の進むべき道を見つめ直し、再びなわとびと出会えたんです。
好きなことを一つでいいから見つけて
――ヒジキさんというお名前は芸名ですか?どんな意味で?
これは活動する際に名乗っている名前です(笑)。北海道物産展で海産物の売り子バイトをしていた時に、何かいい芸名はないかと考えているとバイト先の店長に話すと「それならヒジキがいいんじゃない?ヒジキは海藻のなかで一番バランスよく栄養を含んでいるから、おまえもそういう人間になれ!」と。「おまえちょっとバランスの悪い人間だから」と命名されましたが気に入ってます(笑)。ひらがなだとそのまま食べ物になってしまうので、カタカナにしています。
――可愛らしくて記憶に残るお名前です。コロナ禍になって私も運動不足解消のためにランニングしています。なわとび跳べるさ!軽い軽いと舐めてました。全然跳べなくてビックリ!ご著書でも紹介されていますが跳ぶ前後の運動が必須なんですね。
なわとびって小学6年生くらいまで跳びますが、中学生になるとあまり取り入れられなくなってそこで止まってしまうと思います。大人になって体重が小学生の頃から2,3倍増えているのを忘れて小学生の頃の感覚で跳んで怪我する人も多いんです。跳ぶ前と跳んだ後のケアは欠かせません。大人も子どももすぐ本題(跳び)にいきたがるものですが、ランニングの3倍程度の負荷があるので大人は特に、始める前のケアをしっかりしないと楽しくなわとびを跳ぶことができなくなってしまいます。ウォーミングアップとクールダウンそれだけでもいいくらいです(笑)意外と本に書かせていただいている片足立ちなんて跳ぶよりハードです。
――タイトルにもなってますが、なぜ後ろ跳びにフォーカスをされたのですか?
ジャンプをするときの腕を下から上の振り上げる動作が、「後ろ跳び」の下から上に縄を振り上げる動きに似ていることに気が付いて、これが人の自然な身体の動きなんではないかと思ったんです。現になわとび初めの2~3歳児になわとびを跳ばせてみると必ずと言っていいほど、後ろ跳びをするように縄を上にあげます。前跳び主導から始めるという変なルールから始まったので、小さな子にとっては「なわとび」はものすごく高いハードルになってしまったと思います。自然な身体の動きでなわとびも跳べた方が上達も格段に早くなるため「後ろ跳び」をオススメさせていただいております。
授業の中では前跳び・後ろ跳びの両方取り入れるようにしていますが、前跳びは難しいもの。今回、書籍の企画にあたってひとつの案を出して採用されましたが、もともと後ろ跳びは僕が不可思議だと思っていたことです。この本を世に送り出せたことに感謝していますが、もっとなわとびの奥深さを多くの方に知ってほしいので、興味を持ってもらえるようにこれから広めたいですね。
――後ろ跳びのほうが本来は自然なんですね。ちなみにヒジキさん小学生時代の習い事は?
小学4,5年生の頃にKUMONへ通ってました。勉強がそんなに得意でなかったので。算数や国語の読解問題は苦手でしたが、計算や漢字テストは好きでした。それがなわとびとどう結びついているのかは疑問ですが(笑)。僕はシンプルなわかりやすいことが好きなんですね。成功失敗がわかりやすい。だから「なわとび」は僕にとってとても魅力的なんです!
――そうなんですね!ではプロなわとびプレーヤーの第一人者として子どもたちへ伝えたいことは?
好きなことがあったから、今の自分がある。子どもたちには「この人なわとび好きなんだ!」「楽しそう!」と感じてほしい。そして、自分の好きなことってなんだろう?と考えてみてもらえたらうれしいです。なわとびを教えることは、決してなわとび選手になってほしいわけではありません。幼稚園や小学校で何か自分の好きなこと、夢中になれることを見つけてもらえたら、僕のやっている活動も意義があると思います。あきらめずに好きなことを続ければ必ずチャンスは訪れます。
編集後記
――ありがとうございました!メジャースポーツと違ってマイナースポーツを仕事として確立するのは至難の業なのだとか。なわとびのプロスポーツ選手になる!と決めてからの集中力はすさまじい。けれど好きなことを続ける幸せ。それを体現してくださる姿は子どもたちにも伝染しているはず。幸せのお裾分けをありがとうございました!私も好きなことで跳んでみたい。あ、前後のストレッチは必須ですね(笑)。
取材・文/マザール あべみちこ
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