【シリーズ・この人に聞く!第18回】表現教育の第一人者 宮川俊彦さん

kodonara

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宮川俊彦さんは2014年5月14日にご病気のためご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り致します。この記事は2007年6月に取材致しました。

もうすぐ夏休み。宿題の定番といえば作文、感想文、日記と言葉で表現するものが多い。宮川先生主宰の研究所ではさながら「国語作文道場」といった感じで、小手先の言葉や表現を習うのではなく、考え方や物事の捉え方を身につける場。テーマと対峙し、先生と向き合い、自分と向き合う時間がそこにある。楽しみながら、もがき苦しみ発見がある作文。夏休みに、親子で参加したくなる教室ですよ!

宮川 俊彦(みやがわ としひこ)

30年間にわたり170万人以上の子どもたちに国語のおもしろさを伝えている。
作文・表現・教育問題・教育政策・人間社会を軸に既に120冊を越える著作を世に送り出し、 海外にも翻訳出版されている。最年少でNHKのコラム等を担当し、政府委員や大学の教授・副学長 などを経て、昨年まではBSの「ミヤガワ表現道場」のメインキャスター。
所長を務める神保町の国語作文教育研究所は我が国の作文・表現教育の奥の院と評されており、 実践の場として活発に展開されている。
表層指導にとどまらず根源・内面に分け入り、また思考法や視点・観点の読解などといった基礎領域の 活性化に着目し、表現教育の最前線に位置している。
テレビへの出演や新聞への連載・寄稿も多数。「宮川俊彦の甘辛時評」(フジサンケイビジネスアイ)、 「放課後Pecha Kucha」・「とっちゃまんのサンデー特講」(毎日小学生新聞)、 「魂の独立宣言」(月刊MOKU)、「表現教育の現場から」(季刊・現代警察)が好評連載中。 教育問題などでの鋭利なコメントは他の追随を許さない。
少年犯罪や親子問題など著作も百二十冊を越え、常に時代の先端を切り拓いている。

皆がやらないことをやっているうち、スゴイことだと気付いた

――先生は神保町の地で34年も作文研究所を続けていらっしゃいますが、どのようなきっかけで始められたのですか?

僕は大学時代、建築が専門でした。外側、いってみれば器を作る仕事です。でも、教壇があって机があって。その器に教育があるわけじゃないんですね。例えば、東大寺や法隆寺はなぜ今なお建築が残っているかというと、建物の構造が強かったわけでなくて、その時代時代の人々がその建物を残そうという意識をもっていたわけです。その意識とは?と考えていくと、それは「言語」で、「言語」による構築物が重要なわけです。「言語」は硬直化してはいけない。流動化でき、可変性があって、意味の拡大ができるのが「言語」。それと人との関係が教育の本質だと、僕は思います。

――コミュニケーション論みたいなテーマの書籍も世の中には多いですが、 もっと深く掘り下げて「個人が内包する言葉」ということですか?

70年代は「個人は個人になれるか」あるいは「なぜ自立を求めるのか」という問いかけの時代でした。その時代のウオッチャーになろうと僕は決めた。まだ20歳で学生でしたが作文研究所を始めたわけです。34年前のことです。

――その当時、どうやって生徒さんを募集されたのですか?

教育の机は全員が向き合うユニークなスタイル

教育の机は全員が向き合うユニークなスタイル

ガリ版で刷ったチラシを巻いたり、通信教育がメインでしたね。というのも、20歳そこそこの若造でしたので(笑)。当時、入会金2000円、月会費1000円で、課題を与えて添削して返送してというスタイルでしたね。そのうち「私は死にたい」と書いてくる生徒がいて、アドバイスレターという手紙を返して文通のようになっていった。名づけて文通対話教育。そのうち、その親も参加されたりして。気付いたら10年間くらい手紙をやり取りしていた。教育とカウンセリングは一致しています。僕は教え込もうとは思わない。

――作文研がユニークな教育なわけがそこにあるわけですね。今の学校では、どうしても作文の書き方ハウツーになっていますが、作文研はそれとは違いますよね?

子どもが子どもなりの視点で世の中を捉えて考えて、どう生きようかと思っていることに私も向き合い、子どもは書いていること自体で自分と向き合い、僕はその場に立ち会って、また自分自身とも向き合う。これお互いが、合わせ鏡のような感じで無限に広がっていくの。奥が深い(笑)。10年間は通信教育で頑張っていこうと腹を決めたので、生徒とは会わないと決めていました。会わないでどういう風に生徒との関係が深められるか。言葉の力でどこまでできるかを実証したかった。人生とは実験の繰り返しです。おかげさまで、どんどん生徒は増えていきました。

――そういうことが求められていたわけですね?アドバイスレターのような作文添削が。

ホワイトボードには伝えるための言葉が並ぶ

ホワイトボードには伝えるための言葉が並ぶ

そうですね。英語や数学みたいに添削しやすいものもありますが、「何を好んでこういうことをやっているんだ?」と友達にも当時言われました(笑)。でも、皆がやるものは皆がやるわけです。僕は、皆がやらないものをやろうと。でも、やっているうちに、これってスゴイことだなと気付いたのです。鉱脈みたいに掘っていくうちに深みにはまっていくような。だって、10人生徒がいれば10人の作家を相手にしているわけですから。それぞれの思いを読み解いていかないとアドバイスはできません。

楽しかった、おもしろかった、に変わる言葉はないのか?

――実はうちの小4の息子も学校で書いてくる作文は「おもしろかった」「楽しかった」って、どんな感動があってもそんなまとめ方で、何で?と思いますが、先生のところでは生徒はそう書かないのですか?

表現教育の第一人者 宮川俊彦さん

表現教育の第一人者 宮川俊彦さん

そうですね。自分が自分であるということに、子どもたちが怖くなってしまっている。個性が大事とか、その子らしくなんて言っていながら、日本の教育ではまったくオリジナリティを育てるようなことをしてこなかったんですね。「こう書けば、丸がもらえる」という方法論だけで、プロセスを考えさせることでその子なりの考え方が身に付くものなんです。僕の教室では、○×で優劣をつけるようなことはしない。まったく次元の違うところで、考えることを身につけるのです。それが、その子にとっての発見になります。

――例えばどんなテーマを投げかけて、指導をされていらっしゃるのですか。

こんな授業をしています、というサンプルは実はないの。全部、臨機応変。昨日は、「かごめかごめ」って歌があるでしょう?その歌を読解して、お話を作ってみなさいというテーマでした。江戸からあった歌だそうで、後半の「鶴と亀が滑った」…というのは明治以降に加えられたようです。「後ろの正面だあれ」は階段の上から姑に突き落とされた妊婦という説もありますし、怖いですよね。子どもたちは色々な角度から書きます。ストーリーつくる子もいれば、「情念」についての評論とか、それこそテーマと何が関係あるのかな?という内容もあります。でも、それでもいいんです。

――人それぞれの違いがあって、受けとめ方が色々あるということがわかるわけですね。授業は何分くらいで?

大体90分~2時間くらい。早く書く子もいます。求められるのは、テーマに対する問題意識、思考力、感性です。僕は教室に座った瞬間のその子を見れば、どれだけその子が書けるかわかります。○×で正解を求める安易な「ファッション学習」に馴れてしまっている子は、ここに来ると腰が浮いて書けないんですよ。人間のもっている基本的な能力があらわになる。

――確かに。それは偏差値教育できてしまった親の世代から受け継いでいるのかもしれませんね。

このカップを見て「これ何だと思う?」と聞きますよね。すると○×教育で育っている子は「カップ!カップ!」と必死になって答えるでしょう。でも、この教室に来ている子は「それ存在だよね」とか「実体」「現象だよ」「スタート」「言葉だと思う」なんて2時間ずっと色々な表現ができる。つまり、この教室でやっているのは「考える方法を見つけること」です。それは動詞の数だけあります。色だって無限にあるでしょう?言葉もそうです。

――今、子どもが本を読まなくなったと言われますが、先生はどのように思われますか。

本だけでなく、何でも読まないとダメですよ。僕は葛飾北斎のことを日本のピカソだと思っていますが、彼の絵を見ても「きれいだ」「美しい」「波がぐーの形みたい」といった感想しか言われないのは読解力不足です。自由に見ていいと言われても、どう読解すればいいか。その方法論を知らないと、見方、捉え方がわからないわけです。作家を読み、描こうとした世界を読み、時代を読むこと。だから、本なんて当たり前、新聞も広告も絵も空気も人も読解対象です。それが表現を規定する。だから、本を読んで「感動したわね」と言っているのは、『ごっこ』に過ぎないです。

勝負をし続けた先に結論がある

――学校の授業で、この教室でやっているようなことがあればなぁと思うのですが。

「かごめかごめ」をテーマに、解釈やイメージの表現方法を探る

「かごめかごめ」をテーマに、解釈やイメージの表現方法を探る

それは公教育では無理でしょう(笑)。僕は長い間、読書感想文の書き方の本を出していますが、これを買われるのは学校の先生なんです。感想文とは、意見ですから。偉い作家先生が書いた本に、感動しなくちゃいけないような感じがあるでしょう。うちの教室では、小学生が志賀直哉の「小僧の神様」を読みながら「この文章、変だね」「いらないよ」とか赤ペンもって添削していますから。

――おもしろそう!子どもではなくて、私が来たいです。

重厚な椅子に座り、作家気分で書ける

重厚な椅子に座り、作家気分で書ける

土曜日の午後6時からのコースは、お母さんお父さんがたくさん来ていますよ。子どもを入会させるつもりで体験入学して、その場で自分が入会しちゃったお父さんとか。大人が勉強するようになると、子どもとの会話が増えてきます。僕は、大人でも子どもでも「認めざるを得ない存在になりなさい」と言っています。例えば、「将来、作家になりたい」という子がいたとしますね。僕なら「今から、書きなさい」と言います。受験勉強して進学校に行って、大人になって大手出版社から本を出さないと作家になれないという思い込みは間違いです。

――それは、大人にとっても気付きがある言葉ですね。やりたいことを先延ばしにするな、という意味ですよね?

準備してから勝負を掛けるんじゃない。いつも勝負し続けることが準備なんです。準備運動して助走して、気がついたらゴール3センチ前にいたというのが本当のレースだと思います。僕は準備してから勝負という人生ではなかった。勝負を続けたその先に結論があるわけです。

――なるほど。親がそういう文化で生きていれば子どもにも伝えられるのでしょうが、なかなか難しいのでしょうね。親の心構えとして何が必要だと思われますか。

作文研に通う子でいうと、最初は全然書けなかった子でも、ある時ぐっと書けるようになります。でも、その後また書けなくなっちゃうブランクがあるんですね。それも成長の中で必要な時間です。でも、待てない親が多くなったなと思います。教育を成果主義としてみなすのは違います。子どもの胎動期を読まないといけない。

――先生が指導の中で一番大変だと思う点は、どんなことですか。

この教室に20人いれば、20通りの才能がある。全員同じことを書かせないように指導する上で、僕は自己解体しないといけません。つまり、自分がわかるものの中でしか考えようとしないと、相手のことを受け入れられないんです。相手を知るためには、自分の知識や経験なんてバラバラにしてみて枠を超えて、相手と一体化できるか?相手を理解できるか?捉えられるか?ということですね。それでないと指導なんてできませんから。自分が見えてくることで、自分を変えることができます。

編集後記

――ありがとうございました。先生は「ひとつの定点でやり続けることは大切」とおっしゃっていました。継続は力なり、本当にそうですね。34年間、何千人もの生徒が先生の指導で「気付き」を得たからこそ、長い間信頼されて続けてこられたのでしょう。言葉と格闘すると、自分自身を静かに見つめることができるようになります。一生のうち、宮川先生と出会える生徒も親もかなりラッキーです。作文のイメージに対する苦手意識がすっかり変わると思いますよ

取材・文/マザール あべみちこ

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