【シリーズ・この人に聞く!第183回】ミュージシャン/タレント グローバーさん

kodonara

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J-WAVEでこの方の声を聴かない日は寂しい。時事ネタを扱うニュース番組から、音楽家の歴史を紐解くエンタメ番組のMCまで、どんな話題もユーモラスに豊かな表現と軽妙なトークで場を盛り上げるグローバーさん。東大中退後に復学し卒業というユニークな経歴で本業はミュージシャン。これまでの道のり、そしてコロナ禍の約一年。子育て真っ最中の今、前向きになれる思考力をお聞きしました。

グローバー

ミュージシャン/タレント
神奈川県横浜市出身。桐蔭学園・東京大学文学部美術史学卒業。ミュージシャンとしての活動を主に、ラジオパーソナリティ、テレビなどでも活躍。"名画×名曲"をテーマに立ち上げた全く新しい美術鑑賞YouTubeチャンネル【日めくり3分間名画】では、出演、企画、プロデュースを務める。
文化芸術を幅広く盛り上げるため、日々奔走中。

 日めくり3分間名画 - YouTube
m.youtube.com  
 グローバー オフィシャルサイト
www.harmonypromotion.co.jp  

世界中の歴史や文化が詰まった絵を観るのが好き。

――今日はグローバーさんの小さな頃のお話から、現在のお仕事まで「なぜそうなのか?」を詳しくお聞きします。私はJ-WAVEのリスナーとしてグローバーさんのMCはキレが良くて学ぶ姿勢が多いです。意識されている情報の捉え方があれば教えてください。

小学校に上がる前の春休み。家族旅行をした時の一枚。

小学校に上がる前の春休み。家族旅行をした時の一枚。

ニュース番組では毎回取り上げるテーマがあって、大きなストーリーを把握するようにしています。番組に出演される方の書籍を読んだり、話を聞いたり。そこから先は、誰かがまとめてる一冊がありますので、それを読んでみたり。日本の人が書いているものは日本の価値観から見たストーリーなので、
他の視点も知りたくて海外の方の本を読むことが多いです。僕は大学では美術史学科でしたので、歴史のある絵を観るのが好きなんです。日本の絵も海外の絵も、何百年何千年も残っているものは、根っこがその国の神話とか偉人になぞらえていることが多くて、そういうものを読んで好きになりました。聖書を読むとイエス様は良いこと言ってるなぁ。論語を読めば孔子は良い先生だなぁ。日本だと北斎の絵に出てくる当時の日本の物語、百人一首や和歌を読んでいくと素敵だなぁと。イスラム絵画も好きなのでコーランを読んだり。

――え?コーランも読まれたりするんですか?とても難しそうですが。

研究者の方が、わかりやすく翻訳してくれているものがあるんです。文化圏の価値観や、生き方の鏡にしているような古典があります。フランス文学だと、サンテ・グ・ジュペリの「星の王子様」とか。さまざまな文化圏の中でずっと読み継がれているものは、その国の人がだいじにしているもの、美しいものが詰まっています。そういうのを読むのが好きですね。そうすると、その国で起きているニュースや揉め事とか、日本でもそうですがいろいろあるにしても、根本にあるものがちょっと違うけれど似ていたり。すごく似ているけれどちょっと違っていたり。文化の良いとか悪いは、無いんじゃないかなぁ。宗教と宗教が喧嘩するのはやめておきなと思いますが、イエス・キリストは良いこと言ってますし、コーランも素晴らしいですし、孔子もすごいこと言っているし。インドにしても、カースト制や身分制度など直していったほうがいい点はあるにせよ、尊敬すべき先生がいっぱいいます。

――世界各国の文学やアートから文化や宗教観の違いを知ろうとするのはおもしろいですね。子どもの頃に好きなことは、やはり絵でしたか?

子どもの頃、漫画か音楽の道に進みたかった。漫画は最初、キン肉マンを好きになって、鳥山明先生に憧れていました。アラレちゃん、ドラゴンボール。鳥山先生が子どもたちが自分で漫画を描けるように一冊にした「ヘタッピマンガ研究所」という漫画の描き方指南書がありました。その本の通り、お小遣いでケント紙を買って、パイロットインクとスケッチブックと、本に書かれた道具を揃え、自分で漫画連載を描き始めたタイトルは「ドラゴンボーイ」。3話で終了しましたけれど(笑)。漫画家の先生は憧れていますし尊敬します。ストーリーもそうですが、一枚の美しい絵を描けるってすごいことです。子どもですから漫画も1巻から順番に買うわけでなく、背表紙の絵がかっこいいからという理由で8巻から買ったりして。ゲームにしても同じで、ドラゴンクエストのゲームを買っても、ゲームそのものよりパッケージに描かれた絵をず~っと見ている時間の方が長い子でした。その頃の気持ちと、今も変わっていないんです。

――好きなものが明確でしたね。コロナ禍となって一年経ちますが、お子さんを育てながら感じるのはどんなことですか?

子どもに教えてもらうことは多々あります。新型コロナウィルスによって世の中がガラッと変わって、前はこうだった…というのがあって悩んだり、お花見できたのにね、と肩を落としたり。子どもは「前はこうだった」という概念が無い。一つひとつのことが刺激的で、キラキラしていて楽しい。今、新しい時代への転換期ですが、今まではこうだったというのはあまりいい思考ではないと思います。今この時、先に生きているものとして、子どもたちのために1%でも明るい世の中を作りたい。日々キラキラして、笑顔を振りまいて生活している姿を見せていきたいですね。

幸せでいることが一番の治療、HappyTherapyという考え方。

――お父様がインド人、お母様は日本人のご家庭でしたが、子どもの頃はどんな習い事を?

4歳違いの兄と同じ私立小学校へ通った。

4歳違いの兄と同じ私立小学校へ通った。

「やりたいことをやりなさい」という両親でした。インドは教育を大切にする国です。母も自宅で英語を教えていて、教育を子どもにしっかり付ける考えはありました。一方でお小遣いで漫画を買って、読みたい時に読む環境はありました。小学2年生の頃、音楽が好きでドラムを習いたいと探し、市内のヤマハにドラム教室見つけてお兄さんお姉さんに混じって通いました。好きなことはどんどんやらせてくれる両親で、ダメと言われたことはあまりないです。

――ドラムに魅了される小学2年生も珍しいと思いますが、音楽がお好きなのはその頃からで。お勉強も得意でしたか?

受験して桐蔭学園小学校から入学。4歳上の兄がそこに通っていたから…という流れでしたが。お受験塾というのに夏の間だけ通いまして、○○会というゴリゴリのお受験塾でサングラスを掛けた小柄なおばさんが竹刀を持って待っていて、答えを間違えると連帯責任で端からビンタをされました(笑)。今なら大問題ですけれど。竹刀で脅かされる体験がトラウマとなり、塾には行きたくなくて、勉強はなるべく学校で済ませようと子ども心に植え付けられました(笑)。竹刀のおかげで小中高と学校の勉強はよくできました。

――今なら考えられない塾ですが。グローバーさんの身近なロールモデルはお父様ですか?

父は仕事で出張や海外へ単身赴任など不在がちで、父と話すようになったのは学校を出て大人になってからでした。お説教はしないタイプで、父の家は医者の家系で周りは皆ドクター。父だけは医者にはならず日本に来たので、ちょっと変わっていました(笑)。父の家の壁にはHappy Therapyと書いてあるんだよ、とよく話してくれました。つまり「幸せでいることが一番の治療である」と。そういう考え方は僕の根底にもあると思いますね。

――コロナ禍となった今、特に沁みる言葉です。近所にもインド人のご家族がたくさん住んでいますがマスクをしてても皆一日楽しそうに過ごしています。

どうしたって鬱々としたり胸かきむしりたくなることがあるし、僕もこれまで山ほどありました。その都度経験してきて思うのは、大体全部コインの表裏になっている。良いことの裏には良くないこともくっついているし逆も然りです。最初はそれがよくわからなくて、すごい良い時なのになんでこんなことがあるのか?と、いちいち傷ついたりして陰陰滅滅していました。今は良くないことがあっても、その裏には良いことがあるとわかっているから、そのままありのままを受けとめています。

仕事と育児と勉強…パパになって復学し卒業。

――グローバーさんは東大中退後、復学なさってご卒業されています。これはどんな経緯があったのでしょうか?

絵と音楽が大好きな子ども時代。左端がグローバーさん。

絵と音楽が大好きな子ども時代。左端がグローバーさん。

幼児塾の竹刀おばさんに始まり、勉強は順調でバンドをやりながらも成績はよくて、東大文学部に合格。親への義理は果たした気持ちになってしまったんです。これからは好きなことをやろうとタガが外れて大学入ってから、半分家出のような形で実家に帰らず、そのまま自分で家を勝手に借りて暮らし始めました。バンドを始めて応援してもらい、お客さんも入って、CD作ってちょっと売れたり。思わぬ華やかな方向へ自分の活動が進みました。子どもの頃からラジオ大好きで、ラジオで話す夢も叶ったり。絵を観るのは好きだけど、美術のお勉強はもういいかな。音楽とラジオが今やりたいし……となって、学校へは行かなくなりました。それで順調に留年。それもリミットがあり8年生まで。東大は教養課程4年、専門課程4年。教養課程はなんとか3年で行けましたが、専門課程が4年目になった時、教授から「このままいくと除籍になる。今は勉学の意欲がないのであろう」と。その連絡が母にもされ、泡食った母は僕の所にきて涙ながらに「学校だけは卒業しなさい」と。当時の僕は音楽だけやりたい!という気持ちしかなく。その時の記憶はあまりないんですが、母曰く「オレの音楽は遊びではない!」と僕が言ったそうです。母としては、好きな音楽をやるのも良いけれど、今は学生だから学業ちゃんと終えて卒業してからやりなさいと。で、教授のところに行って「学校辞めます」と伝えたら、「音楽とかラジオDJとか、キミが一生懸命にやっているのはわかった。でもほったらかしにしていると除籍にしかならないから、自主中退をして勉学の意欲が戻ったらまた復学しなさい」と助言してくれました。運が良かった。めちゃくちゃなことをしても、いつも誰かが引き上げてくれる。ずっとそんな人生です。

――自分が選択した道を真剣に歩もうとする若者に、教授も手を差し伸べてくださったのですね。音楽の道に進まれて、復学のきっかけは何でしたか?

大学を辞める時は、復学できることをありがたいなんて思わずにいました。音楽で行くぞと思っていましたから。でも段々時間が経ち、年齢を重ねアップダウンもあり、バンドのメンバーも入れ替わって、世の中がモノクロに見える時がありました。街で見かけてくれた友達も、グローバーの空気が暗すぎて声掛けられなかった…と後で言われて。そういう時に出会ったのが妻でした。真っ暗な中に蝋燭(ろうそく)を一本灯してもらったような。真っ暗な中から少しずつ周りの人の顔や状況が見えるようになってきました。結婚をすることになって、結婚式のVTRを作るため、実家のアルバムをみにいった時のこと。高校生くらいまではあっても、だんだん写真がなくなり、その中で家出後の写真を見つけました。何も持たずに家を出たので、玄関に揃えて置いた靴とか、空っぽになった部屋の学習机とか。そういう主なきモノの写真が数枚あって、なんだか切なくなってしまった。こんな気持ちにさせて、親不孝したなと感じました。結婚するとき妻のご両親に挨拶しに行った時も「どうして東大中退を?」と聞かれました。音楽で頑張って活動して稼ぎますと言いつつ、大学に復学して卒業することとに賛同をもらって、かつての教授に会いにいきました。

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