【シリーズ・この人に聞く!第66回】「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を主宰する、心理学者であり哲学者 西條剛央さん

kodonara

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3.11に東日本大震災が起きてから、被災地ではさまざまなNPO、NGOが独自にボランティア活動を行っています。今回ご紹介する西條剛央さんはそうした既成のシステムではなく「プロジェクト」としてスタートし、誰でも参加・支援できる新しい仕組みを構築されて活動されています。このプロジェクトを通じて支援したい人と支援されたい人がたくさん出会っています。本業は早稲田大学大学院で心理学や哲学を専門とする研究者。そのエネルギーはどこから湧いてくるのか?西條さんへお聞きしました。

西條 剛央(さいじょう たけお)

早稲田大学大学院(MBA)専任講師。専門は心理学や(科学)哲学。「構造構成主義」というメタ理論を体系化。実家が仙台なので犠牲になった人たちのためにも今の自分にできることをしたいと思っています。
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やれることはすべてやる!と始めた支援プロジェクト

――この支援プロジェクトは4月2日に立ちあがったということですが、何がきっかけでスタートされたのでしょう。3.11震災時はどうされていたかもお聞かせいただけますか。

「自分に今できることは全部しようと心に決めて支援活動を始めた」さまざまな出会いもあり、活動に賛同する人は日々増加中。

「自分に今できることは全部しようと心に決めて支援活動を始めた」さまざまな出会いもあり、活動に賛同する人は日々増加中。

震災のあった日、首を痛めていてちょうど都内の治療院にいました。東北は震度7と聞いて、実家が仙台にあるものですから助けにいかねば…と思ったのですが、夕方になって家族の無事を確認できたので、結局東京に留まりました。その後は、ライフラインもガソリンもない実家に行っても東京の家族を心配させるだけなので、現地に行きたい気持ちを抑えつつ、忸怩たる思いで過ごしましたね。

――ご親族が被災されて心穏やかでいられなかったと思いますが、ものすごいスピードとエネルギーでプロジェクトを立ち上げられたようですね。そのあたりの経緯を教えてください。

3月末あたりに実家で「明日ガソリンが入る」ということだったので、このタイミングならと、行くことにしました。実家に行ったのが3月31日、南三陸町に入ったのが4月1日です。
被災地は想像を遥かに超える酷い状態で、食糧も賞味期限切れのおにぎりしか届いていないとか、マイナーな避難所には物資が行き渡っていなかったんです。これは早く何とかしなければと思い、Twitterで「南三陸町レポート」を書き続け、翌日の4月2日には「ふんばろう」のHPを立ち上げました。

――たちまち賛同者や参加者が集まり、現在もなお協力者が増加中です。なぜこうした動きになっていると思われますか?

まず日本中に本当にたくさん支援したいという方がいたということですね。そして、このプロジェクトは誰でも参加できますし、物資を提供するにしても個人ができる範囲で送ることができます。さらに「amazonのウィッシュリスト」と連携するなど工夫して、本当に必要な物が必要な人へ届けられる仕組みを作りました。現地の行政は、選別などが猥雑になるという理由から個人からの物資を受け付けていません。「ふんばろう」は人と人を結ぶ「顔の見える支援」です。せっかく救援物資を送っても倉庫に眠るようなことにはなりません。被災地のために何かしたい人がたくさんいて、自分たちが支援している物が誰に使ってもらえているのかもわかります。お礼の手紙が届いたり、電話がかかってきたりしますので、人の縁が絆に変わっていきます。人が人に支援するという基本に戻ることが求められているのだと思います。

――生活まわりの物資を送るプロジェクトだけでなく、並行して数々のプロジェクトを立ち上げられています。ここで少しその具体的プロジェクトの内容を紹介していただけますか。

被災地、被災者のためになることはどんどんやっています。被災後すぐは食糧、衣類、生活物資の支援をしてきたわけです。南三陸町の水道復旧率は2ヶ月経過時点で1%、3ヶ月経過時点でも7%しか復旧していません。しかもそのうちの飲める水も限られています。これからも継続的な支援が必要です。
また今は多くの被災地で電気が通り始めていますから、『家電プロジェクト』を立ち上げて、全国で眠っている家電を集めて被災地に送るということをやっています。
また福島を中心として放射線をチェックするガイガーカウンターのニーズもあるため、正しいカウンターの使い方を伝えつつ、機器をレンタルする『ガイガーカウンタープロジェクト』も始動しています。
被災された方が、がれきを撤去するなど収入に結びつくように『重機プロジェクト』という重機免許を取得する支援するプロジェクトもかなり好評です。また、被災者の心理的なケアをする『傾聴支援プロジェクト』など、たくさんのプロジェクトが同時に動いています。一つひとつのプロジェクトが実効性の高い、被災者のニーズに寄り添うものですので、賛同者も増えています。

――アイデアが豊富で、お仕着せではない活動だからこそ共感を呼ぶのでしょうね。今、この国はどんどん良くない方へ進んでいますが、西條さんは将来的にどのような社会を目指していますか?

皆が何を目指して生きるか、です。僕は、人それぞれ生きたいように活き活きと生きることが幸せにつながっていると考えます。その実現のために有効な考え方を伝えたり、実際に行動したりすることは大事なことだと思います。

――たとえば、どのようなことが考えられるでしょうか?

それはたとえば、個々人の私欲や利権ではなく、多くの人が幸せになるためのことを実行しそうな政治家を選挙で選んだり、あまりにもリスクの大きい原発に依存しない社会にしていくことではないでしょうか。
これまでの世の中はピラミッド構造で上から下へ指示が出て成立してきたことも、これからは横のラインで世の中を変えていくことが大切になると思います。それを支えるインフラとしてTwitterやfacebookといった媒体もありますので、そうしたものを活用していくことが近道になるでしょう。僕も、もともとアナログタイプでそうしたものに手が出しにくかったのですが、使ってみると本当にこれは世の中を変えるツールだなと実感しました。

自由に生きるための「よい教育とは何か」

――早稲田大学大学院で講師をされている西條さんですが、研究テーマがとてもユニークですね。近刊の編著『よい教育とは何か』(北大路書房)でお話しされていることは、親も教員も知りたい内容です。「よい教育」を構想するために、何をどう考えるべきでしょう?

一つ違いのお兄さんと(右が西條さん)。七歳と九歳違いの妹の面倒をよく見た。

一つ違いのお兄さんと(右が西條さん)。七歳と九歳違いの妹の面倒をよく見た。

これはやや難しいのですが、公教育の正当性をどのように吟味すればよいのかという問題で、そのための考え方がなかったのです。「よい教育」を考える際には、まず「自由の実質化」を考えなければなりません。自由に生きるためには最低限の能力は必要です。したがってこれは生きたいように生きる力を育てることといってもよいと思います。学校教育でも、自由に生きる能力を身につけていくことが必要になる所以です。二つめが「自由の相互承認」です。他人が自由に生きる権利をお互いに認め合いましょう、ということです。認め合わないと価値観の押し付け合いになって、傷つけ合うことになってしまうのです。これは当たり前のようですが、たとえば誰にも迷惑かけずに煙草を吸っている人に、「たばこは良くない」といってたばこを吸う自由を奪ったならば、それは他者が自由に生きる権利を阻害していますから、むしろその人の方が「自由の相互承認」に反していることになります。

――なるほど。まとめるとどうなりますでしょうか?

中高大と続けてきたのはテニス。大学時代は主将も務めた。

中高大と続けてきたのはテニス。大学時代は主将も務めた。

この二つをまとめれば、人様が自由に生きるようとする意思を尊重した上で、自分も生きたいように生きれるような能力を育むという観点から、「よい教育」かどうか吟味していくことができる、ということですね。またそうした「原理」を視点として使うことで、「よい教育」から外れないよう自覚的に判断することが可能になります。

――自由に生きるためには、自己肯定感がないと難しいですよね。これは子どもだけに限らず、親にも言えます。自己肯定感が欠けていると自分も子どもも大事にできないところがありませんでしょうか。

そうですね。ふつう子どもがテストで100点取ってくると、「まぁ、えらい。100点取ったのね」と褒めますし、それはそれで素晴らしいことなんですが、それは100点を取った行為(doing)に対する賛辞に過ぎないということを頭の片隅に置いておいたほうがよいと思います。本当は、100点取らなくても「生まれてくれてありがとう」と抱きしめる行為が、存在(being)を認めること、すなわち子ども達の自己肯定感を育てることになります。何もしなくても、何もできなくても愛されているんだと実感できるようにすることが、お互いが自由に生きることを承認しあうための基礎となる「自己肯定感」を育むことにつながっていくのです。

――小さい頃は特にスキンシップが大事ですよね。西條さんはご自身「自由の相互承認」ができる環境で教育を受けてこられたのでは?どんな少年期、学生時代でしたか?

仙台で生まれ育ち、のんびりしていました。僕には1つ上の兄と、7歳と9歳離れた妹が2人います。幼稚園では友達がいなくて毎日カナブンを集めていた気がします。小学校になると妹が生まれたのですが、実家が自営業をしていたので「勉強しなくてもいいから妹の面倒をみて」と親には言われていました。二人とも可愛かったし、一緒に遊んだりするのが好きでしたね。小学生の時は妹たちの面倒をみていて、あまり遊べなかったときもありましたが、外で友達と遊ぶのが好きでしたね。小学校の頃はスイミングの選手コースに行っていて、仙台市で優勝したこともあります。
小学校の頃はかなりやんちゃだったと思うのですが、中学になると少し落ち着いてきたと思います。なんか英単語覚えられないなと思っていたら、小学校の頃にローマ字を完全にさぼっていたので、無意味なアルファベットの羅列として暗記していました。さすがに途中で親が気づいてローマ字練習させられましたけども(笑)。学級委員とかもさせられるようになったのですが、まったく興味がなかったので、「残りの学期何もしないでいいならやります」とか先生と交渉してやってましたね(笑)。

――部活は何をされていたのでしょうか?

中高とソフトテニスをやっていました。高校は仙台三校という伝統的に強いところだったので、部長になって仙台市で優勝したりしましたが、怪我に泣かされて挫折の方が多かったですね。勉強面は、入試ではトップ入学したのですが、入ってからまったく勉強しなかったので1年生の夏休み空けには300番台になっていて、しまいには0点とかとってました(笑)。結局、2年浪人して早稲田大学に入りました。二浪の時期は、やはりどこかで悶々としている辛い時期でしたね。
大学も結局、体育会系の軟式庭球同好会でした。幹事長(キャプテン)をやっていたときは心理学の知見を応用して、集中するための方法を伝えていくなどして主要大会のタイトルをすべて取ったので、何かしらリーダーシップは取っていくのは得意なのかもしれません。

――これまでに出会えて影響を与えてくださった先生はいらっしゃいますか?

その時代ごとに何人かいました。高校時代に出会った藤倉先生はカウンセリングを学ばれていた方で敬虔なクリスチャンでした。宗教についてはご自身が信仰深くても決して他人に思想を押し付けるような方でなかった点も好きでした。大学院時代は根ヶ山光一先生に研究の「いろは」をたたき込んでいただけて高い基礎能力を育んでいただきました。その後の日本学術振興会の研究員時代は、池田清彦先生が師となり、学者としても、人間としても尊敬していますね。

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