学校生活で子どもや教師が出遭うさまざまなリスクについて調査研究、啓発活動を行う。著書「教育という病」は運動会で披露される巨大化した組み体操をはじめ、「子どものため」を掲げ美談に潜む問題点を指摘する。今、教育現場で何が起こっているのか?事故件数など細かな裏付けデータをもとに理論的に語る内田先生にお聞きしてみました。
内田 良(うちだ りょう)
名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。博士(教育学)。専門は教育社会学。学校生活で子どもや教師が出遭うさまざまなリスクについて調査研究ならびに啓発活動を行っている。これまで、柔道事故、組体操事故、2分の1成人式、部活動顧問の負担など、多くの問題の火付け役として、情報を発信してきた。ウェブサイト「学校リスク研究所」「部活動リスク研究所」を主宰。細心の記事を、Yahoo!ニュース「リスク・リポート」に発表している。Twitterアカウントは、@RyoUchida_RIRIS。主な著作に『柔道事故』(河出書房新社)、『「児童虐待」へのまなざし』(世界思想社、日本教育社会学会奨励賞受賞)などがある。
子どもと先生を苦しめる「教育リスク」
――TwitterやFaceBookで巨大組み体操のピラミッド動画を閲覧しました。今ってこんな曲芸を素人の子どもと先生にさせるものなんだとビックリして、内田先生の本を読んでみて『なるほど!』と腑に落ちたことがいくつもありました。教育現場で何が起こっているのでしょうか?
僕がもっともこの本で強調したかったことは、本の副題~子どもと先生を苦しめる「教育リスク」~という言葉にあらわれています。本の内容を、よくありがちな学校批判にしたくありませんでした。子どもだけでなく、先生もある意味で被害者です。学校と市民が一緒になって苦しい現状をうみだしている。もし教師が悪いだけで済むなら副題は~先生のバカヤロー!~で済みますが(笑)、そうではなく市民も責任を背負うべき、というニュアンスも伝えたかったのです。
――この本には運動会の巨大化した組み体操のリスクをはじめ、学校生活における数々のリスクを問題提議されています。そもそも組み体操を研究するきっかけが昨春あったそうですが、どんなことですか?
僕は学校生活における問題や事故について研究調査をしています。組み体操については以前から多くの方に取り組んでほしいという声をもらっていましたが、「たいしたことはないだろう」と思っていたんです。ところが、2014年5月。たまたまツイッターで組み体操のことを言う人がいて、とにかく動画を見てほしいと。10段の人間ピラミッドを見た時の、今まで自分が想像していたこととの落差は衝撃的でした。
――うちの息子が小学生だった頃は、学年みんなでソーラン節を踊るのが恒例で圧巻でした。組み体操ではなかったなぁ~と。
組み体操は、ここ10年くらいで特に小学校を中心に全国的に流行り、今の親世代は経験していない組み方をしています。7段の立体ピラミッドは、小中高問わず、基本形と言ってよいです。さらにそれが中学校や高校ではエスカレートして10段、11段と高層化しています。この問題を意識したのは、市民の方からの声です。1年半前の当時は、世の中の声は「組み体操は素晴らしい」と賞賛する人が大多数でした。教育委員会や文科省の姿勢は一貫して、『注意喚起をしている。学習指導要領に載っていない。各学校に一任している』。運動会の一種目は、国や県などの自治体は基本的に介入しません。2015年9月、組み体操を危険とみなし規制をかけた大阪市のような自治体はごくわずかしかありません。
――組み体操を規制しようとする、学校の先生の反応はどのようなものですか?
学校側の反発はすごかったです。スポーツは怪我がつきものという意見が多かったです。でも「つきもの論」を言い始めると、思考停止状態になります。相当僕に対するバッシングもありました。この1年半の間に事故のデータを元に、何が危険で、どんな改善ができるかを伝えてきたわけですが、少しずつ世論は変わってきています。組み体操に取り組むねらいは、「感動」や「一体感」を掲げる学校が多い。それはあるとしても代償があまりにも大きすぎる。「感動」や「一体感」を得られるなら、もっとリスクの少ない種目に変えていきましょう、と提案しています。さらにいうと、SNSでは、組み体操がいかに苦しいものだったか、多くの若い世代の人たちが声をあげています。もちろん組み体操を肯定する経験者もたくさんいるのですが、他方で組み体操に嫌な思い出しかない経験者も少なからずいるということは、そもそも先生が主張している「感動」や「一体感」は幻想ではないか?と僕は感じています。
世の中の苦しんでいる人に関心をもつ
――先日はNHKの深夜番組『NEWS WAVE』にもご出演されて、生放送中にツイッターと連動して視聴者からのコメントも入るような仕掛けがあったそうですが、どんな反応でしたか?
僕の出演と同時にツイートがどんどん入って、そのほとんどは組み体操批判でした。投稿者自身が体験者という方もいて「ほんまにひどかった」というような。土台は、てっぺんの子より人数も多いので当然声も大きくなるわけですが、膝に砂がめり込んで痛い…というような声です。
一体感とか、感動はフィクションで、先生たちも騙されている。「組み体操に対して先生たちが感動や一体感という幻想を抱いている」と理解した方が正しいです。
――感動幻想という概念は、組み体操以外にも当てはまりそうです。内田先生はそもそもこうした教育現場で生じる問題を研究・調査されていますが、なにがきっかけでこのフィールドを専門に選ばれたのですか?
そもそも世の中で苦しんでいる人の声を感知したいというのがあります。個人的には何の経験もありません。僕が最初にこうした問題に取り組んでいることを知られるようになったのは柔道の死亡事故です。善きもの、正しいと言われている背景に、苦しんで声にならない人がいます。つまり、みんながYESという中で、必ず言語化できない人がいるのです。集団的価値観によって、そうした苦しみをかき消しているのだとしたら、それは問題でしょう。
――ご著書では、2分の1成人式についても家族幻想をもとに虐待無視でされていると指摘されています。実はこの行事も、先の巨大ピラミッド化する組み体操と同じ問題が根本にあるのかな…と思い読み進めました。つまり「善きもの幻想」にがんじがらめにされていて、異論を許さないというか…。
学校的価値観には9割の保護者が賛同して、残り1割は別の捉え方をしています。僕はこの仕事でデータをベースとした分析・解説をしていますが、根底には「集団的縛りの強さが過ぎるのではないか?」という思いがあります。日本的な教育観を変えるべきなのでしょうが、それを前面に出すとただの価値観の対立となってしまう。問題を改善するには価値観を闘わせるよりも、可能な限り、エビデンスをもとに話し合っていくべきです。エビデンスがあると反論が難しくなるものです。
しかし2分の1成人式はエビデンスをもとに議論するのが難しい。家族の問題は見えにくい。家庭環境に踏み込まなくても10歳の節目を祝ってやれます。できるだけ客観的に問題を見つめています。集団的価値観が個別の子どもの苦しみをかき消していくとしたら、数字がなければ一人ひとりの声を聞いてゆくまでです。
――この1年半で運動会の「組み体操」が善きものとされてきた意識が段々変わり、世論も学校も変化してきたと思われますか?
組み体操の問題を私が世に問うたのが1年半前ですから、あのときを思えば、世論は確実に変化しました。しかし、巨大ピラミッドの事故は、未だに続いています。でも、1年半の間に、みんなの感動の呪縛が解けてきました。「教育」とは、子どもの成長を前向きに考えていく営みです。それゆえ、なかなかネガティブな側面が見えにくい。でも、たとえ少数であっても子どもの苦しむ声が聞こえるなら、まずはその声に耳を傾ける必要があります。にもかかわらず、教育のポジティブな側面だけを見て、少数の声を聞こえなかったことにすること自体が問題です。
選択肢を阻む「善きもの幻想」
――組み体操や、2分の1成人式いずれも少し視点を変えて違うものを展開するのもアリでは?例年通りに開催し続けているのは、ひとえに教師の多忙が理由なのでしょうか?
組み体操も2分の1成人式も、その主犯は教師、共犯は保護者。そして被害者を直接受けるのは、子ども。どちらもこの10年くらいで流行り出した新しい行事で、それまではやっていなかったわけです。プログラムを考え決定するのは教師の役目で、実際に毎年新しい要素を取り入れながら、話題を呼ぶようになってきました。にもかかわらず、批判が出てくると、「代替案がない」「時間がない」という言い訳で逃げるのは、ずるいと思います。結局教師が「善きもの」にこだわっているから、選択肢を増やせない。そして、「善きもの」を観客として盛り上げているのは保護者です。「善きもの」は善きがゆえに歯止めがかからず暴走しやすいのです。
――組み体操に特化していえば、やはり危険を冒してまで感動を追求する意味がわからないなぁ~と。リスクの少ないものに変えると感動が薄まる…という感覚でしょうか?
「感動」「一体感」こそ教育として重要であるなら、けっして高さや大きさを求める必要はないのです。1段や2段の組み体操でも一致団結したダイナミックな演技は可能。ソーラン節をみんなで踊ることでも一体感は十分に得られます。組み体操ありきではなく、さまざまなデータをもとに現実を直視した議論が必要で、「感動」の呪縛から解き放たれることです。
――組み体操や2分の1成人式の2つに絞って言えば小学校でのイベント。これから小学校の教師はどんなスキルが必要だと思いますか?
教師にとって最大の仕事は、学級をまとめあげることです。いかに自分の子どもとして仕立て上げるか?集団作りが最優先されます。大学卒業してすぐ教師になれば22,3歳の頃からずっと定年まで毎年30名、40名の部下をまとめる仕事。組み体操も2分の1成人式も、まさにそうした教師の仕事を象徴するものです。でも、ときにはそういう立場から少し距離を置いて、一人ひとりの声を拾うこと。苦しみをもつ子の声をかき消さず、敏感であってほしいです。
――教師だけでなく保護者と私たち市民の意識や視点を変えていかないと、この国で育つ子どもたちが苦しむことになりますね。
僕は先生自体を直接に変えようとは、ほとんど思っていなくて、むしろ学校を取り巻く外側にいる人、マスコミを始め保護者や、こうした問題に関心をもつ人たちを巻き込むことが大事だと思っています。学校や学級は閉じた世界ですが、もっと風通しをよくしていくべきでしょう。自分の教育観をいったん置いて、子どもが苦しいと言っている時にはそこに耳を傾けてほしい。組み体操でいえば「痛くてしんどい」と子どもが言ったとしたら「がんばれ。お前がいなかったら成り立たないじゃないか」というような声掛けをしてしまうものです。そうではなく、教師も保護者も、苦しむ子どもの声をだいじにしてほしい。次世代の教育のヒントはそこにあるのだと思います。
編集後記
――ありがとうございました!教育とは、そもそもどういうことでしたっけ?と問いかけたくなること。学校現場では当然のように常態化しているおかしなことが他にもたくさんありそうです。感情論ではなく冷静にデータをもとに分析しながら、苦しんでいる子どもや教員の声を掬いあげて調査研究を重ねる内田先生。SNSというwebツールも追い風となって、少数派の声もちゃんと届く時代になりました。親である私たち一般市民が意識を変えることも大切…と沈着冷静に伝える若き金髪先生、これからも応援しています!
取材・文/マザール あべみちこ
活動インフォメーション
最終更新: