【シリーズ・この人に聞く!第23回】哲学者・ジャズピアニスト 土屋賢二さん

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哲学といえば、額にシワを寄せて難しそうなイメージがありますが、抱腹絶倒ユニークな捉え方をされる土屋先生の手に掛かれば、涙がでるほど笑える哲学!人生をさまざまな角度から見つめ直すことができます。週刊文春の連載コラム「ツチヤの口車」で書かれる破天荒なエピソードの数々に笑いがとまりません。哲学者でありながら、ジャズピアニストでもある多才さ。常に探求心を失わない土屋先生に、幼児時代のことから今の子どもたちに対する思いをお聞きしてみました。

土屋 賢二 (つちや けんじ)

1944年岡山県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。現在、お茶の水女子大学教授(哲学)。著書に「われ笑う、ゆえにわれあり」「棚から哲学」「簡単に断れない。」「ツチヤの口車」(文芸春秋)、「ツチヤ学部長の弁明」(講談社)、「ツチヤ教授の哲学講義」(岩波書店)など多数。
すでに10歳にして忍者を目指し、12歳の若さで早くも挫折。以来、大学に入るまで、フルート、トランペット、木琴、早起き、皆勤、性格改善に挫折。
大学に入ると、麻雀のかたわら、映画鑑賞、新聞購読、二足歩行、養分摂取、物品購入、無断欠席、テニス部退部、運動不足などに忙しい毎日を送り、人間形成の基礎を築いたが、理解者が現れず、ずっと人間関係に苦しみ続けている。
苦し紛れに雑文を書き始めたが、文章の基礎はまだ築いていない。文章の理解者も現れていない。
(書籍より抜粋)

 土屋賢二の公式ホームページ
www008.upp.so-net.ne.jp  

家事育児をする父、お琴の師匠の母がいる家庭環境

――先生の本やコラムは電車の中で読むと笑いが止まらず大変です。人とは違うユニークな物事の捉え方ができるのは、子どもの頃から相当おもしろかったのではと思いますが……(笑)

ひょうきんな子でしたね。小学4年生頃がクラスの人気投票で一番で、人生の華でした(笑)。給食の時、僕が好きなマーガリンがでると、たくさんの女の子がこぞって「土屋くんにあげる」とくれました。昼休みの時間に、毎日先生に指名されて創作童話(作り話)を発表していました。準備をして臨めばいいのですが、準備が嫌いで、いつも出たとこ勝負。その場で作りながら話していました。文章を書くのは苦手で大嫌いでしたけど。

――ご家庭で親御さんの影響を受けられたのでしょうか?

父は商売をしておりまして、母は琴を教えていて、父母共に小学校しか出ていない苦労人でした。母は家事を一切しない人で、すべて父が掃除、洗濯、料理、風呂、子育てを仕切ってやっていました。なおかつ仕事もして働き者でした。母は結婚する時、「私は家事が一切できません」と告げていたそうなので。好きな映画を見に行っている母に、父は弁当作って届けたり、お琴のお弟子さんの下駄を数えてご飯の支度をしたり、炊きたてのご飯しか食べない母には炊きたてを食べさせて、父と僕ら子どもは冷や飯を食べてました。おかずだって、まず母が一番いいところを取り、残りを皆が食べる…という感じで。

――すごく先進的な家族と申しましょうか。その頃昭和20~30年代は、まだ女性の自立なんて社会が認めていなかったのではありませんか。

幼稚園に上がる前くらいの頃。幼稚園に早く行きたいと言っていたが、実際に行ったら1日で辞めてしまった。

幼稚園に上がる前くらいの頃。幼稚園に早く行きたいと言っていたが、実際に行ったら1日で辞めてしまった。

自立とはちょっと違うんですけどね(笑)、たんに何もしなかった。母が入院して病院食はまずいからイヤだと言えば、父が三食とも弁当を作って持って行ったり、ちらし寿司が食べたいと言えば、今みたいにレトルトがありませんから、朝早く魚を買ってきて、酢飯を作り、しいたけ、竹の子、れんこんなどに味をいちいち変えて煮込む、など手をかけていました。本当に世話好きでマメでした。そういう父とは対照的に、母は何もせず、朝は起こされるまで寝ていたし、子どもとしてふるまっていました。箏の腕前はありましたが、箏以外はまるで子どもでした。

――そういうお父様がいらしたご家庭は多かったと思いますが、お母様がそういうタイプでいらしたご家庭は無かったのではありませんか?

そうですね。ですから僕は母に育ててもらった覚えがないんですよ(笑)。一言もああしろ、こうしろなんてことは言われなかったですし。成績が良くても悪くても無関心だったですね。父は逆に色々言いましたし怖かったです。よく怒られていましたから。何しろどんなことで怒られるかわからないんです。例えば、僕が弟と将棋をしているのを笑って見ていたと思ったら、次の瞬間「そんなくだらんことすぐやめろ!」と引っぱたかれたりしていましたから。理解不能です。そういうおかげで、僕は落ち着きのない子になってしまった(笑)。

官僚コースを自ら退き、哲学の道へ

――ご両親のユニークさが、先生のキャラクターに大きく影響を受けられたわけですね。

研究室には、さくらももこさんの色紙が飾られていた。女子学生には、このお宝はちょっとしたご自慢

研究室には、さくらももこさんの色紙が飾られていた。女子学生には、このお宝はちょっとしたご自慢

対人関係においてはそうかもしれません。僕は誰かが威張っているような組織が苦手。その威張っている権威者に近づいて、ちょっとずつ風穴を開けるようにしていました。ちょっとでも間違うと怒りを買いますから、顔色を見ながらやる必要がありますけど、顔色をうかがうのは子どものころから慣れていました。そうやって上の人も次第に権威をふりかざせない雰囲気を作っていこうとしてますね。でもときどきは失敗して怒りを買うこともありますけど(笑)。それとね、ぼくの家の中では人がやっているとか、社会通念がどうなっていようが、全然関係なかった。つまらないことするな!ってね。だから他人やしきたりのせいにすることは許されなかった。何でも自分の責任でやらなきゃいけなかったんです。それが人格形成に大きかったと思います。

――ご家庭の教育方針はいかがでしたか?

実質的な考え方をしていました。勉強したくないなら中学卒業して大阪へ丁稚に出すと言われていました。でも学力テストをしてみたら結構成績がいいことがわかって、なら大学まで行けと。官僚になってほしかったらしいですね。僕は東大文科Ⅰ類へ合格、法学部へ進む官僚コースで一生を約束されたようなものですが、2年生の時に哲学科へ移りました。ものすごく反対されましたけれどね。「世間的にいいと言っても、どうしてそれが自分にとっていいと言えるか」なんて言い返して。いま思うと、父親の教育の結果でしたね。それに、その頃は、親が反対すればするほど自分が正しいと思い込む年頃でしたから、意志は変わりませんでした。

――哲学科へ進まれてからは猛勉強の日々でした?

ええ。でも勉強したいとは思っていましたが、教師になるつもりはなかったですね。そうしているうちに東大紛争が起こり、授業も開かれないまま。それで宅建の資格を取って、3ヵ月ほどでしたが不動産屋になったんですね。労働時間が少なくてすむかと思って。やがて紛争も終わり、また学校に戻ってこいと教授に言われて戻りましたが、僕はサラリーマンになれないなぁと思いましたね。自分の時間を売っている感じがして。自由がほしかった。

――哲学の魅力というのは、どういう点にありましたか?

僕はこれまで明るく軽薄に生きてきたので、哲学的な考えが性格的に合わなかった。ドストエフスキーを読んで「すべての価値観を疑え」と思うようになりましたし、世間的価値観にのっかって人生を送ったら人生の重要なことを見落としてしまうと思った。それで、哲学書を開いてみたら、全然理解できなかった。最初にドイツ人哲学者のハイデガーの研究を10年かけて探求しましたが、求めていた答えとは違うことに気づきました。次に古代ギリシャ語から勉強して、アリストテレスの研究をしまして。とても難しかったのですが、それで15年掛けて何となくわかった気がしました。自分の思ってもいないような解決の仕方をアリストテレスはしていて、それがわかった時はうれしかったですね。

欠点や失敗も全部含めて自分のことを受け入れる

――ところで先生は小さな頃、何になるのが夢でした?

とても難解な書籍が本棚にびっしりと並ぶ。これが先生のユニークさの血となり肉となっているのでしょう

とても難解な書籍が本棚にびっしりと並ぶ。これが先生のユニークさの血となり肉となっているのでしょう

たくさんありました。忍者になろうと本気で思って訓練しましたし、次に演歌歌手、相撲取りと変化していきました。教師とか、哲学者になりたいというのもなかった。哲学の問題を解きたいという思いはありましたが、労働時間の少ない仕事をして哲学を勉強したかった。哲学の他には、ジャズを始めて、最初はギターをやっていました。何か目標をたててそれを達成したいとか、何かになりたいとか、そういう気持ちがないんですね。哲学でも音楽でも課題は常にあるので、毎日追い求めているだけ。年を取っても悠々自適とかは考えられません。だいたい仕事と遊びの区別がないんです。自分が嫌いなことをやるのがとてもイヤ。そうするくらいなら何も食べないで貧乏していたほうがいい(笑)。ワガママなんですね。

――お琴の師匠さんだったお母様の血筋が(笑)。でも、それを貫けるのも才能ですよね。子ども時代に習い事は何かされていらっしゃいましたか?

そろばんも1日で辞め、習字も1日で辞め、絵も1日で辞め……何一つ長続きしませんでした(笑)。幼稚園も一日で辞めたし。大人になってからドイツ語学校に通うため3ヵ月分支払いましたが、やはり1日で辞めてしまいました……。

――(笑)。先生はお茶の水女子大の先生でいらっしゃいますが、優秀な女子たちへはどんなことを教えていらっしゃるのでしょう。

とにかく人の考えを鵜呑みにするな、ということです。どんな大哲学者であったとしても、それはその人が考えたことであって、自分の頭で検討してほしいということは常に言っています。そのためには、教師というのは尊敬されない存在でありたいと思っています。尊敬されたら鵜呑みにされちゃう恐れがありますから。

――先生がお客様に頂いた手土産も、先生が知らぬ間に研究室の学生さんで山分けされていたり……なんて具体例ですか?

そうです。それ、僕の日夜努力の賜物です。尊敬されていないからこそ、できる行動でしょう。ま、それはさておき、今の学生は学校で教えられたことをそのままマスターすることはできますが、教わった通りにできるというだけでは、哲学はできません。自分の頭で考えて答えを生み出してほしいですね。

――今の子どもたちに思うこと。その子どもを育てる親へのメッセージをお願いします。

昔に比べてこざかしい子が多い気がします。昔はぼんやりした子や欠点丸出しの愛嬌のある子が多かったと思いますが。人間は皆不完全なもの。失敗も欠点もあって努力していることを見せてほしい。欠点を隠したり、見なくしたりするのではなく、欠点を含めてその人なんだ、あるいは自分自身なんだと。それは愛すべきものなんだと教えるべきです。いじめは人を受容できないからうまれるのですから。

編集後記

――ありがとうございました。とにかく愉快な先生。変わらぬテンションで淡々とお話しなさいますが、文章と同様「それって本当ですか?」といちいち突っ込みをいれたくなるエピソードに笑いっぱなしでした。先生はとても探究心旺盛で、ジャズピアノも月に一度はライブでお披露目されるほどの腕前。ふわっと軽く見えますが、これも「尊敬されない存在」の演出なのでしょうか?? 最新刊「妻と罰」(文芸春秋)も絶賛発売中です!笑いすぎにご注意を。

取材・文/マザール あべみちこ

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「妻と罰」土屋賢二 (著) 文芸春秋 1,450円
我が家には、逆らうと吠えたり、噛み付いたり、「罰」を与える猛妻がいます。よく転び、身体も気も弱く、常に危険と隣り合 わせなツチヤ教授の日々の生活を綴ったエッセイ。
『週刊文春』の連載「ツチヤの口車」を単行本化。 

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