「習い事」は何のためにするのか。どうやって選べばいいのか。子どもの能力を最大限に伸ばす何かと出会えるよう親は願っています。発想力、思考力、表現力を求められる時代、何が最善なのか?を紐解いた一冊「習い事狂騒曲」著者、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまささんにお話を伺いました。
おおたとしまさ
育児・教育ジャーナリスト。1973年東京生まれ。麻布中学・高校卒業。東京外語大学英米語学科中退、上智大学英語学科卒業。リクルートを2005年に独立後、数々の育児し・教育誌の監修・編集・執筆を担当。現在は育児・教育に関する執筆・講演活動を行う。心理カウンセラー、中高の教員免許をもち、私立小学校の教員経験もある。著書に『なぜ、東大生の3人に1人が公文式なのか?』(祥伝社新書)、『ルポ 塾歴社会』(幻冬舎新書)、『中学受験という選択』(日経プレミア新書)、『追いつめる親』(毎日新聞出版)、『習い事狂騒曲』(ポプラ社)など多数。
教育虐待に陥りがちな『追いつめる親』
――このコンテンツのテーマも『子供の習い事』ですので今回興味深く著書を拝読して「なるほど!」と納得した点、「時代は変わったのだ~」と驚いた点、どちらもありました。おおたさんが今回執筆されたきっかけは何でしたか?
2年ほど前に「追いつめる親」というタイトルの本を書きました。教育熱心過ぎる親は高度経済成長期の頃からたくさんいた。教育虐待は今に始まったことではないけれど、昨今のはよりわかりにくくなっているし、どこから虐待と呼ぶのか線引きが難しい。というのは単に学歴がほしいというよりも、オールマイティーな能力を望む傾向があるからです。極端に言うと、昔は学歴さえ得られれば、勉強さえできていればいい…でしたが、それに加えて今は、かけっこも速くなくちゃ、お絵描きも上手じゃなくちゃ、ピアノも弾けなくちゃ…と、子どもに全人格を求めるようになってきた。
――それは大変ですね!(笑)全部こなせたら、その人らしくなくなりそうですが。
学歴がパワーを失っているのは間違いないのですが、学歴が不要なわけでなく、学歴は当然あるもの。その上で学歴以外の付加価値を持たせてあげなくちゃ…という考えです。でもそれが親を追いつめ、子どもを追いつめている。このテーマを深く掘り下げたいと考えていたのが、今回の本を執筆する元になりました。いわば2年前に執筆された「追いつめる親」の発展版です。
――子ども時代に一生懸命に習い事もしてきた人が親となり「自分には何もない」と感じ、成し遂げられなかった夢を子に託す事例に驚きました…。一部の方かもしれませんけれど。
「習い事狂騒曲」というタイトルに込めている思いに表れていますが、本の第4章で「受験エリート」より過酷な「習い事エリート」取り上げています。ここでは、習い事にのめりこみすぎる親へブレーキをかける、警鐘を鳴らすつもりで執筆しました。しかし少なくともこうした層が大多数を占めているわけではなく、ピラミッドにしたら一番テッペンの層です。
――たくさん取材をされてきたおおたさんご自身は、ご家庭でどんな教育方針をお持ちでしょう?
一言でいえば「放任」です(笑)。上は息子でこの春から中3、下は娘で小6になります。体が大きくて足の速い息子はスポーツ好きな特性もあって体育会部活に所属し、私立中高一貫校に通っています。下の娘も中学受験をする準備で忙しいけれどピアノは続けています。家で練習をしない緩いピアノ。でも電子ピアノに20万払いました(笑)。中学受験は本人の希望でしたが、ものすごく頑張るというより無理なく取り組んできた。あれこれ親の価値観を押し付けたくなかったというのはあります。僕自身、自分がこうなりたい!という欲望がない分、子どもにもこうなってほしい!という希望が無いんです。
勉強がよくできるインドア派の幼少期。
――おおたさんご自身はどんな子ども時代を過ごされましたか?
どちらかといえばインドア派でおとなしい子でした。図鑑を見るのが大好きで動物や虫の名前は徹底的に覚えていました。父方の祖父や祖母、叔父や叔母、僕の下に妹と弟もいたので10人以上の大家族。母が気を遣っている雰囲気を子どもながらに察知していたので、自然と自分も気を遣うようになりました。躾もそういう環境で身についたのだと思います。
――おおたさんは中学受験経験者ですが当時の都会ではスタンダードでしたか?
勉強はとてもよくできましたが、中受自体はスタンダードではなかったです。勉強が好きだったか?というと微妙ですが、できないと恥ずかしいという気持ちがあった。学校と違う雰囲気の塾が楽しかった覚えがあります。中学受験を経て第一志望の学校(私立麻布中学)へ入学。「自分よりできる子はたくさんいる」と12歳にしては達観していたので入学後、周囲の優秀さを目のあたりにしても驚きませんでした。中高6年間サッカー部。「キャプテン翼」世代で、地元の公立中学にはサッカー部がなかったので、そのためにはサッカーできる環境を…と受験のモチベーションにつながった。決して強豪ではありませんでしたが。
――子どもの時代に習い事をされた思い出はありますか?
小4から5年生の1年間、スイミングクラブに通いましたが嫌ですぐ辞めました。それとトラウマになっているのは幼稚園入園前後に、英会話教室の体験入学をした時のこと。ネイティブの先生と7~8名同じような仲間がいて、僕トイレに行きたかったのに「英語でなんて言えばいいのだろう?」とわからなくて言えず、その場でお漏らしをして…英語嫌いに(笑)…その後得意になりましたけれど。
――緊張して言えずに…ってエピソード他でも聞いたことがあります!おおたさんは、どのような道へ進むつもりでいらしたのですか?
僕は中学か高校の英語教師になろうと思っていました。でも卒業間近になって「教えられることが何もない」と。もちろん専門分野の英語は教えられます。でも、教科を教えたいわけでなく、生き方を教えたかった。一度社会に出てみないと、そんなことは教えられないと思って、いったん就職してみたのがリクルートという企業でした。社会勉強をするため、正直どこの会社でもよかったのですが、たまたま最初に内定をもらえたので。
習い事は内的能力を伸ばすきっかけ。
――著書では「親のころとは違う!」という第2章で習い事最新事情も解説されています。ユニークな習い事としてプログラミングが紹介されていて驚きました。
実は、この本を手に取った方が必ずおもしろかったと指摘してくださるのが、このプログラミングの習い事です。株式会社LITALICO(以下、リタリコ)が運営するプログラミング教室「LITALICOワンダー」を取材しました。リタリコはもともと障がい者支援を行う企業で、発達障がいや学習障がいを抱える児童への学習支援にITを活用したら効果が大きく、一般の子ども対象にもITを活かした教育プログラムを提供するようになった。プログラマーのプロを養成するのではなく新しい発見をする場。将来仕事に役立つプログラミングの最新技術を教わることではありません。
――プログラミングというとITの側面ばかり取り上げらがちですが、自分の力を発見できると自発的にいろいろ試したくなるのでしょうね。
絵筆でそれが表現できる子もいれば、プログラミングで得られる子もいれば、スポーツで発揮できる子もいる。習い事がどんなものであっても、子どもの内面をどれだけ強くすることができるか、拡張することができるか、豊かにすることができるか、です。習い事で得られるスキルに注目するのではなく、どんなことにも通じる子どもの好奇心や粘り強さ、自信など、秘めたる能力を伸ばすきっかけが習い事なんです。
――その通りですね。おおたさんが今回の著書でたくさんご取材されてきた中でどんな言葉が最も印象に残っていますか?
3名のプロの方にインタビューをしましたが、3名とも「自分の道は勧めない」と言っていたことです。それは本当の厳しさを知っているからこそではないでしょうか。中途半端に挫折をした親だと、自分のリベンジもさせようとして子どもに厳しく指導します。習い事をガシガシさせてもそれほどとやかく言われませんが、それは幼少期から東大目指してガシガシ塾通いさせることと何ら変わりません。「勉強は悪で、スポーツは良い」という構図になりがちですが、ガシガシやり過ぎはどちらも教育虐待になります。
――では最後に、おおたさんから習い事で困っている親子にメッセージをお願いします。
表彰されたり記録を出したりすることだけに価値があるわけでなく、習い事によって子どもの内的変化がいかにあるか?です。親が自分の生きてきた道しか知らずに、自分の価値観で子どもを呪縛してはいけないと思う。子どもがチヤホヤされることが人生の成功だとしたら、それは親のエゴでしかない。子どもたちに声をかけるなら「あせるな」と一言だけ伝えたい。幸せになる方法はいくらでもあります。そもそも幸せって掴むのではなく、感じることなのですから。
編集後記
――ありがとうございました!著書を読んで多くの発見がありましたが、取材時もおおたさんから発せられる一つひとつの言葉に深く共感。今は特に習い事は選択肢がたくさんあって、情報過多な時代。大切にしたいことは何か?を今一度振り返ることはとても大切。そのための指南書になる一冊です。子育て成功者を名乗りたいのは、結局親のエゴでしかないですもんね。機会を改めて、多くの方におおたさんのお話聞いてほしいな!と思いました。
取材・文/マザール あべみちこ
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